2024年3月16日

自文化植民地主義にすぎない亜流異端のアジア副文化である関西文化の否定と日立文明独自性の啓蒙

昔、高校同級生のテツ君という人が、山背を一緒に歩いてて外人に道きかれたとき英語で答えてしまったので、自分は(日本で英語で答えられたら日本ぽくないのではないか)と感じ、英語で答えていいの? みたくきいたら、彼は「言い訳臭いな」と言った。
 今からふりかえっても彼は全て間違ってると思う。

 ナカムラ・シュウジという山背の人がノートやXで書いてたが彼は英語が話せない山背人を見下す描写を沢山する。テツ君という人とそっくりの精神的態度だが、要するに自文化植民地主義の一種だ。彼らは欧米劣等感をなぜかもっていて、英語できる方が上位とすっかり思い込んでいる。必要でない時ですらだ。

 自分は文語ならある程度できるが、英語が相当できる側からみても、決して英語が読み書きできるという事は上位の目安ではない。植民地侵略の余波で事実上の国際共通語になってしまっているとはいえるが、英語は言語としてみて不完全なもので、他の言語の陰影を全て表現できるほど万能の体系では全くない。

 彼らのもっている精神的態度は端的に結論すれば悪だといえると思う。その悪は世界の文化多様性をへらしてしまう事にあるが、その理由は長い物には巻かれろ式の自文化の自己破壊にある。その様な民心は関西地方では古代の段階から普通だった。彼らは天皇の皇帝擬きや多神教制度を含め中国からまねた。
 テツ君は大阪から福島にきた人だった。先祖は知らないが、しらずしらず自文化植民地主義を関西で身に着けたあとなのではなかったか。自分は直感的にそのおかしさに気づいていた。ナカムラ氏にもそれを軽く伝えたが彼には何を指摘されたか理解できなそうだった。
 関西文化の根に致命的歪みがあるのだ。

 関西地方の諸文化は中国やインドの表面だけのまねごとでできている。だからどれもこれも偽物だ。それに気づかない人々は広くアジア文化を学んだ事がないだけにすぎない。所詮は亜流なので、異端アジア副文化の位置づけに終わる。
 僕はそんな悪習を身に着けたいとは思えない。日立圏は独自の文明だ。