2024年3月24日

集団自決と『葉隠』の関係

『葉隠』は江戸時代なかごろ(1716年頃)佐賀の山本常朝の考えを聞き取ったものと思いますが、その中で主君の為の殉死を勧めている箇所があり、現実に佐賀では、殉死の風習が明治4(1871)年まで存在しました*1。
 集団自決は一般に名誉ある死を美化する概念なので、『葉隠』と関係はあると思います。

 勿論「殉死と高齢自責の集団自決」は一般に違います。また私は成田氏のネオナチ的大量虐殺論に、主に人道や人権擁護の点から反対です。
 私の指摘は、『葉隠』にみられる佐賀の人々の死生観が薩長土肥の藩閥として築いた日帝の美学に不可避に組み込まれ、集団自決の美化に至った倫理思想史の一幕です。
 成田氏は、『葉隠』で「武士道とは死ぬ事と見つけたり」などと語られる、死を時に生より重く見る美意識や倫理観を発言内で直接引用し、文脈をくみかえつつ、日本の伝統的美学に訴える形で、老人に自ら集団自殺するよう誘導していた。それは自殺教唆罪ですし、彼はサイコパスの狂科学者だと思います。
 思うに、成田氏は名誉ある死という『葉隠』の概念を、国を想う心というナショナリズムに結びつける形で、世代間格差や少子高齢化の課題を解こうとした。彼自身は人文学に異常なほど無知で、また強烈なサイコパシーもあるので、大量虐殺が解答として人倫的に狂っているとの自覚が持てないのだと思います。

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参考文献
1) 佐賀藩10代藩主・鍋島直正の後を追って3日後に殉死した古川松根の例。
谷口眞子『佐賀藩の殉死にみる「御側仕え」の心性』2015年、早稲田大学高等研究所紀要。