2024年3月12日

幸福追求権についての議論の前提

今回書きたいのは、幸福追求権について。そもそもこの概念は思想史上かなり前から色々考えられてきていて今更いうまでもなく、哲学の中心課題の一つでもあった。幸福をどう定義するかというのは必ずしも簡単な話ではなかったわけだ。色々な意見があったと思う。

 他方で自分はラジオ講義の一部で言ったが、この幸福という言葉が快楽とよく混同されているとした。だから幸福は単なる快楽と分けて定義すべきだと。似た事を言っていたのがアリストテレスだ。彼は価値を低い次元から有用さ、快楽、幸福と定義していた筈だ。彼の場合、快楽はそれ自体としても望ましいが、時として何かの手段にもなるもの、とし、幸福はそれ自体が目的なものとしていた筈。だが自分は幸福の定義をそれとは変えた。自分の場合は快楽は利己的なもの、幸福は利他的なものとした。相利性についてはこれらの中間にあるともいえる。例えばカントは仮言命法という概念でこれら利己と利他の中間の相利性について語っていたが、自分の考えかたの場合は、相利性を快楽と幸福の中間にあるものと見る事ができる。で、そう定義してみると、幸福は他人の為になる事を意味しており、今の一般的な人が考える幸福の定義とは違っている事になるだろう。

 さらにたとえば或る人が一生の間、快楽追求で優れていたとしても、他人の為には全然なっていなかった時、その人を幸福な人だ、と皮肉以外の文脈でいえるだろうか。自分はそうはみなせないとする。寧ろ当人が苦痛にすぎなかったとしても、つまり自己犠牲ほど利他性に心がけていたとしても、他人の為になっていればなっているほど、それも先日『性格の科学』という小論で書いた気がするが質の高い利他性を啓蒙すればするほど、つまりひとの望ましい社会性である道徳性を啓蒙すればするほど、当のひとは幸福にあたいする、とわたしは考える。このあたいする、という表現が重要で、幸福自体を快楽と混同している場合、人は一体自分が本当にしあわせなのか分からなくなってしまうという性質がある。なぜなら快楽は過ぎ去るものだからだ。ラッセルが『幸福論』で、あるいはその中に引用してあるミル『自伝』の幸福観について、「幸福を追求すればするほど却って幸福がわからなくなるので、幸福になるには幸福についてかんがえないことだ」などと、あきらかに定義の否定でしかない同語反復で思索が堂々巡りし終わってるのはその箇所と自分はみている。今の神経科学でわかってる範囲だと、オキシトシンだのβベータエンドルフィンだのが出て一時的な多幸感みたいなのがえられたとしてもそれは麻薬中毒じみたものでしかなく、賭博に嵌った人みたいなものでいつまでも効くわけではないから同じ刺激を求めようとしてしまったりもするわけだ。ところが快楽の過ぎ去るという性質を前提に考える限り、人は快楽追求動物としかみなせなくなり、本質的に麻薬中毒者と幸福な人のあいだに差がみいだせなくなってしまう。だが本当にそうだろうか。客観視するかぎりでは、麻薬中毒者を幸福とは考えられないだろう。それは当人達がある嗜癖を快楽だと感じているだけだ。しかもその快楽が同時に悪い快楽だった時、当人の人生を根本的にむしばんでしまう。この点に、現代文明の一部、殊に麻薬中毒者が多い様にみえる欧米社会の、致命的落ち度があるわけだ。自分はそれをみぬいていて、だからこそ幸福の定義を決定的に革新する必要があったとも、結果としていえなくもない。もしかしたら直感的にそうすべきだとみたのかもしれないが、とかく、快楽自体でないと幸福をみたとき、我々はひとの為になる事、特に自他の道徳性を高める様なおこないのうち、最も高度な幸福を、自己犠牲をはかっても利他性を追求する事にあてがわざるをえなくなるだろう。このことをカントは定言命法という概念で説明していたわけだ。

