2006年7月20日

知能と善

知能を向上させることが人類の総合的目的ならば、低知能者には存在価値がないのだろうか、と人は、理想主義者に問うだろう。人が懸命に思考する作業でさえも、とりもなおさず地球諸民にとっての目的の部分。知能向上の方向性は千差万別。それは枝葉多岐化を通じて成長する。
 あらゆる人類の個体群は、利己主義に根づいて生活を全うする。我々は文明のなかにその現れを観る。だが、人類は生物だ。文明の基本的理由は、環境の改良による種的生存の延長。
 もし哲学が事物の批判を通じて善を追究すべきものなら、その思考の目的性、乃ち理想性とは、知能を更なる神格へ向けて啓発していく様な体系ではないのか。
 哲学の成果たる文章体は様々に落ち着くとしても、その目的は一つ。つまり、普遍善の神格。すべて哲学者は必然の道を辿って善を欲する。ならば知能自体は善へ至る方便でしかない。