2021年5月13日

自然の斉一性という形学(イデオロギー)をその分析の特殊条件外でも普遍とばかりに信じる愚か者

愚かな理学者は社会、心、人々の個性、それぞれことなる文化や慣習までもが、ことごとく普遍的でなければならない、と信じている。かれらの脳内にある理想の世界は一様で、いかなる例外も逸脱も、包容や進歩さえゆるされないものである。

 この妄想がいきつくところ文化帝国主義や中華思想で、自分を自明の中心に、異なる人々を差別しみくだし始めるだろう。
 これらが最終段階に至ると独我論に陥り、遂に世界には究極で自分の如くの存在しかいないとおもいこみ、恐怖政治や無政府的な自由至上主義を絶対の正義と考え始める。嘗て暴力という手段で他人を変えようとしていた人々は、大抵、理論的にはこの境涯にあったのだ。

 今それは、科学教育を受けた狂った科学屋の中で、特に物理主義的思考原理、つまり全ての物質法則が一様一律である筈だという、現実とことなる脳内妄想を発端にしているばあいがある、と知らなければならない。これは専門化しすぎた理系(自然科学専攻)教育、特にSTEMとよばれる実利志向の教育系列の中で、社会科学や人文学を軽侮させる悪習がはびこっているせいが大きいが、それにもまして、元々その種の精神病質性をかかえた人をより邪悪さへ向け触媒させる温床に、今の学園思想の一部がなっているからだ。

 自然の知識と数学、工学、技術は悪用されれば以前より悪い結果をもたらすだけだ。それらの使い道を正しい倫理に向け統御する能力を羽含むのは、寧ろ社会、諸芸、文化、人間、生物、宇宙すべての多様性に最も広義の考察をおこなう、諸学の王であるところの哲学自体である。