西軍は広島勢とも同調し 東国を裏切り侵略自慢して 東亜中を植民地ほしさに天皇家ともども荒らし回って 米軍に喧嘩をうって米兵を殺戮しつづけながら原爆投下は無用だったという。吉子女王のまな息子、尊王を大義とした慶喜公を朝敵あつかいし 彼の誠意を庇った容保公の会津で 市民を無残に大量虐殺した事など ひとことたりとも謝りもせず