徳川慶喜や松平容保らは命懸けで山背の町とその住民を部下と共に守った。所が、自称天皇一味は彼らに濡れ衣を着せ、また山背人と共に、逆に国元を侵略してきて実際に罪なき人々を数千人も虐殺した。しかも自業自得で山背は衰退した。それから150年経っても山背民は東蝦夷などと東日本ごと差別している。
これらが客観的に意味しているのは、山背地方の人々は天皇一味はじめ極度の悪性で、当然助けるに値しなかったという歴史的事実である。悪魔の如きものを助けるという事自体が甚だしい悪業なのである。将来の人々は決して同じ過ちを犯してはいけない。