 僕の思想史上の仕事は、今までラジオ講義シリーズ3講やってきたのだけども、そこに大体は詰まっている気がするが、このきのうからちょっと始めた随筆シリーズではそのわかりやすい解説みたいな感じも入るかもしれない。昨日も『これまで生きてきた感想の一部』で少し言ったが、口語だと細かい陰影をつけられるから、文語と違ってその点に凄く情報量が多い所もある気がする。同時に、文語の方が確実によみとれてかつ確実に見直したり引用し直す事ができる、という長所もある様に思う。あと保存性も高いし、自分が口語ラジオやった感じ、あれマイクの性能にかなり依存している。自分は近所のケーズデンキのワゴンセールで千円で割引で売ってたエレコムのやつを肩にかけられる様に自主破壊しながらというか半分ぶっ壊して改造しながらつかってるわけですが、それだと完全にいい音声とはいいがたい。大体、自分の声をきくのが一般に人はいやだろう。この現象は名前がまだないみたいだが、自分の声が他人の声みたいにきこえて、それが嫌なのだろうと思う。自分の声を自分で生で聴いている時は頭蓋骨などに響いているので別の音にきこえる。それと違うから慣れないと「他人の声現象」が発生する。

 今AIにきいたらその頭蓋骨とおる音を骨導音コツドウオン、空気を伝わる音を気導音というらしい。骨伝導音ヘッドフォンもってるけども。骨伝導音でも同じ? と重ねてきいたらそうだって。

 それで。
 幸福論だが、幸福を利他性と定義した自分のしごとは、思想史に照らしてみると、アリストテレスと少し似ているが、カントの定義した仮言命法と定言命法を別角度から再定義したみたいな面があるとみる。そして今述べた様にその意義の一つとしては、快楽追求を利己的に行えばよいとみなす功利主義の欠点を克服できるところだろうとみる。
 この場合、功利主義はおもにベンサムとミルのしごとを呼び、つまり大雑把にまとめると最大多数の最高幸福を生きる目的とみる世界観をさす。そこで幸福とされているのは快楽の総量かつその質だということになっており、自分の考えとは違う。それは自分の定義では、幸福ではなくて快楽にすぎないからだ。
 また、米国で生まれた実用主義の範囲にも、この功利主義の系譜は流れ込んでいるとみなせると私は思う。というのも、デューイが言った幸福の定義は成功で、道具的知性を使って民衆政治という米国の信じる政体にかなう人格を成長させていった末に自己実現をはかって達成されるもの、とみているが、その内部には利己性と利他性の混同が入っているからだ。デューイらの民衆政治の定義も、大体がアリストテレス『政治学』の定義とはずれているので、慎重な議論を要する箇所かもだが、ひとことでいってしまえばデューイは功利主義の上に彼の思想を接ぎ木したのだといっていいと私はみる。なぜなら快楽の最大化をはかる組織の形としてしかそこで民衆政治の型は考えられていないからだ。英米はこの様に国の理想乃至うちがわの計画で通底している面があり、今の地球人類の秩序にとっては共犯または盟友ともいえる。
 しかし、自分は今言った様に、英米圏のその様な考え方をとらない。実際、英米の人々に日本より麻薬中毒者が多い、という統計は厚労省の報告書にある様だ(主要な国の薬物別生涯経験率」による。厚労省ホームページ、現在の薬物乱用の状況より引用)。

 で、幸福はその様に定義するとすると、元々なぜこの国では今の様な退廃が広がっているかがわかる。それは英米思想の侵入によるに違いないのです。深刻な問題だ。英米化が進むと色々似てくる。いい面も、もしかしたらあるのかもしれないが、というかGHQの間接統治後、人権思想の憲法入り、反証や実証、仮証を含む科学的精神の本格導入や合理主義要素の強化にみえるところなど、天皇全体主義下で精神論が栄えていた日帝時代に比べましになったともいえる面は当然あるが、悪い面もある。
