2021年9月7日

関西の道徳水準と皇族

身分・地域・人種・性差別と侵略殺人、朝敵の冤罪での自治権・主権侵害、強盗収奪史だらけの皇族を道徳の模範と考えている関西人らは、嘗ても今も、確かにそれより質が遥かに低い公徳しか持ち合わせていなかったのだ。兄弟・親族間での相続殺人や冤罪事件(壬申の乱、有栖川宮や公卿を女系にもつ徳川慶喜へ朝敵の濡れ衣を着せた明治天皇)、近親相姦(イザナギ、イザナミら)、一夫多妻の名目での不倫三昧(昭和、平成、令和天皇以外の全歴代天皇)など、皇族一味の予てからの私徳の乱れはいうまでもない。
 私は都内で、皇族は世間で最も邪悪な俗習に染まった最も差別主義的な存在として、浮浪者をみくだしながら贅沢三昧をする悪魔として、最悪の反面教師としての役割をあてがわれているものだとばかり思っていたが、それより遥かに不埒な倫理観が当たり前だと信じている奈良人ら関西地方の人々は、どうやら端からそうは考えていないのを知った。寧ろある奈良人は、皇族を自分より優れた存在だと思い込んですらいた。ということは彼女は私の目には最低同然の皇族以下の道徳しかもちあわせていないのである。それ自体が私には大きな文化衝撃で、関西地方では部落差別や中華思想による地域差別が現役で残っているのは、そこで暮らしている人々のいわゆるイケズさ、性悪さのせいだとはっきり悟ったのである。だからこそ、根っから倫理崩壊している奈良からその様な悪魔が現れ、慶喜公への冤罪事件による悪意ある不当な暴力で江戸城を侵略・占拠し、悪質な暴力団を従え世間を弾圧・睥睨しながら、国事・国税に寄生して強盗立てこもり中なのである。つまり皇族とは端的に関西ヤクザなのであった。