2006年10月4日

建築論

芸術美に目的があるとすれば、自然の最も内在的な目的と等しい。建築の技法は一つだから。しかしその表象・外在性は凡そ最大限懸隔激しいものに違いない。抽象と我々が呼ぶ姿見は自体、自然精神の指揮下にある。精神が建築の現象であるのは疑えない。理性は自己生成したのではなく、制作されたのだ。問い、しかしこの様な先覚を純粋理性のイデアと調停するには如何にすべきか。
 実用的な仮説としてすら理性の建築は反自然であることで歴史上の同一性を確保して来たのだ。とはいえ具体的建築物象を取るに足らない形相の戯れとして軽閑するのは正しくない。寧ろその真実に理論はある。よって、自然と人工との間に明確な対称線を引くことはできない。両者は形こそ違えど共に建築故。