 先日さきにあげた随筆のうちで関西圏はどうも色々終わってんな、と感じたと言ったのも、それは時代遅れ感が凄まじいからだ。多分本当にそうなると思う。僕の直感は驚くほどあたることが異様に多いから見てればいいと思います。なんでそう感じたかというとね、アヅマエゾがぁ~とか言ってきた男がいたのよ。アヅマエゾなりアヅマエミシ。あのさ、色々時代遅れどころじゃないじゃん。しかもさ、おれの所エミシとは定義されないしね。あとでくわしくいうけど、ムツこと朝鮮語で古代関西人なり関西移民が言った道の「奥」の国じゃなくて常陸国ひたちのくにだからさ。古語の意味すら分かんなくて適当に古語を引くなといわれてもしかたないとおもうけども。勿論エゾよばわりのばあいは普通にアイヌ差別で先住権侵害だろ。エミシよばわりのばあいでも東北人ないし縄文人系統への種族なり民族なり文化差別だけどね。あと色々つっこみどころがあるのは、中国思想を借りて四夷の概念に基づく東日本人差別のつもりなら、つまりその男が住んでいるらしい自称京都を中心とみた小中華思想の主張のつもりなら、関東人を指したければ単に東夷といえばいいんだよね。音読みでトウイか、関西弁でアヅマエビス。それ先住日本人にあてて、おもに任那や百済あたりからの朝鮮移民だったかおもに弥生人系統との混血であった関西人が言っていた蝦夷とは事実上別概念でしょう。かさねていうときもわざわざ東蝦夷とはあまりきかない。蝦夷のなかでさらに東西南北分けて言う必要がその東日本丸ごと差別目的で、いちいちあるのか。単に、語彙がわからないだけだろう。中途半端に意味も分からない古語をつかって知者ぶるからこうなる。しかもさ、それ中国から日本も言われてたのだしね。だから自称京都は「小」中華思想なんだけども。更に厳格にいうと自称京都版の小中華思想かもしれんけど。例えば朝鮮王朝あるいは李氏朝鮮も小中華思想だったしね。もっといえば、その中華思想もどきなりそのまねごとによれば、今の京都って東京だしな。天皇の華夷秩序とみたときは。でも、そんなの信じてないしね、こっち。だって中国じゃないもの。少なくとも僕は全く信じていない。この部分も更に厳密にいうと、水戸学は天皇中心主義を採用していたかもしれないが、それは江戸時代から明治時代まで水戸の徳川家の統治下で旧水戸藩なり常陸国の侍階級の間にはぐくまれた過去の思想で、戦後の平等権の成立後は必ずしもそうでない、あるいは別の思想の人々が統治権をもっているともいえるし、『日本国憲法』で国や国民統合の象徴と定義されている天皇は、中心とはいわれてないわけで。地方自治法の解釈として、東国原英夫衆議院議員への国会答弁で、新藤義孝国務大臣(地方分権改革担当相)が国政と都道府県政は上下関係では以前からないとも言っていたし(第183回国会、予算委員会、第3号、平成25(2013)年2月8日金曜日)、要するに天皇の中華思想なんて、神道信者の一部しかあまり信じていないだろういまや。昔から信じてなかった人は大勢いたとおもう。やはり、旧京都こと山背は僻地状態で、時代錯誤な人が居残ってしまっているというべきだ。相変わらずの平安京意識で。

 東蝦夷と書いてアヅマエゾかアヅマエミシとしか読めないわけよ。もしかしてどこかの文献だったら蝦夷だけでエビスと読ませてたかもしれないけど、一般的読みではないと思う。そのあたりで古語くらい自分で学問すればいいのにな、と感じるわけです。違うか? しかもそれを平安京ができるかなりまえの『常陸国風土記』の本国人に改めて千年こえて思われるとか憐れ極まる。もうさ、完全に虚栄ですよ。自称京都人。途中ででてきたにわか勢でわが国古典の教養がまるでないといってもいいくらいなのに、上流ぶる。しかも自称貴族の血統でもないだろうし。ただ現地にいるひとでなければ逆に恥ずかしい。現地上流はほとんど東京にきちゃったわけでね。きたらきたでいわゆる華族と称しだして身分制度を継続してたし。しかもそれも自業自得だし。徳川家は江戸にきてネ! なんていってねーべ。西日本やくざが徳川埋蔵金というかね、徳川家の統治機構ほしさに江戸城へ強盗にきたんだべ。すべて因果応報でしかない。しかもその後、函館くんだりまで攻め込んで、罪なき人々を大量虐殺したしね。西軍。陸なもんじゃないよ。天皇もだけど。

