愚かなツイッター民一般は、言葉の短さをなんらかの賢さと短絡的に結びつけ、人の賢愚を臆断する。彼らは彼らの言語知能の低さに応じた言葉使いの主観的な分かり易さ、解読し易さ、殊に彼ら自身の知能とのほど近さに、賢さの幻想を見ようとする。その仕草は奴隷的であり、高度・複雑かつ長大な議論を避けようとする衆愚風である。
もし多数支配が亡ぶなら、真っ先に日本語ツイッター民一般の社会を襲うだろう。それは彼らの中で羽振りを利かせている者どものうち、衆愚風を吹かせている連中がもたらす必然の因果でもある。道徳判断で低度、単純、短絡的な議論だけで済む場合、それは須らく幼稚な結論に至るだろうからだ。
情報理論上、冗長性の低さは誤解を招き易さと一致している。ゆえ衆愚風の人々はその言語情報の読み解きについて常々誤解・誤読し易い。幼稚な結論を招きながらその思考過程にすら忍び込んだ誤解は、日本語ツイッター民一般の匿名卑怯者気風であるところの性悪さを伴い、しきりに悪解釈を含んでいるかもしれない。こうして、彼らの出す稚拙で悪質な目を覆うばかりに酷い情報量は、この文明にとって致命的な癌となってウェブから全国全世界へ広がっている最中なのである。