Metaphysicsのresetを合理化する思考様式としてのみdeconstructionはあり、哲学的組積はその範囲に限らない。喩えれば、pyramidを建設する坑人が誤って不条理な石を積み上げた際、それを仕方ない誤解として取り上げる行為が脱構築に値する。そして自体は巨大なconstructionの一部の出来事にすぎない。哲学における形而上学は言語を道具として弄ぶことにしか基礎を持たない、と今更ながら確認して何になる?
善悪の彼岸は実存と構造の倫理学として課題を突きつけている。哲学の主題は実践善の構築にある。それは理性による時代環境の改良に他ならない。