 まぁとにかくね、もし東蝦夷と書いたら、それはアイヌのうち東部の人々って意味か、おもに東北圏の先住人のうち東側の人々みたいな意味に一般になる。だけども、常陸国は一般には蝦夷という定義に古典的には入っていない。自称京都ができるまえから大和国の朝廷が編集していた風土記にちゃんとそう書いてある。だから俺の近所のところに勿来なこその関というのがあるわけだ。くるなかれというのは当時の朝廷権力がつけた名前に違いない。勝手に侵略にきておいて、先住人いじめをやって自己中にも北から南におりてくるなとかいっていた。だからそんな名前にしてんです。その南側にいるわけでね、私。だからアヅマエミシですらない。しかもさ、こっちからもし中華思想でみたら自称京都人ら、古代の南朝鮮移民こそニシのエビスとなるわけじゃん。西の野蛮人には西戎セイジュウという概念があるんだから。でもそんな中華思想まねてない。野蛮なのは民族差別する側なのだから、その意味では関西の方が、過去の中国と同じく、かねてより東日本より野蛮だとなりますわ。しかもまったくもって伝統的に。この意味では天皇一味は亡ぶね。馬鹿だもん。中華思想なんて真似てる時点でどうしようもないじゃん。その後はさ、イングランドら西洋王室の名目王政をまねてるじゃん。何度もいうけど全て自業自得と思う。我々はそんなのまねろなんて思ってないもん。この議論はラジオ講義の中でかなり詳しくやったのでやめるか。かなり詳細な議論が必要になりそうな気もするというか必要だ。新水戸学とその脱構築、いうならば脱水戸学か後水戸学で語ったわ。第二講義の終わりの方だった気がするが。脱水戸学か後水戸学っていえばよかったのか。まぁいいや。
 まとめていうとね、水戸学は尊王論の体系だった。正確には愛民論の側面もあったと言ったはず。儒学の仁政要素、いわゆる徳治主義を抽き出し純化して、神道と結合させた。つまり、尊王愛民といった色彩だった。因みに細かくはソンノウとよんで文字は尊王、王を尊ぶソンオウを尊皇、皇を尊ぶソンスメラ、と書く時もあるが意味しているのは同じ事だ。尊王攘夷論のときに歴史哲学の「尊王」用語を中国の春秋時代の尊王攘夷から借りただけ。しかし、自分はそれを批判し、そもそも『魏志倭人伝』(『三国志』30巻、魏書30巻、烏丸鮮卑東夷伝)や『日本書紀』あるいは鏡などの出土品によれば天皇以前にヒミコがいた様子だし、天皇家にもたさられたのではないとみられる漢委奴国王金印もあれば、先住権をもつ縄文人やアイヌや琉球人あるいはウチナーらは先住権を巡る統治権ももっていたはずなので、木簡の記録によると天皇と称する一味が出現する飛鳥時代くらいからヤマト国は乗っ取られたと言っていい。ちなみにいわなくていいことかもしれないが敢えていうと邪馬台国をヤマト国と読めるといってたのを自分が初めて確認したのは極右活動家の桜井誠氏だった。ラジオがYouTubeにでてきたことがあったので聴いてたら言ってて、一理あるとみられた。幾ら政治的に憎悪表現が多くてまずい人だとしても、学術面での貢献があるとすればそれはそれで認めるべきなのかもしれないのではなかろうか。ヒトラーの絵だって我々は知っているのだから。前衛絵画に対しては貢献といえるまでではないのだろうけども。