2006年7月23日

教育と伝達

自己教育の限界はあり得ない。それが他律的で、受動的な義務付けの範囲に置かれたならば、はじめて過剰の問題が生ずる。個人の自由権を侵すから。基本教育が国家によって現代なお義務付けられている理由は、知能格差の極端化を防ぐ為に全体統制による福祉が、私民により世論として容認されているからだ。
 以上を鑑みるならば、理想の応用は常に、学習を適切に伝承することに還せる。それは生存競戯を合理化する為に個人生活の自由選択の範囲へ帰せられるべきである。すなわち、教育の受容も授与も、自由競戯の原理のもとで成熟させられなければならない。