ツイッター民一般が言いがちな言葉として、「(当人に)分かりづらい=バカ」とみなし、かつ「賢者は短く簡単にまとめられる」と賢者分類を異常に狭い枠に決め打ちしたがる。
この行動類型を自分は「短文厨」と定義していた。
恐ろしいほどわんさか生息している、短文厨が。ツイッターだけには。
勿論僕はこの短文厨的思考様式を、殆ど合理性を伴っていないと感じている。大体、無根拠であるのは当然ながら、自分(かれら自身)の思考力を神性と同値という前提を置いているのも意味不明でしかない。
1.自分が全知の神でなければ、当人に分かりづらい高度な賢慮は無数にある筈
2.賢い長文家もいる
端的に言えば短文厨は馬鹿の一種なのである。恐らくは。
この事について自分は随分考えた。
何しろ、ツイッターで生まれて初めてみたのだ。そんな事を初対面でべらべらいってくる連中。完全に意味不明でしかないし。
短文厨を僕は最初、異生物、異星人だと感じていた。だが人と仮定し分析を続けた。
大体その種のツイッター固有の生態、もとい短文厨は、勿論言語障害者の場合は別なわけであるが、もし、言語IQが知的障害(50から69。ICD-10による)程いってなければ、なんらかのわけで、言語知能が著しく低い可能性がある。さもなければ140文字読めないってことはない筈なのだ。
それで、自分は本当にこの人達なんなのだろう? しかも大分、無礼な感じもする、という、純粋に社会科学的な目線で、彼らの生態を逐一観察する事にした。
結局、丸3年くらい経過した今の時点で、こういう結論である。中学全部終わったくらいの時間観察してりゃ、少しは分かる。
彼らは馬鹿である。
失読症などの言語障害の人は、純粋に人権の観点から、差別的文脈を避ける目的で、寧ろ「言語障害者」とする。彼らは短文厨の分類から外して考えるべきだ。
そこで、単なる「短文厨」をここでは2つに分類する。
1.自己中心的短文厨
2.限界的短文厨
この2類がいる様に思う。
この2類は微差がある。
自己中心的短文厨(主観短文厨。主観厨)は、自分のみえているもの、自分にわかっている範囲にしか賢愚がない、その外には賢愚なるものが一切ありえないという信念、もしくは思い込み(固定観念)をもっていて、それを疑えない。
これで、主観厨は「分かり易さ」を賢愚の目安にしている。実に浅はか。
大体、自己啓発本とかインフルエンサー稼業、メンタリストとか、横文字の怪しい商売に完全に洗脳されきっているのは、殆どが主観厨の方かと思う。また新興宗教に全財産ぼられてるとかも、大体同じ分類に入る人達の行動類型ではないか。テレビを好き好んでみる人とかも、ここに相当部分入りそうである。
主観厨が「短文でなければならない! それ以外は馬鹿だ!」と主張するのは、完全に、認知の守備範囲が極端に狭いせいである。
逆類型を考えれば分かり易い。無知の知こと不知の自覚があったソクラテスとか、宇宙の神秘の無限さの前で途方に暮れていたニュートン。或いはいわゆる教養主義者とかがこれ。
この世の殆どは分からない、寧ろ自分に分かっている範囲はごく限られている。こう考えている人が、主観厨の逆類型にあたり、知的謙虚さとか、懐疑主義の傾向がある
デカルトは「我思う」に根本原理をみいだしていたが、ガウタマは諸法無我と、その思考自体を疑っていた筈である。究極で自我も不可知。
しかし主観厨は、こう考え易い。
自分にわかる範囲に賢い人がいて、その人のいう事を信じていれば間違いない。万事何でもわかる。だから賢さは分かり易い。
なるほど大分間違っている。客観的に、その主観厨が全知の神でなければ、殆ど間違いだらけの事を信仰しているとみなされる場合すらある。
実に悲惨だ。僕は恐ろしくなった。主観厨の生態というのは、いわば別の生物、異星人みたいに、かれら自身の宇宙に住んでいるみたいなのである。
