僕は水戸の回天神社で
自分と同姓同名の尊王義士の墓を見た
自分はこれで水戸学やその悲劇的宿命を省み
尊王論に決定的な疑いを持ち出した
水戸の志士は心からの尊王で幕末を駆け抜け
遂には慶喜公の禅譲で天皇親政が出現した
だがそれは西軍にとっては虚構で
薩長土肥が藩閥寡頭政を敷く為の言い分で
戦後も中央政界はかれらの後釜に仕切られ
水戸の義士の志はみな無碍にされたのだった
そして今の五輪だ
僕は民衆の状況を見つつ黙って置くに忍びなく
せめて皇室の尊厳だけは保ちたいと
民の命を守りたいと願う請願を
内閣と宮内庁に送った
どうやらその祈りが通じたらしく
天皇陛下が元々思われていた拝察が出た
歌会始の御製は自分も読んでいた気もするが
ここまでの反応を陛下がなさるとは想定外で
自分は過去の因縁を感じた
香川敬三は水戸の義士らで賢明な道を辿り
遂に皇后宮大夫、今の侍従長まで出世したが
水戸・常陸勢で唯一、尊王の初志どおり
まっとうに厚遇されたといってもいいだろう
香川は戦友に同情を寄せていた
蓮田一五郎の墓に碑文を残している
自分が疑っていた尊王論は
天皇が不徳な時あるいは周囲に奸臣がいる時
尊王義士をも朝敵にしたてあげる邪教になる
吉田松陰らの倒幕論とはその典型的な形だった
自分は二度と薩長土肥らの陰謀に負けまい
かれらの根が狼子野心と悟っているからだ
あるいはまた
天皇・皇族の利己心も省みまい
お家大事で極東各地の遭った被害をみよ
歴史は必然の層のもとにある
私は勝利し、水戸の義士は報われるだろう
私はあの侍の生まれ変わりだと悟ったのだ