2022年9月9日

道徳的因果法則というもの

自分がこの日本なる衆愚からなされた純粋な悪意からきた嫌がらせと害毒・害悪の尋常ならぬ甚大さを思えば、あるいは幼児の時点から少しの違いもなく続く、今後も彼らの宿癖が残っていれば永久に続くだろう彼らからの底抜けに不愉快な蛮行・悪行・暴行の数々を思えば、当の国が少子高齢化・文化的退廃・経済的衰退・教育と倫理の崩壊・政教の混乱など、彼ら自身が日々自ら進んで起こしている致命的錯誤の鬱積で自滅しつつあることに全く、何の疑問ももてない。なにしろ、彼らは亡ぶべくしてほろんでいるだけであり、彼ら自身の行いがそのまま表に因果応報、あらわれているにすぎないのだから。普段から悪業を無限に蓄積してきた人々が、道徳法則のもとに運行されている人間界で救われるべきでも、寸分もないのだ。
 積悪の家には必ず余殃有り、という様、遅れた因果律は背後の計画のなかで動き続け、より巨大になった過ちの大きさ、闇の深さで必ずや返ってくるに過ぎない。生存計画が他者への損害でエラーコードを吐いていることに終ぞ気づかない状態を一般的な不徳さといっていいだろう。なにしろ彼ら衆愚からの被害を受けているのは、全生物でも並以上の記憶力をもつ人間である。史実を緻密に検証し続ける歴史家をもつ集団すらいる。まるで匿名犯罪サイトによる重罪をくりかえしその賠償金踏み倒し後調子に乗り続けてきたひろゆきこと西村博之一味の如く、被害者に自らの加害行為の忘却を期待するのは罪の意識を感じない精神病質者や、因果法則の認知が破綻した犯罪人格の常套手段である。なるほどそういう人々も歴史改竄主義者とともに暴徒となって悪業を膨張させ刹那的に生きているが、あまた生きていればいるだけ世にもたらす影響は悪く、道徳的平衡をとる為の復讐主体は被害者とその目撃者にあるのだから結局は民事係争や、法務・刑務を繁忙に煩わせるばかりである。脳科学屋・茂木健一郎氏は「歴史は存在しない」といったが、精確に、彼の記憶や記録する能力が決定的に欠如していると言いかえれば真だ。佐賀新聞社長の中尾清一郎氏は茂木氏とのユーチューブ動画等で「水に流す」という言葉を加害者側が使いうると信じているらしかったが、九州地方の日本語話者として全くの勘違いというべきである。そこで適切なのは「申し訳がない」「済まない」「面目ない」など加害者側の使いうべき言葉なのだから。

 東電筆頭株主たる東京都民全員がもたらした福島原発事故後、彼ら都民は何か一つでも反省したろうか? 倫理道徳に何の関心もなく、やることといえばみじめな快楽追求目的での私利むさぼり、そしてそのための世界最悪大公害による人道犯罪というだけの邪教的悪魔集団が嘗て、この星のどこかに存在したろうか?
 彼ら完全な悪魔達に反省の余地がわずかたりともないのは無法者の自称天皇一味こと実質大量虐殺犯の人種主義邪教祖による自称政府・単なる大規模暴力団ぐるみでの原発公害再強要、即ち国民主権の侵害で確定したのだから、それら含む膨大な悪事は、この世に出現した正真正銘の地獄でしかない東京がことごとく滅び去る事によってしか、正義に関するものごとが何も解決しないと示している。無論それは彼らと同等より邪悪な財政破綻自治体・京都や、おおかれすくなかれ東京を猿真似する大阪・名古屋といった傲慢な都会中華思想風見下しに満ちた搾取目的では似たり寄ったりの悪意ある大衆商業都市、あるいは、異なる文化と伝統をもつ他者への共感性や思いやり、それどころか利他性一切を持つ能力が全然ない純然たる悪辣な侵略主義者のあつまりたる薩長土肥が亡ぶべくしてほろぶ事と何の矛盾もない。欧米列強の悪事をまねさせた大悪党・吉田松陰以来、小御所会議での恐怖主義の暴威しかない西軍に与した京都勢・広島勢ともども、彼らの宿命は完全滅亡その一点に決まっていたのだった。