アリや蜂の世界にはアリや蜂の賢者がいるに違いない。
それと同じで、主観厨の脳内には、かれらの中で賢者とみなされる者、教祖がいる。閉じた思考世界だ。
本来、学校教育、特に教養教育の目的は、そういった閉じた思考宇宙の外に、無限の宇宙があるのだ、と、心の窓を開かせてやる事なのではないか。
僕が教養系の大学にいるからそう思うのかもしれないが、主観厨は、決してその外の世界に関心をもとうとしない。寧ろ進んで窓を閉じ、教祖の宣託を崇め奉る。
馬鹿な奴らだ。そういって済ませてしまえばそれまでの連中だろう。ツイッターの主観厨こと自己中心的短文厨って。かれらに分かり易いとしている言説を辿れば、おそろしいばかりの幼稚さにめまいがする。間違ってるなんてもんじゃなく学術的根拠がないどころじゃなく、ただの偶像商売相手にされている。
次に限界的短文厨。これ、本当にやばいと思う。やばいが俗語なら、まずい生態である。どうまずいか。この人達は、いわばIQが有意に低い可能性も高いけれども、言語障害までは行っていない様でもあるものの、それにもまして。「そもそも宇宙には長文で人がわかりえる事は何もない」と素で考えているのだ。
僕が思うに昔から限界的短文厨は居たのではないか。文字節約し短く記述する為、かれらを「限界厨」と置く。
限界厨は、140文字を長文だと考える
これが僕にはいまだに意味不明で、まじで、今に至るまで何言ってんだか正面的には分からない。しかし、彼らの中では真実らしいという事は遂に認識した。
はっきりいって限界厨が一番わかり辛かった。僕には。
完全に???という以外、なんの感慨も持ちえなかった。数年間。3年間。今も正直いえば本当にそう感じるが。実際に、彼らの脳で生まれてきてこの世のツイッターを開くと恐らくそう感じとるという事を、遂に、想像的に自分は理解する事ができた。
限界厨というのは、なんらかのわけで、子供のころから読書に親しんでこなかった、とかそういう部類の人達の、或る種の成れの果てらしいのだ。
そういう人達はかなりいるだろう。国際学力テストでもそういう結果が出ている。文字面は読めても内容は間違えてとるしかできない人が日本で3分の1いるのだ。
一般社会だと、限界厨はあまり社会的地位が高い事はないかもしれない。言語を使わない社会を除く。
一昔前(戦前や四民平等以前)だと、なんらかの理由、表現をつけて差別されていた可能性もある。
しかし、限界厨は人権の時代に産まれた。それは幸運な事だ。ツイッターを見つけ、巣をつくった。
そこで、限界厨がやった事が、誹謗中傷の渦の中に生きがいをみいだす、という生態だったのだ。
これは非常に好都合であった。かれらには。だって一見、荒らしの一員になれば社会参加しているようでもあり、逮捕されなければ安全にみえるし、実際、共同体感覚は感じとれるからだ。悪い偶然の一致で。
限界厨は毎日、ツイッターのあちこちで、パヨクがーとか「長文だから馬鹿!」とか、なにも道理の通らない言説で荒らし行為をしている。
しかしツイッターだけでは、かれらは同類がいいねを10も100もしてくれるので、さも普通の人の面をしていられるのである。悪所だから。ここが。
極めてまずい話。
木村花さんが自殺においつめられた。
三浦春馬さんも限界厨にほど近いやつから、不当に攻撃されていた。
数多の人々が。サイコパシーが低い、良心派や繊細な感受性をもつ共感知能の高い、こころ優しく、本来、人として模範に足るような道徳性をもつ人間達が。つぎつぎこの限界厨から自死に追いこまれた。
限界厨とは、単純に馬鹿ではあるが、それに加えて、参加しているツイッター仲間なるものが、はなはだ邪悪な荒らし集団であるから。その不良に染まって連日、誹謗中傷犯罪に手を染めている連中だったのだ。
これで理解できる。短文厨とは何か。
第一に、かれらは認知に限界がある。
第二に、悪い仲間。
