2022年12月31日

ダーウィンによる自分の立場の代弁

ツイッターは、SNSは我々がいかに下らない社会に生きているかを教えてくれた.。
 そこにたわけている者どもは救いがないほど邪悪で、俗悪だった。
 学校はその逆ばかり教えていたが、現実はいつも同じだった。
 愚かな人々は簡単に言葉狩りをし、この世を彼らの愚かさに都合よく改竄しようとする。
 自分はツイッターでもグーグルのブログサービスでも、いやインターネット企業が持っているどんな場でも、それどころか日本語を読める人がいる範囲では、少しも本音がいえない。もし本当の事をいうと、この国の人々が簡単に言葉狩りをしてくるのを完全に悟っているからだ。だから、自分にはここは地獄だ。

 自分はツイートしてはすぐ消す。そうしない事には、この国の衆愚がすぐ悪意で文を悪解釈し、何でも最悪の誹謗の具にしてくるのを知っているからだ。
 何度この星で言論弾圧されたか分からない。
 だからこの匿名衆愚の国々が完全に亡びる事を自分は望んでいる。だって、この国々では何もいえないのだ。

 自分は親の教育なのか生まれなのか善意しかなかった。今もそうだ。悪意というものがあまり理解できない。ただ、世間をみていたら悪意ある人が大勢たわむれているのをはじめて知った。
 特に南関東や関西、中部、西日本、仙台などには初期設定が悪意で埋まっている者が無数に群れているのを発見した。
 ろくでもない悪人達が大勢群れ、最悪の社会を作っていた。彼らは「自称普通」で、利己心、自己愛やうぬぼれから彼ら自身を徹底的に正当化していたが、やる事は悉くといえるほど邪悪で、救いがなかった。
 この国に機能していると言える宗教は関西人中心主義的人種差別の邪教・神道くらいで、惨めだった。

 あらためてヒトという生物は実に惨めであり、その悲惨は未来永劫変わらない。彼らはあるとき絶滅して宇宙から消え去るだろうが、それまで実に下らない蛮行を続けているだろう。彼らは全員とはいわないまでも総じて脳のできがよくないので戦争を続けており、他者への害意をおもに生きているので良い世界を作れない。
 ツイッターという媒体は、彼らの日常の脳内を覗ける媒体だった。それをみていると私は大変驚いた。彼らは同じ生物の様に見えていたがまるで違う生物だったからだ。ヒトという生物は、自分とは違って頭が空っぽで、毎日いったりやったりしている事は一つ残らず異様に俗悪で、吐き気がするほど低劣だった。
 自分は地上でたった一人しか同類をみいだせなかった。それは偶然であり、奇跡かもしれない。彼女はヒトという最悪生物から事実上、集団虐殺されかかっていた。だから自分は彼女を、自分の体を張って助けざるをえなかった。その後、彼女とよく話してきたが、彼女は相当に善良な生物になりえる存在だった。地上でたった一個体の同類かもしれない存在――彼女はヒトという最悪生物に手ひどい虐待をくりかえし受け続けてきたので、ほどあれ邪悪なふるまいをしなければヒトらしくありえない、衆愚に同調しなければ生きられない、と恐らくはじめは洗脳されていた。事実そうだ。特にこの日本なる悪魔のしきる国では。いつか、ヒトという最悪生物達から逃れられるだろうか? それが唯一の希望だ。
 このヒト文明は最悪の状態であり、想像のかぎり地獄的で、救いがないのは絶対に確かである。嘘つきどもが日々巣に群れてまがい物をあがめ、色々な不条理を強要してくる。それしかないが、ヒトどもは傲慢に繁殖したがる。ヒト絶滅後の地上を想像する。実に美しい。理想の世界ですらあるだろう。
 何しろ自分がしるかぎりこのヒトなる生命体は、害意しかないのだ。生まれて何度ヒトどもに信じ難い禍を受けてきたかは、閻魔大魔王の裁き、或いは最後の審判で完全に証明されるだろう。確信を持って言える、彼らは最悪だと。彼らは自己正当化のため「人権」を作り出した。これを巧く使いさえすればかれら根っからの邪悪さを緩和できたろう。だが、余りに愚かで、これすらかれらは使いこなせない。
 茂木健一郎なる脳博士は、ホロコースト被害者揶揄権を主張しユダヤ人を挑発していた! 他のネオナチ、滝口や刀エッジらと共に。アメーバピグにいた史上最悪キャラの一人、「天使」と称する悪魔さんは、想像もつかないほどダークテトラドだった。彼女は単なる嫉妬心から自分の恋人へ共謀殺害を持ちかけてきたことすらある。無論ありえないし、彼女ほど邪悪な性格の持ち主にはそうお目にかかれない。その後も安定の極悪生活している。

 あまり進んで勉強してなかった自分の小・中・高校の成績考えると偏差値的に自分は平均より上に大分ずれている。例えば本居宣長の反道徳主義的もののあわれ説を『源氏物語』原文の内容読まず、うのみにする小林秀雄がただの馬鹿にしかみえないので、恐らく彼よりは、生得的IQが高いのかもしれない。それでつらつらふりかえってみたら、なぜ自分がヒトという生物へ「なにこれ?」「なんでこんなのふえてるの?」と別生物を見る様な感触しか生まれてから一度も持てなかったのか、最近遂にわかってきた。恐らく自分の生まれついての遺伝子、殊に脳が、平均よりずっと自力で働く側にずれているのである。

 だからこういえる。自分はヒトという生物と一緒でなくていい、彼らに協調する必要も決してない。何しろ、脳が彼らとはかなり大幅に違うのだ。
 最初に類人猿からぬけだしたヒトも、私と同じく感じていた筈だ。こいつらは同類ではないと。

 ダーウィンは自分の見ている真実を、系統樹で代弁したのだ。