性悪は人を幸せにできない。性善は人を幸せにできる。それはおのおの思いやりの差によっている。
性悪は他人の為に何もできない。性善は他人の為に己を犠牲にしても構わないと信じている。
この世で性悪は幸せに恵まれない星のもとにあり、性善はどの状況でも幸せとみなされる。
性悪さと性善さはおのおの度合いでもある。人に本能と呼ばれる利己性と、利他性にかかわる社会的知能がともにあるかぎり、完璧な性悪や完璧な性善は現実に出現しえず、程あれ最も性悪な者と最も性善な者がみいだされるだけだろう。
性悪な者が栄えている場は、それ自体、不幸な場である。人がさちを求めて生きているなら、性悪な者どもの集まりからすぐにでも外に出なければならないだろう。そして人は、少なくとも彼らに見いだされた最もましな性善な者どもの集まりに属することでしか、この世でさちある者と自らを感じることはないだろう。
性悪な者と性善な者は、たがいに水と油のごとく相性が悪く、磁石の両極のようひとりでに退け合う。こうして性悪な場は性悪な者をますます集め、性善な場は性善な者をますます集めていく。最後には性悪な場が自滅に向かうまでこの集散過程は続く。悪徳は自滅の原理でもあるため、性悪な場は維持できない。性善な場はそのお人よしさの為、特に性悪な外来者からの侵害でたびたび危機に瀕するが、その場を維持することに人類としての公徳があるので、いづれ復興され、ひとがひとたるかぎり彼らの美徳と共に長続きするだろう。