桜井氏の憎悪表現をかばっているわけでは寸分もない。ただ、邪馬台国をヤマタイ国と読むというのは明らかに悪意ある曲解といってもいいのではないか。どこで始まった慣行なのかわからないが、素直に読めばヤマト国なわけである。こういうと、天皇家には不都合になってしまうから、つまり神道神話と矛盾をきたしだすから、といっても『日本書紀』辿ったらちゃんとヒミコって女帝なり女王なりがさきにいたみたいに書いてあるんだけど最初のほうに(『日本書紀』9巻、氣長足姬尊 神功皇后)。でも、その系統とは天皇の先祖は違うよという書き方にされている。だからこういうわけだ。神道という宗教教義はぬきに、ただ考古学の目でみなおすと、ここに新たな仮説をたてるが、ヒミコってのは日の御子のことで、ヤマトの国の女帝だったのである。そのひとかそのひとの系譜がなんらかの政変で倒れて、あるいは倒されて、あとから馬乗りしてきたのが天皇家の先祖だったと。ヤマト国はこの意味で2つあるかもしれない。前期ヤマト国はシャーマンあるいは巫女の女帝が治める国で、そのおさをひとびとは日御子と呼んでいた。後期ヤマト国はのち天皇家と名乗る一族が乗っ取ってしまい、前期ヤマト国の伝承をおおかれすくなかれ上書きで消してしまったのだ。この仮説を「ヤマトの国天皇乗っ取り説」「ヤマトの国前期後期説」としておく。このあたりの消息は、考古学の発展でよりくわしくわかることになるとみる。そうすると、前期後期よりもっと細分化してわかるかもしれない。遺伝学とかほかの側面からも確かめていくと、漢委奴国王と呼ばれていたのがどこの勢力だったのかもわかることになるだろう。前期ヤマト国がどこにあったのかはいまのところ北九州説と関西説がある様子だが、どちらかか、もしかしたら別の場所だったのかもしれない。
 たとえば自分のいまあげた仮説と違うのが、前期ヤマト国を偽王朝視しようとした本居宣長の説だとみることができる。それは天皇の王朝を神道神話にもとづいて正統視しようとしたことに加え、本居の生きていた当時すでに義公らが古墳発掘をしていた水戸学派側とちがって考古学が未発達で、直接の証拠を参照しなかった実証研究の怠りだけでなく、当人も文献学をおもとしていながらに次の確認を怠ったので出てきた彼個人の信仰と史実の混同による謬説とみられる。日本列島にはヒミコの系譜が明らかにあったのに、又『日本書紀』にはっきりそれを参照に書いてある箇所があるのに、つまり前期と後期で分裂あるいは襲名した2つのヤマトの国の系譜があるのは奈良のヤマト国で『日本書記』を書いている側にも充分認識されていたのに、本居はそれを偽王朝視して、史実といえるだろう点が示している外国側の文献記録との整合性を神話上の存在への注釈でとろうとした後期ヤマト国側の言い逃れをうのみに、真実を見逃したのだろうとおもわれる。シャーマンたる相続形式として前期ヤマト国と断絶があるからこそ、『日本書紀』では倭の女王ことヒミコを天皇の先祖と同定していないのではないか。そのことは、後期ヤマト国の統治正統性の根拠づけに、神話のかたちで嘘を書く側には不都合になってしまい、結果、別の王朝だということにして、本来はさきに別の王朝が外国からも承認をうけて統治正統性を帯びる前期ヤマト国を支配していた事実をごまかしてしまったのである。したがって、のちの明治時代、岩倉具視が明治時代の1867年『王政復古議』で定義した万世一系こと男系相続ルールは、奈良時代の701年『大宝律令』のち757年『養老律令』継嗣令書庫)での女系相続可で必ずしも長子相続ではないもとの天皇家の勝手に決めた相続ルールをぶっこわしており、しかも、それ以前に、彼らの世襲統治はヒミコ王権を否定している乃至別系統のものにすぎないのだから、もともと正統性がないことになる。