知能犯的に搾取した閑暇を理想に向け代えるうちに文明の分業効率の最適化を観る知識人連中にとって、普遍者ぶったliberalismの理念は都合のよいことこの上ない。
最もあしき意味でAristocraticな政治的realismを、現代社会の身分差別は全面的に黙認している。それは実質上、文化的奴隷制の暗裏な肯定に過ぎない。だからと言って我々に社会主義政治や共産主義経済を声高に叫ぶくらいの錯誤は無かった。それらは一時的な国家の強化に応じて官僚主義的支配体制をますます増長させるしか結果を取らない。産消成長能力の激減は国土を破滅に導く。良識を信奉する少数の哲士達だけが、密かに社会体系の改良を求めていとまに思考を廻らせている。文明的な貴族の高等な遊戯が社相先導にあると自覚されざるをえないだろう。そして歴史からの使者たらんとすれば、研究と啓蒙に一刻の猶予も許されてはならない。理性は己をはぐくんだ自然を信用せよ。