2024年3月18日

『源氏物語』の人権や性道徳を加味したまともな解釈とその結論

衆愚は読解力がないので『源氏物語』の内容は読めない。読めないばかりか読もうともせず、仮に読んでも中身を理解できない。中身を理解していてほめているとすれば倫理観が元々ないか性道徳が欠如している。つまり、NHK含め知ったかぶりの俗物で、皇族犯罪を賛美し作中被害者を辱める恥知らずである。

 茂木健一郎は『源氏物語』を読んでいない。無論中身も理解できていない。それなのに世界一の小説だなどと口をそやして褒めちぎってきている。彼ほどの俗物も珍しい。彼はイギリスのアーサー・ウェイリーが東洋主義文脈で、皇族の性犯罪の話を曲解・美談化し、ある種の誤訳で国際的誤解を招いたと知らない。
 作中の全女は辛うじて藤壺中宮を除く全員が不幸になる。また当女と夕霧の正妻・雲居の雁を除くと男皇族らと性合意を持っていない。それにもかかわらず、作中で皇族男らはひたすら性加害を繰り返す。つまり皇族男の連続性犯罪事件の描写なのだ。
 それを美化する連中は完全に頭がおかしく極度に悪質だ。

 日本語で書かれた文章を理解できない母語を日本語とする日本人らは、いわば極端に学力が低いので元々、一般学術討論の類は殆ど何もできないと言っていいだろう。よって茂木も文学解釈の議論の俎上に載る以前の低学力とみて、世間は完全に無視しなければならない。
 本居宣長の解釈は一種の悪徳賛美だ。
『源氏物語玉の小櫛』で本居は単なる芸術と当話を捉え、不義密通や児童誘拐と強姦を含む性加害及び姦淫罪の描写で埋まっているこの希代の悪書の倫理的非難を一旦保留すべき事を説いた。だが同時に当解釈を芸術至上主義の一種と限局すべき事も説いているので、無謬化したわけではない。無論美化もしない。本居は当悪書を悪書として捉える事が必要だと言った。その種の悪は平安時代の平安京で現に見聞きした事の抽出なので、作者はいわばアダルトゲームの主人公の様な皇族男らの乱倫模様を素直に書いたが、その人として理性のない劣悪さをありのままの人間性と見るべきだと説く。山城政界の腐敗の内情分析だ。

 以前ある女が当話を「虫みたい」と言った。自分の感想もよく似ていた。古代の山城国こと今の京都府の地域住民は、天皇家はじめ、まるで虫けらのよう理性も道徳もない野蛮状態で生きていた。だから性になんの抑制もなく、交尾目的に性犯罪を繰り返し1人除く全員が強姦被害者になり、自殺未遂者まで出る。

 東京や関西民衆はイギリス人一般と同じ極度の野蛮さで、当話の中身を理解できるほど知能が高くない。無論、道徳面でも古代級の低次元だ。だからこそ彼らは虫の如く自己抑制なき皇族男らの性加害を称賛し、被害者らの泣き寝入りを正当化するだけでなく、自殺未遂者へも重ねて辱めを行なって恥じないのだ。

『源氏物語』解釈をめぐり関西や東京及び天皇と称する一味が、アーサー・ウェイリーらイギリス人一般と同じく人権未満の野蛮人なのは以上より明白なので、彼ら乱倫の徒が世界から滅び行くべきものどもなのもまた一切疑念の余地はないだろう。蛮族が幾ら暴力でのさばろうと美徳の前では無意味でしかない。