2024年4月21日

性合意の親告罪化と、性表現の内心自由権

本能の一部に属する性へ極端に不寛容で、清教徒思想や恋愛理想論に限定した扱いの反動でOECDでも性犯罪率が高い側である米英両国は*1、その宗教観によって性に関する内心の自由も規制しがちである。しかし性に関する合意の有無は、当人達の判断が変わりがちな心の問題なので、親告罪とする必要がある。

 同じく、被害者の存在しない創作物について、単に内心の範囲にとどまる仮定あるいは仮想の話を現実と混同させる法規制は、明らかに内心の自由の侵害にほかならない。人の無意識は抑圧されるとしばしば精神病理を起こす事が精神医学上知られており、しかも無意識の抑圧は表現で充分充足する可能性がある。よって、意図的に他者と共有されたり、販売されていない仮想の表現は、現実自体ではない内心の自由の範囲なのだから、被害者がいない以上、芸術表現として全て許容されるべきである。これは現実に類似した表現で、コンピューターグラフィックスやAIなど新技術を使った表現でも法的に同じであるべきだ。

 また同じく、多様な思想とその表現はそれらの検討によって文明に進歩や再考を促すもので、特定の宗教観(例えば米英の一般にとる清教徒思想教義)から、事前に正否を臆断すべきものではない。何らかの創作物が具体的に被害者側から親告罪とされ訴えられない限り、一般にその表現は自由であるべきだ。

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1) 「強盗、暴行・脅迫、性犯罪についての国際比較(2005年)」社会実情データ図録、OECD Factbook 2009による。https://honkawa2.sakura.ne.jp/2788d.html