2023年1月21日

茂木健一郎の自己中心説あるいは新世界精神論批判

またもぎけんがいい加減な事いってた。今度は新世界精神論みたいの。あのさ、自文化中心主義は分かったよ。それを東京や京都からやるから迷惑なのであって。天皇家が公害なのであって。大英帝国と英語帝国主義が害悪なのであって。文化多様性を破壊してきたのであって、佐賀勢が。まーた幕末西軍礼賛で。

 毎日もぎけんによる公害論の世話、親の世話、ミキの世話だからね僕の人生。世話人生か。
 新世界精神論って何かって? なんかね、元々もぎけんは埼玉から東京に出て田舎や地方が何もないとか抜かしてる下衆がうざかったんでしょ。唯の無知だからね。又は感受性が死んでるか。頭も性も悪い偏見まみれで。
 いつもさ、西日本人が口を開けば吉田松陰礼賛。馬鹿かと。侵略主義者ですよ。引き倒されてたろ、イギリスで銅像が
 松陰像とか引き倒されない理由が分からない。西郷像とか引き倒されない理由が分からない。民度が低いからでしょ。逆に礼賛してるからね。民衆が悪質だから。

 東日本って絶対ましじゃないの、但し南関東を除く――西日本だよ、松陰像だの西郷像だのを作りまくって引き倒さないのは。おかしいだろ。植民地侵略主義を偉い偉いという。
 ものすごく性がわるいから永遠に反省しえないんじゃないのか。原発公害も同じだしな。福島の気持ちを絶対思いやれないんだから。
 南関東除く東日本勢が相対的にましなのは確かだが人道面では絶対的にかもしれぬ――だって福島原発事故を経験しといて、再稼働だとか汚染水垂れ流しだとか、大量の難民が目の前にいてやれるわけないでしょ。いや、仙台勢もろくでもないけどなその点。なめすぎです、隣の自治体での大規模人権侵害を見つつ。

 世界精神論とかね、アホの説だからね。アホのヘーゲル説。酒飲みだったらしいけど唯のドイツ民族中心主義であってのちナチ台頭を招いた。しらないのかしらねぇもぎけんはそれを。岩波文庫の『歴史哲学講義』もってるけど、ヘーゲルは激しく自己中心的だ。自己中度が高い人って相手の立場で物を見れない。
 僕のYouTube講義でも散々やった箇所だからもういいや。そっち聴いてほしい興味ある人は。一々同じ説教し続けるのは、やってみたらわかるが段々慣れてくるから簡単にまとめられる様になる利点はあるものの、やってる側はめんどくさい。だって同じ事なんだもん。
 もぎけんは人文科学の素人だからヘンテコな事ばかりいう。人文系をなめてるのだろう。僕は教養学部だから渉猟的にやっている為、色々彼のおかしさを感知して一々聞いてると疲れる。しかも突っ込んでると1日終わる。去年とかほぼ1年潰れた。
 もぎけんはみんな劣等生とか言うが人文学的には彼こそだ。

 一言でいうか。
 もぎけんは自己中で良い、といった。それは彼が普遍信仰を持ってるせいだ。普遍信仰とは自然科学主義から引っ張ってきた彼独特の考えで、普遍性をもつ物を個別性をもつ物より高く評価する観念論だ。
 これを比較文化にあてはめ、遂には自文化中心で自己中心的に行けといいだしたのだ。
 話すと長いのだろうが極度抽出しまとめると、人文系学問分野では文化多様性を過去・今・未来、或いは国々や集団の差に依らず概ね一般尊重する向きに総じて思想形態群が進歩してきた。この為もぎけんの新世界精神論こと自己中心主義は同時代思潮を逆行しているのである。
 彼が真に言いたいのは別の事だ。
 実はもぎけんがいわんとしたのは「どこも地方色あっていいじゃんね」という素朴な郷土愛の文化多元論にすぎない。じゃあそういえばいい。所が、彼は人文学の用語が巧く使えないので、というのもそっちの勉強は本格的に殆どした事がないからなんだろうが、素人言語で急に極論に行きたがる。革新的ぶって。彼は人文学領域では、絵描き界で比喩すれば「和風ラッセン」的位置づけにある。なんか新鮮な色なのこれ? みたいな風にみせかけているがそれはアダルトゲームの背景画と殆ど変わらぬ色使いの新海アニメにすぎない。似た様な事は人文界一般にもあって、なんか凄そうだけど実は高校現代文テスト級とかだ。高校現代文テストは、評論に関する限り毎回まぁまぁ面白かったので出てくると楽しみですぐやってた系の人々にはすぐわかるだろうが、あのレベルの評論というのは高校生が読んだらギリわかるくらいの独特の低次元さがある。なんちゃって哲学みたいのが多いが、ある種の優等生作文で非常識っぽさもある。勿論小林秀雄とかそのレベルなのはいうまでもない。本格的に哲学やってる側からすると、そりゃあかなり無視している。だって中身がないから。高校生がテスト時間だけで解くならあれでいいのかもしれないけど、本気で読書したい人があれで終わってたら、将来息子が成田悠輔になっても誰も責任はとれない。もぎけん、今度は自己中心説を唱えだす――これが今日のテーマだが、そんなの哲学系YouTuberじゅんちゃんですこと政治家悪口金儲けチューバーとその視聴者層、ともぎけん信者層以外にとって特に興味もないだろうから、手短にいうと、世界精神論級の巨大な話にするとまーた自文化の絶対化が始まってしまう。

 自文化の絶対化の何が問題なの? それはひろゆきが沖縄座り込みヘイト、うちなーぐち(沖縄弁)ヘイトしても「それはヘイトではない(だってスピリチュアルな精神論だから!)」とかマリコとかいうもぎけん信者にいわれてげんなりしたりしなければ、気づかないのかもしれない。ひろゆき素人は救えない。要するに唯のポンコツが自分が全てだと言い出すに過ぎない。その中にはもぎけん得意の幕末西軍侵略主義・植民地主義・無政府恐怖主義も含まれる。勿論いつもの本居宣長発・小林秀雄経由・もぎけん着の自民族中心主義的性道徳否定も含まれる。慰安婦問題とか彼は根本的に反省しえない。今が全てとか言い。歴史否定論とかもぎけんが言った事の内でもいづれ海外で大炎上しだし致命傷になるのは絶対確かな事だ。そしてそれはもう手遅れな起爆力で、というのも彼自ら日本語でも英語でも拡散してるからだが、そのうち成田集団切腹論と同じくウィキ項目を賑わせる事になるだろう。ホロコースト記念碑の写真と共に。この項まとめると、私はもう忠告はした。起きてすぐ朝からやっててまた夕方まで潰れた。毎回これ。だってさ、科学者倫理がある。歴史否定論とか放置してどうなる? 南京事件被害込みからかいギャグの国におちぶれるだけだ。『夜と霧』や『アンネの日記』は『南京暴行』と共にもぎけん脳内棚にはない。