2024年4月15日

取捨・適応・計画

伝統と現代の融合という標語はなにも考えていない事やなんでもありといっている無作法さと時にほぼ同じだ。昔からあるものが全て優れているわけでもないので、以前から続く悪いものと今の悪が結合し最悪の状態になっている場合もある。
 この標語を立てた京都市は、失政続きで実質破綻している。未成年舞妓人身売買罪などが最悪融合例だろう。寺院頼りの観光集客で濡れ手に粟、あるいは低品質な高値大仏商法をくりかえし第二平城京になっていて、末路はみるまでもない。千年後の山後は、まだ観光業が良識的な山所より衰微しているはずだ。
 重要なのは悪しき伝統は刷新して断ち切り、現代に適応するだけでなく遥か遠い未来をみて計画的に行政する事だ。またよい伝統は現代以後の文化と融合させるべきではないかもしれず、融合させようさせまいと維持されねばならない。
 伝統は現代以後の人々が正負両面から学べなければ意味がないだろう。

 但し、計画経済は総じて失敗してきた歴史がある。行政は需給を必ずしも予想できないので、経済は企業や個人などの小単位で部分最適化できる、市場の自由競走に任せた方が一般にすぐれている。もし計画経済をはかると全体最適化をはかろうとした結果、結局失敗すると、市場全体が失敗してしまうからだ。