さらにいえば、アイヌ、ウチナー、縄文人やほかの弥生人、あるいは古墳人らと異なる地域で異なる王権を勝手に名乗っていただけとみなすこともできるので、奈良地方の世襲政権が日本列島単位で唯一の統治正統性をもつ、とした義公・烈公・慶喜公ら水戸学あるいは旧水戸学の考え方は、本居も同時代人として或る程度似た考え方をしていたが、尊王論の系譜のなかで、当時までに知られていた考古学の知識で一生懸命考えはしたのだろうが、今となっては奈良時代の神話にみられる虚構まじりだろう記録以前のさらなる古代の、史実としての知識不足に足を取られて、統治正統性の根拠を見誤ったとみなしてもいいといえるのだ、と私はラジオ講義で嘗て言った。
 いづれにしても神道神話はその時点で考古学と矛盾した点が含まれるので、史実とみなせない面がやはり多い。いわばジョン・ロックの『統治二論』を現時点で335年遅れで直接援用してみると、天皇権力は神から与えられたものではなかったのだ。当然と言えば当然だが日御子が先にいて統治をしていた形跡がはっきりある様子なので、その人を先祖としていない神道神話は、統治正統性の根拠として、明らかに偽物なのである。

 幸福論から派生して新水戸学の領域まできてしまったが、更につづめていうと、というのも文字にするとこれ大変なのがわかったわ。口の方が手早くいえるね、なぜかはわからないけど。でもさ、文記録でもなにか残しといた方が確実だろうね。あの音声記録を直接書き起こす人がそんなに多くいるとはおもえないし。だから書いたけどさ、口語ではさらに詳細に議論していったのだネ。そんでさ、僕も最北端の北茨城市ではあるけども一応ひたちこくの旧水戸藩とされている領域のひとだからさ、その考えは新水戸学と定義されてしかるべきなのかもしれないと私はいって、その新水戸学なるものはこう結論づける。かなり詳細省くけど。天皇は統治正統性の根拠がもう失われているのだから引退してもらうしかないが、そのとき旧京都に帰ってしまうとまた復権を狙って、政治権力と一体化してしまうだろうと。だってそれで向こうだと千年はやってきたのだから。旧京都市が天皇一派と葵祭とかやって箔をつけたいだけじゃなくておもいっきり先祖がえりして、また全国を見下しだすことになるに違いない。だからこそアヅマエゾがぁとかどうみてもヘイトスピーチ規制法に抵触する憎悪表現をXでやってくる、時代錯誤男が現にいたのですよ。Xで「東蝦夷」で検索してみたらかなり出てくるからわかると思う。京都中心主義による東日本人ヘイトへの、僕のやった手厳しい批判ポストもでてくるだろうけどさ。関西圏の人々、特に今の京都府あたりの連中が平安時代から令和時代までまーだヘイトスピーチやってるのである。時代意識が千年は遅れているのが事実なのだし、大体それ以前には彼らは日本にはいなかった人達なのだ。南朝鮮の政変で亡命してきた流刑民が本国から追放されるレベルの悪事だか失政だか喧嘩じみた戦争だか政争だかをなかったことに、丸で自分達こそ日本人みたく過剰適応ごっこで、先住系の日本人を散々おとしいれる、いつもの構図ね。その悪い仕草を千年も継続し続けるとか根性のねじ曲がり具合はただごとではない。
 全球的にはオーストラリアも大英帝国の流刑地だった。佐渡島も流刑地として有名なところだけど、昔、愛媛県の松山あたり出身のホイチさんという人に、「四国は関西の流刑地だったから悪い人が多い」みたいな事をいわれた。ホイチ氏のその種の単純思考は、最近までXで、彼が「精神障害者分類の人々は凶悪犯が多いから社会的に隔離すべき」とどうしようもない主張していたり(それを差別あるいはナチズムと呼ぶ)、司馬遼太郎の小説をうのみにしている様子から明らかに水戸藩の人々に偏見をもっていてアメーバ・ピグでの初対面でそのひとりだろうみたくそんな藩もうない上に当時僕の母方はそこの最北部の街道沿いの小売商店主だったのだけど、地域民族差別じみた文脈でいきなり侮辱してきたり、色々思考に片寄りと、たとえば慶喜公が父祖から代々訓示された尊王の大義の為の自己犠牲の真意を到底理解してなかったり、随分貴いだろうもの、あるいは貴族義務をも下にみがちな癖があると自分にはおもわれた。