短文厨を、自分は同じ人間だとみなそうと始めしていた。それで誠実に返答したら、殺〇予告が返ってきた。本当の話だ。横浜だか湘南だか、神奈川南部のやつであった。
あのあたりのヤンキーよりヤクザ寄りの男が、河野太郎違憲ネタで大発狂し、自分にDMで殺〇予告を初対面で即日送ってきたのである。
津久井やまゆり園の事件。あれ、決して神奈川南部でありえなさそうな話ではない。だって僕も、初対面の湘南ヤンキーのやくざ寄りのやつに、いきなり殺〇予告されたのである。しかもこっち何にもしてないのに。
僕は河野太郎のブロックの議論してるところにトランプの同じニュース貼っただけ。参考で。
トランプ大統領はブロックが、公務について表現自由の侵害だから違憲と判決された。その記事だ。
だから河野太郎のブロックも、同じ表現自由権が日本にもあるから、違憲の筈である。判例の解釈として。
そういう文脈があるわけだからニュースを貼っただけ。
そしたらその湘南ヤンキーが急に発狂した。
関西人とか中部人とかって。僕が接した全ての人達が。どういうわけだか神奈川全域を洗練された大都会とか、全く事実に反するといおうか、頭が大分とち狂ってるとしか言えない妄想を、本気で信じている。
それ、横浜の桜木町界隈の、しかも物質面だけでしょうと。人間なるものの生態は示していない。
横浜なんて広いし。桜木町界隈だけが横浜ではない。駅から一歩でも北側に歩いて、徒歩でいってみればいいだろうに。まぁそのあたりは僕の責任ではない。単に関西中部人一般が世間を知らなすぎる。マスコミの偏見でなんでも済ませすぎて、現実を歪めて捉えさせられているのに気づかないほど愚かで憐れだ。
よって、その湘南ヤンキーやくざの大発狂も、まぁ今から考えればさもありなんといえるが。小室圭さんだけが炎上しているのではないといおうか。元々そうじゃんというか、あの辺でデフォの生態を多少なりともよく知っていれば、初対面の神奈川南部人を同格と扱っていくと犯罪者に接する事も、ままある。
なお私は、小室圭さんをここで決して悪い意味で言っているのではない。念のため。
そうではなく、神奈川南部の雰囲気として、犯罪者がうろちょろしてる場、いわゆるそれなりの都会の地域が横浜界隈にはあるので、初対面でデフォ町人を信用していくと普通にころされる事もありえますよ、といっている。
端的にいいますとどうみても育ちの悪いヤクザじみた湘南ヤンキー殺〇予告犯に初対面で偶然接触してしまいました、本当に恐ろしい話でございますね。
ツイッターとは。
わけのわからない奴らが大勢たかってますので。
現実なら永久に近づかない人達ばかりですので。犯罪者だらけ。
短文厨もそれです。
そんで。つういったー。ついったー。これ。
これもとんでもねえ大都会の極みである。いきなりにほん中のやくざと接触してしまうんだからね。
やりたくねー。
なるだけ早くやめたい。
しかし人間とは社会的動物なので。離れたくても離れられない。しかしいつもやめたいやめたいと思っている。
最悪の都会です。
ちなみに。この僕は。どういうわけだか、都会にあわないのに、大都会に出たがるようなところもある。おそらく好奇心であろう。
それで一応シンジュクそだちである。あの。最悪の都心。都心にわざわざ行きたいから都庁前の学校えらんでるという。いちおう世界一乗客数が多いらしい。毎日大雑踏だった。
僕は普通の人と全く違う観点で物を見ているらしく。僕には普通なのだが。
環境で選んでいるというね。学校を。
ほんとの話です。
感受性が異常に高いので私。一生忘れないし。感覚的に刺激が異様に強い。多分、感覚激動ギフテッドってやつかと思うが。歩いてるだけで光景に感激しちゃうのであるほんとに。
なので。自分はものすごく色々な事を感覚記憶していて、都会に出なかったらよかったと思っている。
