2022年7月15日

令和維新の最初の一撃

国士とみてよい山上徹也氏は自作銃の精度と技術を高め、孤独に射撃練習を続け、一般人を犠牲にすることなく、暗殺の標的・安倍晋三氏その人を狙い撃ちしようとしていた。
 銃弾の跡を追うと、当初報道されていた「散弾銃」の特徴とは異なり、銃弾が一直線上に見つかる事がその証拠になっている。当人が供述する通りの結果でもある。その為、一発目の発射では、少しばかり高い檀上にいる安倍氏だけを狙いすましていたがゆえ、余りに銃口が上向きすぎ、遠くのビルの2~3階ほどの位置に着弾してしまったと考えられる。周囲の人々が発射音を聞いて驚くばかりで、警護員含めだれも巻き添え被害が出ていない事実がそれを証左している。
 その後の山上氏の動きを追うと、極めて落ち着いた様子で白煙の中をもう少し標的に歩み寄り、二発目の発射までゆっくりと天敵を狙い澄ましている。この際の彼の心情をおもんばかってみよう。

 経営者だった徹也氏の父の自殺後母は統一教会へ残された母子家庭の資産のすべてを寄付してしまった。その額は、同教会による他の霊感商法など詐欺被害者らへの手口と似ていて、1億数千万円にのぼる
 統一教会とは、教祖・文鮮明氏の語った内容を解説した『原理講論』などで示される教義や、同教会の被害者らの声に照らせば、日本支配を狙う宗教団体である。統一教会では「悪魔の国」たる日本(『原理講論』六章 再臨論、第三節 イエスはどこに再臨されるか、(三)東方のその国は、すなわち韓国である、による)が、救い主たる韓国人の教祖家庭へもてる財産を明け渡すのは、当の日本人自身の救いの為となる、と信じるべきとされる。
 徹也氏の兄は小児がんを患い、片目を失明していたものの、あるいはそのため却って、母は信心深く渡韓しつつ宗教儀式で家を長らく不在にすることもあり食事を作る事もできないのこされた子供は食べるものひとつもなく、しばしば家に取り残されていた嘗ての近隣住民によれば、兄が「お母さんはどこ」とはだしで外を探し回っていたこともあった弟の徹也氏は地元の進学校卒業後、海上自衛隊に属しているあいだ、みずからにかけた生命保険で、障害・宿病を抱えて生きる兄、また妹をも助けるため自殺未遂をはかったが、辛うじて一命をとりとめた貧窮の果てなのだろう兄の自殺時、徹也氏は「兄ちゃんアホやな何で死んだん。生きていればなんとかなるやろ」と、葬儀のとき泣きながら語っていた事件の直前、徹也氏は手持ちの生活費も間もなくなくなるので死のうと思っていたが、その前に是非やるしかないと思っていた或る事の実行に決心がついた、と語る彼は最高刑になる事はほぼ確かな今も恐らく軍人だった習慣で、捜査員らの監視のなかでも腕立て伏せをしてしまうのだった

 親・兄妹のかたきたる統一教会を日本に招き入れその勢力を意図的に拡張させてきた岸信介アーカイブ)・安倍晋太郎アーカイブ)・安倍晋三アーカイブ)氏ら三代国賊の最後の親玉と考えて全く間違いない人物が目前に斃れた。警護員におしたおされても、みずから正義と考える救国の義行を成し遂げた徹也氏の表情をみていると、彼はなすべくして武力革命、こと、令和維新の最初の一撃を成し遂げたといっていいのだろう。さも落ち着いた顔は、苦しみと悲しみにみちた私生活を背負って武官時代に身に着けたのだろう確実な武技で、然るべき訓練の末に、しっかりと祖国に勝利をもたらした者かの様だ。否、実際まぎれなくそうなのだったろう。

