2024年4月8日

史実としての新選組と坂本龍馬の幕末当時の位置づけ

タブー言いよった
(「坂本龍馬が教科書から削除」こと『坂本龍馬は教科書に必要か 大政奉還や薩長同盟、史実は』吉田晋、2018年1月10日、朝日新聞デジタルの記事を流用したウェブページ画像を引用しながら)
――まさみ

新選組もそうだわな
――柴田犬之介

新選組は赤色・白色・黒色いづれのテロリストでもなく、当時の皇族や中央政府に属する公務員(今日でいう皇宮警察か警察庁の警官)です。
 初代筆頭局長の芹沢鴨が文久3(1863)年9月13日、江戸幕府15代将軍徳川慶喜の母方の実家・有栖川宮熾仁親王のもとへ部下15人を連れ仕官した記録が宮内庁所蔵『有栖川宮日記』にあり、会津藩に雇われ当浪士組の名は新撰組となってのちも、無血開城後の慶喜の水戸までの道を国境あたりまで護衛した事が慶喜当人の聞き取りを含む『徳川慶喜公伝』『昔夢会筆記』でわかります。

 幕末政変はそれまでの中央政府を事実上担っていた(対外的にも国内的にも「日本政府」として公式外交文書等が残っている)江戸幕府の政権を、徳川家の大政奉還と無血開城で天皇家へ公的に移譲しましたが、その際、壬生浪士隊および新撰組として知られる組織は常に朝廷や幕府側にいて公的な警察側でした。
 最終的に戊辰戦争時に、新撰組は函館戦争まで転戦したので賊軍の汚名を着せられる事がありますが、当然ながら、それは旧幕府勢力を政治的喧伝で負の文脈に置きたい西軍の偏見あるいは濡れ衣にすぎません。
 教科書から削除される坂本龍馬は反政府的な内乱罪の犯人で、全く立場が違います。
 史実としては以上です。