上座部仏教や大乗仏教は日本などの地域仏教と共に誤った教えで本質的には原始仏教に全てが劣る劣化コピーにすぎない。釈迦の説いた原始仏教がそれらの原型だが、本来は集団的絶滅を目的とした世捨て人の人生哲学で、反出生主義の諦観教義である。よってこの思想体系は繁殖する一般俗人と対立する。
親鸞の唱えた悪人正機説は、元来、殺人などの戦闘行為と不即不離の防衛・警察階級を兼ねていた武士救済を図る目的のものだったろうが、元の釈迦思想が解脱目的の絶滅教義なので、親鸞側は繁殖を正当化した所に最大の歪みがある。輪廻によっては救われえない、というのが親鸞へ釈迦が言うべき事だ。
見方によっては、釈迦の考えは狂気を孕んだ異端な倫理学説で、本当に彼の教えを実行していけば、人類は確実に全数絶滅する。自殺は否定していたとしても集団絶滅を目的とした人民寺院の原型ともいえるその教義は、人類全般の愚かさへの絶望を起因としており、一種の脱世間の極論だったといえるだろう。