2006年4月3日

自然学

なぜ時間は始まったのか。その手順が理解され得たとしても、なぜ宇宙は創生されたのか。Energieのせいにすれば説明は容易だが、その神或いはエネルギーがどうして宇宙を創造したか、考えなければならない。対称の乱れを初めて動かしたものは何か。自然の始まり。Newtonが初めの一撃と呼んだ力の正体。
 量子力学的確率論に完全に帰しえる問題か。もしくは新たな概念の想定が必要か。即ち万有斥力。どうしてそれが生まれたか。なぜどの様に引力に勝ったか。宇宙の未来を予見する手順。Entropy増大則はmacro scaleで永遠真理か。
 なぜEnergieは保存されるか、その内実が空間的非対称のやりとりであるからして。ならば、時間とは空間的非対称のやりとりの側面。つまり、entropy増大則とはmicro scaleでは時空間の方向。
 それはhuman scaleでもやはり同じ。だから、人間原理的宇宙を我々が選択するならば仮説としてmacro scaleでも同じくentropy増大は不変。換言、微妙な膨張を永久につづけるアインシュタイン的定常宇宙modelが最適な知的生命にとっての器。しかし、人間原理導入が果たして真に科学的か? 帰納的実証に値しない自然科学理論は常に仮説であり、人間理性の考察材料としての数学解に留まる。我々は神秘追求の漸定的手法としてのみ、それを課題解法へ利用しなければならない。
 そもそも人間原理とは何か、それは我思う故に宇宙ありの仮定である。
 限りなく漸進的膨張をつづける時空間は、おおよそ定常宇宙としてよいだろう。それは予想不可能性、不確定要素を内在させながら乱雑多様になっていく。天の川銀河も無論その一部であり、精神的人間も又。
 だから少なくともこの宇宙は我々を遥か超越的に知的な生命体も無論居りえる。彼らとの接触は避けられず、恐らくは相利共生か或いは我々の想像を超える仕方での交際へ臨む。生命体は宇宙の動態の一種であり、無機体より複雑化した時空間形式。精神でさえも。
 ∴人間原理が絶対化されるのは非理論的。それは追々破棄さるべき仮定つまり論証用憲法として、宇宙modelを選択する際のみ利用される方便。人間精神の思考能力の限界としての正解を求める生存本能に帰す科学律的信念でしかない。あらゆる宗教は文化思想史という社会学の分野に含まれて然り、それが宇宙の自然法則が指導する多彩化へ逆らえない証拠となるだろう。