特定の職業だけが不当に課税が多くなるのは真に職業差別に該当する為、バイデン大統領の検討しているキャピタルゲイン(資本収益)増税は愚かな施策といえようが、主な資本が国内にある米国経済単体でみると特に馬鹿げている。もし実際にやっても一般の米国人投資家だった人達が課税を恐れ金を貸し渋る様になるだけ、かつ、より課税率の低い日中企業などへ米国から資本が流出する事になるからだ。つまり米国資本の損得からみればほぼ自殺行為であり、日中には一大好機となる敵陣の大失策といえる。
日本で貧富の差を解消する目的で、何らかの増税を行いたければ、平等権の観点から特定の商売へ課税率を変える事はせず、単に全商売に共通する所得税を累進化して増税すればよい(企業による給与からの源泉徴収もそこに当然含み、譲渡益・配当課税を撤廃する)。
もし何らかの商売に質的な公害が発生していて、逆の誘因(抑止効果)を与えたければ、課税という他の職業一般と並べた制度ではなく、純粋な罰金がふさわしい筈だ(事業者に於ける排気ガス排出量への罰金など)。ただでさえ、投資は眠っている貯金を自らの危険の元で他人に貸して世に生かす行為であり、純粋に公益である。
例えば或る人がある事情で資本収益のみによって生活せざるをえない場合で(要介護者を抱えていて、一般的労働ができない。それ以外の能力がないなど)、かつその人が、一般的な賃労者より相対的に貧しい状態で生きている場合に、その資本収益への課税は、経済学の誤解に基づく政府の悪意・悪政にしかなりえないであろう。
一般論として、資本収益は必ずしも安定したものではなく、ある年に株価があがっても別の年に大幅に下がって、その時点で或る事情で株を売却すれば全体で大赤字な場合でも、やはり、同率で課税される(別の年に再び収益をあげなければ税法上、損益通算できない)。つまり資本収益を得る人達は必ずしも得していないどころか、大抵の人達がその種の損失を抱えている現状である(例えば日経平均株価では悪くない時期にあった筈の、野村證券『ノムラ個人投資家サーベイ(2015年10月号)』時点では、全体の約61.6%が損していた)。
いいかえれば投資は参加者の半数以上が損する事もありうる場であり、そこで資本収益に課税するにあたって、他の損失可能性がより低い職業(賃労が代表的なもの)に比べ不公平な税制をあてがうのは、より大きな危険を伴う商売の過酷な現実を知らない人の意見である。
もし一般的投資家が投資を渋ればその分の金は銀行に貯まり、消費がおちこんだ低調な景気下で銀行は相当低いかマイナス金利の債権を買うしか主な使途がない。つまり全体として景気の退縮、かつ、政府の税収減、という負の連鎖に陥って、総じてその国の経済は停滞するであろう。