僕が間違ってなければ
言葉にはセンスというのがある
だから美しい文を書ける人がいる
僕はシェークスピアのソネッツに感動した
それは単に何かとにかく美しいからだ
まとまっていて綺麗な感じがする
モギケンは文法はどうでもいいと言った
書家へ日本をダメにする輩だとも言った
それは全くの間違いだ
試しに英文を書かせてみるがいい
日本人だろうと何人だろうと構わない
それをとりあえず読んでみよ
ところが既に美しいのがある
読み易く内容もわかるし修辞も構文も巧い
文法が基礎にあるのはいうまでもない
モギケンは自分が美文家だと思うのか
僕は彼の英語ブログ読んだが読みづらかった
感動もない
チャールズ国王の皇太子時代の本
幾つか持ってる
読んでみると分かるが
とても英文が美しい
日本人ですらそれが分かる
まぁ正確には読み易いというべきだが
多少お世辞言いすぎたが整ってるのは確かだ
だがモギケンの文は終ぞ「別に」だ
当人は威張る
日本人に英文学なぞ分からないと踏んでるのだろう
漱石は英文学が分からないと言っていた
といってもほかの明治人よりは読めるだろうけど
問題は美的感覚が分からないという事なのだ
確かに漱石の英文に美しさは感じない
僕も昔は陸に分からなかった
いつかわかるのか訝しがっていた
今では大分わかる様になった
一度つかめれば別に不思議もなかった
日本語で書いた文にも美がある
勿論こどものころからすぐわかる
優等生が書いた文は大抵読み易い
なぜなら書き方が整ってるからだ
でもそれでは不十分で個性も要る
大体同じ様な事が英文にもある
漢文にもあるしどの文にもある筈だ
まるで独特の絵の様に
まるで歌う様に書ければいい
流麗ならなおいい
もしあなたが英語圏で産声を上げ
そのまま英語圏で育って英語で書く
そのときなんでも言えたら
しかも完璧に心を語れたら
できたら興味深く潤しくしつらえられたら
それは麗しき文だろう
日本語と構図は何ら変わらない
できる人にはできるし
そうでなければできない
ただそれだけだ
文は人で才能もある
美しい文章を書きたい
何しろそういう文が好きなら
文学が好きなだけでなく
最高の文芸を探しまた触れてきていたら
感動と共に読み
いづれ自分も先人らに混じれたら
偉大な語り部
歌うたいの一人になれたら
それはあなたに文が分かった時だろう
少しは書けるではなく
完璧に自分らしさが出せた時だろう