それでわが品位にもとると感じたので、アトリエ観てみたいみたくいわれたけども、現実の友達にはならなかったのだけども――自分が客観的資料にみるには少なくとも江戸時代前期から水戸藩単位で有為な学者を集めてきたまじめな地域性が、茨城県になってからもつくば、水戸、大洗、日立などを拠点に相変わらず続いている様に思うしそれが「人口あたり研究所数」偏差値が85.76と一県だけとびぬけている最大の特徴の一つと思うのだが(書庫)、彼は虚構のなかでそんな集団を陥れる様な偏見にみちた何かを読んだらしく、そう正面きってまともには全然捉えていない様子だった――。まぁとにかく、ホイチさんは自分が一度しか行った事がない四国について少々語っていた。自分はしかもフェリーに夕暮れごろのって対岸に渡って、厳島神社とそこからもといた夜の神戸の街並みや道端をうろつく鹿をみたら、『平家物語』のなかの源氏がたよりずっとすぐ去ってしまったのだが。20代前半の頃、一人旅で行った時以来あまり縁がないその四国の人として、彼は愛媛人のあいだで色々いじめられてきた様子だったで本当に関西流刑地感を彼としては感じているのに違いないのだが、勿論そこには極論はあるとはいえ、豪州の白豪主義的な要素が皆無ではないともいいきれないかもしれない。流刑された人々がもたらしたなんらかの影響がまったくないとはいえないとおもう。それは関西地方に、白村江の戦い以来の任那・百済移民がきて、明らかに渡来文化の影響が残っている事と同じ構図とおもう。このことは今後もとても重大な問題になるとおもうから絶対に言及するかいがある。というのも、今後の地球はますます異民族間の交流が盛んになっていき各地に移民町の様なものができあがることになるだろうからだ。そこにきた元のくにの影響が確実にのこる。このクニという表現だが、今はネーション・ステートの意味で使ってる事が多いが、もとは「お国柄」みたいな文脈に意味が残ってるけど、ふるさとのサトという概念に近い意味でつかわれていた。水戸の徳川家の今のご老公が講演でこう仰せになっていた。藩って言ってなかったと。本当はクニといっていたらしい。ヒタチのクニ、ミトといっていたと。江戸政府の御三家、こと天下の副将軍がおっしゃるのだからそのとおりなのだろう。廃藩置県の前に版籍奉還というのをやった。どうもあのときにうまれた地域名なのかもしれない様子です。日本史の普通の教科書だと常識的に「幕藩体制」とか書いてあるが、お殿様のもっている文献記録とか家の中での言い伝えからすると違う様子なのだから、歴史学者がまちがってるのかもしれない。そのうち教科書から、その用語が出てきた時代も誰が言い出したかもばれて、消えるかもしれない。

 で。
 もとの話の筋にもどるが、新水戸学と称して私がいわんとしていたのは、天皇引退後どうするか? という話。その話をしてたのは1年から1年半くらい前かもしれないが、当時想像できるかぎりあらゆる角度から色々検討した結果、尊王の聖地といえる水戸で一般人としてお暮らしになられれば、誰も責めないのではないかというものだった。そしてこのことは既に請願法を使って皇室に自分が建白した。自分の仕事の速さが分かりましたか? 自分は講義で言った。ヘーゲルの名言を脱構築し「磯原のセミは夜明け前に鳴きだす」。セミはヒグラシだからヒグラシでも可。先憂後楽のいいかえ。自分は仕事は速い気がする。しかもね、10年以上落ちのおんぼろPC使っててそれ。