2006年8月31日

脱近現代小説

文学の社会的使命は個々の実存を救済しうるような展望を魅せることにある、と思われる。それが想像の利用法なのだ。そして大衆向け商品としての小説が担って来た虚構現実の価値も、そこにあった。大衆作家は面白味を目指して江戸戯作の類を映画風に書き連ねていくだろう。しかし、君は尚、それが批判に値すると悟る。則ち文学が単なる文章として流通するマルチメディア的な契機によって、より神格的な展望を提出する可能性を追求したい。それは文学におけるカテゴリーの分解を意味する。売れる為の作品ではなく、読まれる為の作品を書かなければならない。そうすることが小説より更に進歩した救済の方便だから。