2023年1月23日

人権未開な物の哀れ論者らと旧平安京から現れた京都勢

モギケンは世間が三浦瑠麗の「世俗的成功」をねたんでいると思い込んでいるらしい。もしこの推察自体が正しければ、モギケン自身の主観には彼女と世間が多分そう見えているのだろう――それは彼が「世俗的成功」を求める人だからだろう(およそ彼の主観の投影の一種として)。また、彼が三浦が「女だから」手厳しく非難されると思い込んでいるのも、彼が一般資料を人間洞察より優先しすぎなせいなのだろう。
 現実には、世間の良識派は三浦瑠麗が人道と政略を誤った皆兵論者であり、良心的兵役拒否権を侵害する悪魔的論客だから、平和主義の観点から彼女の安倍御用学を通例非難してきている。
 また、彼女が世間の相当数に嫌われがちなのは、高慢ちきだからに過ぎない。都会風を吹かせさかしらぶって嫌われない方が難しい。

 モギケンの返信欄などで以上の世知を何度指摘した所で馬耳東風だった。馬の耳に念仏を唱えるより多く、私はその計画を試行したので、恐らく誰より完璧によくわかる。エラー反応が返ってくる割合は9割を優に超えている。彼は人間が巧く理解できないのである。国語が苦手だったと言っていたし実際余り読めていない。
――『源氏物語』で浮舟は望まぬ相手に強姦され、悲しみのあまり自殺するが失敗、その後も俗世にいるのを憂いて出家し、長く息苦しいあの悲劇は終わる。一体それは作者が「物の哀れ」を美談として描いたからだろうか。
『源氏物語玉の小櫛』等の主著で反道徳主義にちがいない「物の哀れ」論を唱えた文芸批評家・本居宣長、のち著『本居宣長』で彼の説を礼賛した小林秀雄、彼らを偉大な先人扱いする教条的追随者である茂木健一郎。この者どもは人の気持ちが分からぬ人間で、心も、そのもともない。

 もしモギケンのいる東京都や、小林秀雄のいた神奈川県が軍隊を作ったら、或いは元舞妓による子どもの権利侵害の訴えを無視する京都府が軍隊を作ったら、本居宣長のいた三重県だってそうかもしれないが、また慰安婦問題をまきおこすだろう。何しろ彼らは「物の哀れ」論で開き直っている。人権未開なのだ。原発推進かつ汚染水と放射性廃棄物を契約違反・人権侵害で立地自治体・被災地へ押しつけたがる一経済学者・池田信夫や、同じく原発推進かつ汚染水被災地おしつけの一自民党員で東日本大震災時旧民主党員だったモナ男こと細野豪志も、京都からでてきた。そのまま福島県民らの人権を大規模に侵害し続けている。繰り返すが、京都は今も人権未開で、子どもの権利条約等を順守するつもりがない。だから元舞妓の訴えを無視し、市長を盾に開き直って陰湿に潰しにかかっている。古代平安京のつもりで。