だから最近、最新PCにかえようとしてるのね、そしたら仕事の速度が千倍以上ははやくなるとみている。今年から来年までにはそうなるだろう。どうせウィンドウズ11に移行するしかないので。自分は物を修理しながら大切に使うみたいなのが好きなので、本当は何度も直しながら永遠に使いたいわけだが、インテルのCPUの、またはTPM2.0のついていないマザーボードだとそうはいかないというところがいまある。それらが瓶首になって、アップデートはかれない。誠に残念なウィンドウズ11のデフォルト・インストール設計。だからできあいのを買うのだとダメなんだなともうわかっている。メンテナンスを長期的におこないながら自分で修理し続けて使うのを前提にすると、僕がいまつかってるDELLのPCだと、特にインテルCPUのだと根源的に無理があった。英語圏で色々検索してみたのだけど似たこと言ってる人をみつけたが、充分つかえてるのにTPM2.0マザボ有無問題で強制引退させてくるマイクロソフトの方針はいかがなものかと。でも、この点をかえりみても、パーソナルコンピューターには文字通り、個人のマシンとして生き方が現れる気がする。

 とりあえずここまで書いて思うのだが、この口文一致随筆シリーズは、冗長になる傾向はあるが、あのね、およさんという人にXでなんか応援されたのだが、なぜか通知でてなかった。通知きったからかもしれない。通知はね、きっといたほうがいいかもね。長らく色々試行錯誤したが気が散るので。しかし切ると応援にすら気づかないことになる。でもつけとくと議論したところで敵意しなかく愚にもつかないそしり系のか、一々がっかりしかしない釣り系のが頻繁にでる。ちなみにクオリティフィルターはつけといたほうが、そしり系アカウントの通知が内部で減点式かなんかでマークされてるのか、そもそも出ないのでラッキーだ。でも今のX通知は欠陥品だ。なのでどうしようもないのだけども、まぁ基本的には切るべきに思う。だれだって知らない人から毎日ピンポン押されてたらまともに仕事にならないと思う。そのひとたちが悪意で満ちた犯罪者だらけならなおさらだ。で、なんらかの方法で重要な知らせは知る必要があるのだろうが、そっちになんか工夫はすべきなんだろう。で、冗長さは情報学の面だと、寧ろ望ましいのだろうが、口語に比べて一般に文語は或る種の冗長性が減りがちかもしれない。なぜなら口調とか抑揚とかの陰影がへるからだ。すくなくとも今の日本語の文語だとそれらを記述できない。しかし、文語の長所があるという事は先ほども述べたが、はっきり読み直せる形で文字が固定するという事だと思う。しかも、音声に比べるとそれを自動音声などで読み上げても再現可能性が高いし、聞き取りづらい現象が発生しづらいから、情報ロスがへる。いわゆるデリダの定義した差延、つまり解釈の余地が幾つも生まれるという点では口語も文語も本当は変わらないのだろうと思う。ただ、デリダがいいたかったのは、次々会話なり対話なりを続けていくという西洋哲学の論理中心主義の方式だと、差延はどちらかなら口語において無視されがち、ということなのだろう。解釈が一つに単純化され、それを前提に論理のやりとりがぽんぽん続いていく向きが西洋語の範囲だとある、という話なんだとおもう。まぁ日本語だとしても、議論のなかみが学術の話題のときにはそれに近いことが発生するかもしれないし、裁判ともなると、解釈が論理的に単純化され易いから、ソクラテス裁判みたいな誤審にもみえるものに場の空気などで誘導され易いということは日本でも確実に、言えるとみる。だからデリダが言った事には一理があるが、どちらにしても本当は、口語での独白の様な形なら、聴取者に差延は発生すると自分はみる。で、この節でいいたいのは、とりあえず一度きって次の文につづくことにしよう。