2006年1月22日

理想

君の他の知的動物が君自身を食わない保証は君自身によっては行えまい。なぜなら精神は我々の精神であるから。言い換えれば種々の進化の果て我々より遥かに巨大な脳を形成した生き物は我々の知能を一笑に付さないとは言えない。少なくとも我々の精神段階はその演繹的推察の為には必要な質量を満たしている。
 或いは又、我々の古里である地球は太陽系に守られている気がしているが、いつ何時彗星の衝突で破壊しないとは言えない。事実、嘗て同じ経過を通って死滅した種もあったのだ。
 だから我々は絶対的恐怖に常に置かれているが、その認識を日常茶飯事で相対化しようと欲している。逃避だ。遊戯する理由は殆ど完全にここに在るだろう。
 尚且つ人が文明を建設するのは我々自身の合理的快楽である幸福を増進させる為だ、と様々な学者が結論づけた一方、思考の無限の相対化はそうして惨めな同族での慰め合いに終始する仲間をよそ目に適応可能性としてあらゆる創造力を喚起する偉大な個性をも養護する。それは我々の生存を保証する為の最後の賭けだ。
 確率的には間違いないだろう我々の一部が宇宙移住する事業構築以前に出来る、人の最高の奉献は理想に依って未来起こり得るあらゆる場面への仮説を検証することだ。だから、理想は常に冒険である。もし賭け間違えれば人類はいつ死滅するかも分からない。
 尤も、我々一人一人には自らの尽力で安心して幸福を味わうだけに充分な時間的余裕が与えられてはいるのだが。それを現実と呼ぶ。