2006年1月31日

政経批判

社会政治と共産経済が、民主政治と資本経済から交代する迄には未だ、ある程度のstepsが必要だろう。
「あらゆる革命は生産手段の技術的発展に由来する」、と提言したのは他ならぬマルクスではなかったか。
 共産経済は現代からは遠く理想に過ぎない。どうして国際的市場競争なしに新製品をこぞって開発しよう。
また、社会政治も全ての人民が限界まで知的に向上し、尚且つ平均値が一定である非人類的機械的環境でしか実現することはできない。

 アダム・スミスに帰れ。
所得不均衡の調整は「中流最多」を保つべく政府により正確に行われなければならない。
だが所得格差のない社会は《閉じられた体系》に過ぎないと気づくべし。その惰性的世界には『開かれた体系』の有する最高の希望、限りない発展への憧憬は無い。
宗教結社としてしかその様な状態は達成できないし、しかも貧困状態を維持する為でさえ更に、常に外部に頼らなければならない。なぜなら欲望の促進がない社会の生産性は著しく低いから。