超高層による集密は人類文明にとって通過すべき普遍的な命題である。なぜなら彼らもまた一生物であり、集積の利益を求めて集まって暮らすものだから。強硬保守派からの景観論争がどれだけ執拗姑息にふっかけられるにせよ、文明の理論は都市部における建築的立体化を指向させずにはおかない。
高齢社会においてさえ、エレベーター、エスカレーターその他機械昇降設備によって普遍設計の原則群は克服しうる。
もし文化人諸氏が真摯に望むのならば、伝統を積層性のなかに復活させることもできる。つまり階としての普遍空間概念を楼閣化したに過ぎない以上、その自然空間的応用は自在である筈だ。とはいえ、地にへばり付いたならぬ空中生活ゆえに必然、様式はより抽象化されざるを得ないだろう。だがそれは文化美意識を充分に満足させうるだけ、芸術家の手腕によって解決されるに違いない。なぜなら自然空間は常に、確保された普遍空間の範囲でのみ計画可能だから。