2006年4月1日

親米論

ユダヤ民族と相利共生する方法は日本の国籍を非血統主義へと改善する事。及び、自由競戯市場の解放性を高める事だ。単一民族国家である日本がアメリカを仮想敵国視して乗り越える際に最も重要なのはユダヤ民族を優勢して擁護する事だ。Nationalismを文明と等価視するのは一時、日本の急速な近代化の方便としては適当であったかも知れないが、行き着くところは国家の孤立破滅でしかないだろう。そもそも人種や民族および国家すなわち文化の分別は全て、普遍文明へ至る為の手法でしかない。文化は方法であり、文明は目的。つまりnationalityの指導の仕方もこの原則に則らなければならない。
 多民族雑人種国家であるAmericaを真に敵に回すのは神民思想にとって最も危険な誤謬だろう。それが資源小国の日本人をユダヤ人の二の舞の国際的孤独に追い込むのは避けられまい。そして人類の大道から考えても、そんな偏狭が正道だとはとても言えない。人種が混合し、文化が雑駁になっていくのはentropy増大則から演繹しても逆らえる訳なく自然だし、生物学的に帰納してもDNA掛け合いのpatternを増やし得る限りにおいて地球の生態系自体にとって理に適う。故に純血主義を取る国際人は必ずや圧倒的少数だろうし、それはますます希少化する。
 ならば日本人および日本が舵取るべき筋はAmericaを倒すのではなく、互恵しながらの超越である。つまり切磋琢磨が望まれるべき日米関係。協和超米の語意にはfriendlyなrival心が含まれる。