なんでかというと都会は酷く汚かったからだ。東京都って。しぬほど汚い都会である。特に新宿。池袋も。知ってる人には分かってもらえると思いますが。
最悪の環境でした。ほめてる奴は本当に嘘つき。
それと同じ事がツイッターにもいえる。
ここ、最悪の環境である。
僕がかつて経験した全ての社会環境で最悪。
だから全方位から毎日悪意だけが襲ってくる。
2chだけだよ、これに近かったのは。2chより多少ひどいくらいだよ。善意がかけらもないって意味で。全員悪人ってツイッターだけでした。
短文厨はその「世界最悪」の環境の一つである、和文ツイッター界に、完璧になじんでいる反社会性の人格達である。丸3年毎日見てたからまちがいない。
いいかえれば世界最悪の人間たちの一員である。かれらは。だから集団虐殺ばかりしている。連日連夜。
そんな暴徒どこにもいないだろう。
正真正銘最悪。
短文厨はどうなるだろうか。
ツイッターが潰れたら雲散霧消する筈だ。
「短文以外は馬鹿」とかいって通じる世界なんて、ここ以外でみたことがないし、あったとしてもろくな場所ではないだろう。
じゃあかれらが俳句を好むかといえばそんな事も一切ない。だって他人攻撃したいだけの馬鹿たちなのだから。
村上春樹は、ツイッターを嫌っているらしい。
むかし、春樹ぽいせりふ吐く当人名・当人づらのアカウントあったんだが。あれ偽物だったのか。当人がやってて失敗したから逃げたのか?
が。今の春樹のツイッター嫌いは、長編小説の人物としては、間違ってはいないだろう。
それゆえ、自分はツイッターにいる。
僕は、前からツイッターでもブログでも書いてきたが、短文厨ではないものの、経済文の信奉者である。
簡潔かつ抽出性が高いといおうか、客観的な情報量(情報理論上の秩序)の多い文が大変好きなので、ある意味、ツイッターは自分には水を得た魚にとって海、だった筈なのである。短文厨さえいなければ。
僕は本来なら短文厨と似た様な主張をしてもおかしくない文体の愛好者なわけである。
しかし、短文厨はなぜか、その私の文体にやたらと文句をつけてきた。
これは自分には衝撃的経験で、今もそのショックが心的外傷として残っていない事もないが、要は、短文厨ってよい短文とかどうでもいいのだ。実は。
短文厨がやりたいのは、文体批評ではない。これはかれらの表面的口舌だけおっていると永久にわからない。彼らは口先では文体論を語る。しかしこれは虚偽である。
実際には、かれらのいわんとしているのは、主観厨のいう「私にわかる事だけ書けよ」なる低認知力を伴うわがまま暴言、限界厨の荒らし徒党。
主観厨の一種がラッドファン、ミスチルファン、BTSアーミーの暴徒みたいなのとかに当てはまると思う。僕はこの3者に喧嘩うられたのでいづれ着実かつ確実に復讐とげたいと思っているし、それはツイッターで喧嘩うってきた全主観厨にも確実に報復するつもりで下調べは徹底してやっているのだが。
口先では文体論しながら実際には、馬鹿だから少しでも高度な内容や技法がわからないだけで。しかも当人の目的が他人を攻撃することだけときているのだから。短文厨は本気で、ネット史上最悪の生態といっていいであろう。
今までツイッター以外でそこまで愚かな人間って増殖しなかったのだ。2chですら。
スマホの普及とも関係がある筈だ。
スマホから長文を打つしくみになっていない。ツイッターは縦画面で打つしかできないし、それで単位時間あたりできる文章の長さってかなり限界がある。
しかも、その執筆環境を好むって、相当の俳句狂い以外、ほとんどいない。文学側では。
一般の馬鹿がなじみやすい。
ツイッターはなるだけはやく消滅するべきだ。なぜなら、短文厨という特有の荒らしの大量繁殖する病巣になっているからで、現に、連日集団虐殺・集団虐待事件が起きるネットスラムの極みだからである。
会社としてダメ。それらを放置する会社って。
逆に右傾団体とつるんで自由言論を弾圧するしね。言葉狩りで。