2024年3月19日

低品位で人気の現代アートより高品位で真価の確かな地元古典美術を重んじるべき事

会田誠の女性殺戮画や村上隆の自慰像などは本来美術こと立派な技と呼べる代物ではないが、藝大位階制や欧米競売界という悪の組織は彼らの駄作を立派だとか完成されているとか皮肉の文脈では必ずしもなく言い繕わせている。現代アートが時に尊敬されえないのはその種の詐欺が公然と横行するせいも大きい。投機的現代アート信仰はある種の邪教とみなせる。また藝大位階は殆ど実態と乖離し、技の品位の目安に凡そ機能していない。これらは表現多様化がもたらした必然でもあり、これといって優れた審美基準のない状況では醜聞狙いの売名の徒が誤って人気を得る証だ。京都市や東京都は偽物の高値掴みをしている。
 もし優れた審美基準に充分な過去の全時代・国際美術研究からきた確かな自信がないとすれば、下手にわかりもしない現代アートに文化行政が手を出したり、知ったかぶりしたりせず、寧ろ行政人にも充分に理解できる古典美術を収集・展示すべきだ。特に体系化しないと散逸し易い地元関係のものが望ましい。