 真実、安倍晋三氏は戦後最悪の政治屋といって全く差し支えないほどの人物だった。戦争法・秘密法・共謀罪といった国民の命や自由を奪う、あまたの違憲立法はじめ、信じ難い戦後最悪の悪法集――馬鹿馬鹿しくも国民の代理たる自称立法府の長と称すのをこえて、三権の独裁者として、神道系国会議員を総動員しての皇室による立法権侵害にあたる退位法の強要もその一つで、上皇と称する明仁氏は当時の首相・安倍氏と同じく、摂政を置かない無法者の地位になりあがった。最低118回以上国会等での偽証罪アーカイブ)。複数の人々をまきこみ冤罪自殺におとしいれつつ、安倍夫妻の罪隠しのため人事権をにぎった検察からみぐるしい言い訳で隠し通させてきた贈賄罪の数々。国の信用を根幹から失った明白な統計改竄をおこなってすらひどい成績がめだつ、総じて失敗だったとしか経済学者らに評価されえないだろう格差拡大策、こと自称アベノミクス。報道の自由度が極端に下がった、マスコミ各社へ党ぐるみでの圧力を加えての卑劣な言論弾圧。沖縄世論を無視しての、米国のでくたる、辺野古基地の押しつけ。数えあげればきりがないその他、ありとあらゆる政治的大悪業の山をかかえ、統一教会の日本での宣伝隊長、どころか、邪教祖・文鮮明氏を米国の捜査から救いアーカイブ)、反共の砦となるべく陰謀に満ちた隣人(創設期、統一教会の政治部門・勝共連合日本支部は岸邸の東京都渋谷区南平台に隣接のち岸邸内に移動写真へのリンクアーカイブ歴史編纂委員会・編著『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』光言社・刊より)として、我が国にしられている詐欺だけでも今まで金銭面だけで約1237億円相当の被害を与えている当の宗派をもたらした家のあるじそのものは、当教団の詐欺的手法で一家と人生を破滅させられた被害者の第一分類に入る徹也氏の地元へ、のこのこ現れたのだ。
 もともとA級戦犯で死刑になるはずだった岸信介氏は、米国中央情報局によって日本を操る目的で命を救われた諜報活動員だったが、同じく日本を米韓の属国にしたてあげることで弱体化をはかり、かつみずからその最終支配を企む文鮮明氏と野望の一点を共にし、反共政策に於いては基本目的が一致していた(統一教会名誉会長、久保木修己・著『愛天愛国愛人――母性国家、日本のゆくえ――』世界日報社、1996年発行)。岸氏の娘婿・安倍晋太郎氏と、その子・晋三氏らは、権力を私用する岸氏の二重スパイぶり――一方では米国政府による反共政策の手先、一方では朝鮮半島が目と鼻の先な通称・パチンコ御殿など地元・山口県下関市を通じてつながりが深い韓国人選民主義の教義をもつ統一教会の日本での師父役たる地位を受け継いでいた。
 こうして、もし日本国民一般が単なる愛国主義にもとづいて、誰かをおおやけに売国奴というなら、令和の時代にあって、安倍晋三氏そのひとをおいてほかにいなかったのは、現に仇討ちにきたとある大和浪士に与えられた深手による致命的大量出血で専横の傲慢ぶりも底がぬけていた山口県4区選出の当衆院議員が呆気なく世を去るまで、絶対に確かなことだったろう。

 薩長土肥京芸ら幕末西軍の末裔とその共鳴者らは、世界史上、山上氏の登場から約150年前の武力革命、こと明治恐怖主義を盛んに自己礼賛してきたものだ。彼らの唱道者は、安倍晋三氏が生前「先生」と呼んでいた同じ山口出身、無政府ゲリラによるアジア侵略を唱えた『幽囚録』の吉田松陰だった。対して『新論』の会沢安や『世界平和の為へ』のイマニュエル・カントといった先哲らが、江戸時代のあいだすでに鋭く非難していたよう、欧米列強の有害無益な侵略と植民地政策をまねた、そのだれがみてもあきらかな大蛮行の最果て、或る奈良人の義勇をきっかけに、今度は長州閥・安倍氏の奉じていた勝てば官軍式武力革命で、彼ら西日本勢はみずからが起こす内乱により倒され、滅ぼされる側に回ったのだった。