2024年1月19日

女は神ではない

日本で貞操観念のまともな女というのは、自分は1人も見たことがない。つまり、性的に不埒なのは統計的にも婚前交渉を罪と感じないあばずれた日本女の約8割なのだが、女ひいきが世界一ひどい極端な男性差別国なので、往々にして男が加害者扱いされている。
 欧米フェミニズムを直接適用しようとする人々が、日本の特殊状況に深い理解がないと色々な摩擦が生じる。日本人全般の問題は寧ろ、女権が乱用され、男性の人権が無視される傾向であり、しかも女権を更に強化しようとする末路は少子化絶滅である。
 男が子育てしても日本女は陸に子供を産まないだろう。
『源氏物語』は皇族男性が姦淫罪を繰り返す話だが、平安時代からこの権力乱用猥褻物を日本女一般は無闇にもちあげるきらいがある。それは彼女らの本性が悪で、悪男に発情し易い卑しい根性をもっていたせいだ。
 だからこそ、貞操や純潔を主題にした物語より、姦淫罪の正当化を古典に選んだのである。

 山川菊栄『武家の女性』や新渡戸稲造『武士道』には、貞操を懐剣で守る義務があった武家の女らの様子が記述されている。しかしこの貴族義務のある階級は明治維新で消えた。残ったのは人口の約9割を占めていた性道徳をまず持たない階級だった。

 皇室が性にだらしなく自堕落だったのは以前からなので、模範のない状態で、日本女全般は無限に堕落できるようになった。更にロマンチックラブ理想論やフェミニズムが欧米から到来し、彼女らは発情淫行を果てなく続ける目的で、国柄をけがす様になった。
 最近は性加害冤罪や通称「二毛作」が流行りだ。二毛作とはネット俗語で、若い頃は売春で、年寄ると性加害冤罪で金儲けする戦略をとるか、そんな状態に将来見通しの甘さや貧しさから必然にいる人々の人生観を抽出した揶揄語の様だ。つまりは、日本女の相当数の間で本意の売春が行われているが、のち被害者面する二重基準の女権乱用への批判なのだろう。

 松本人志叩きをしながら姦淫本『源氏物語』全編を読まずに礼賛する茂木健一郎の極度に矛盾した論理は、その原因としてスノビズムを除くとただのサイコパシーに違いないのだろうが、同時に、日本女全般側の加害性を阻却するオリエンタリズムへの媚びや欧米フェミニズムへの同調もあるだろう。
 スコットランドの日系𝕏民らしき久保山尚という人が、職業差別同然に性産業を否定していた。性売買罪批判だけでなく異文化蔑視が内在されているので、複雑な反応を引き起こしバズっていた。問題は、日本に一般性道徳の基準がない事なのだし、違法業態の加害者は本意で売春する女側でもあるという事だ。

 もし特に生産労働に追われない知識人なり文化人なりのうち、倫理学に熟達もしていて貴族義務を感じる人がいれば、自分もそこに属す気がするが、自らの心のうちなる誇りを持つ必要がある。
 自分はある愛知の女に性器の写真を要求されたが断った。以前、別の大阪女にも同じ要求をされたがやはり断った。今の日本女全般は不貞に驕っており、彼女らは2名とも逆上してきた。自慰目的に男性器を見たいらしいのだ。しかもリベンジポルノをする可能性は著しく高い。女権乱用しかしない筈だ。性器を送りつけられたなどと事実とは逆をいう可能性が甚だ高いと見通し、自分は哀れな彼女らの浅知恵や発情を無視した。結果からしても自分の洞察は正しかった。こと愛知女の方は、やはり悪性者で、別のネット荒らしとつるんでやりとりを晒している様子であった。自分に都合が悪い箇所を捨て、リベンジポルノ目的で発言などを切り取り、さも被害者ぶるという卑劣な性加害手法は、日本女全般が常用している最新の悪事だ。

 松本や茂木、久保山らがどういう意図で、日本女を信じていたのか自分にはわからない。しかし現実に彼女らの中に、貞徳を持つ者が何人いるというのだろう。自分は1人も見たことがないし、おそらく絶えて久しい。
 悪魔を信じる者は破滅する。不貞な女にはそれにふさわしい末路がある。女は神ではない。