平成・令和期の東京人達は倫理崩壊した社会をつくり、それを自慢しているが、彼らがその様な社会しか作りえなかったのは、彼ら自身の倫理性が低いからに他ならない。彼らは倫理全体を拝金主義やそれに伴う俗物主義に置き換えてしまった。拝金俗物主義は彼ら全体を余りに覆い過ぎたので、皇族から浮浪者まで例外なくこの観念論は東京人達の行動原則となり、遂に賄賂で誘致した東京五輪をコロナ禍のなか世論を無視して強行するに至った。そして彼らはこの行動を成功だといった。
同時期、彼らは東京電力が事故処理でうみだしている大量の汚染水を福島県沖で流す決定をし、負担を田舎側に押しつけているが、 単に福島だけを犠牲にしているのではない。日々、都会中華思想の自己愛妄想に耽りながら、次の標的を探している。
或る東京人は「これだから田舎は嫌だ」とツイートしたが、その内容が横浜の出来事だったのを知らずに言っていた。要するに、彼らの脳内に有るのは単なる自集団優越の夜郎自大な妄想に伴う、都外への差別意識であり、赤の他人を適当な理由をつけ悪意ある自集団から陥れられれば、その相手が誰でもいいのである。都民ファーストと呼ぶ東京ファシズム。この東京人界隈の倫理崩壊は今に始まった話ではなく、都知事・小池百合子氏が関東大震災時の朝鮮人虐殺に追悼を送らなくなったことなどが近く証明している事実なのである。
眞子内親王の倫理崩壊が取り沙汰されている。しかし、これは象徴的に現れた側面にすぎず、彼ら東京人一般の倫理観は根本から崩壊していて、皇族だけが堕落したのではない。東京で有名人、名士と思われている者をみるがいい。拝金俗物以外が尊ばれている場面があるだろうか?