2020年12月22日

公的英語教育の失敗に伴う一部日本人の異様な外国語劣等感について

現代日本人に、外国語が少々できる人へ、やりとりの中身に関わらずそれだけで敬仰のまなざしを向ける場合があるのは、確かに意味が全然わからない事実である。

 彼らがいかに語学を苦手にしているか、その原因は公的英語教育の不満足さにあるのだろうが、通常、語族が近い外国語から学ぶ傾向にある国々ではしばしば一般人も複数外国語ができるのが、彼ら日本人一般より低知能指数の集団でも常態的にある。
 少なくとも私が接した諸外国の人々で、英語が少しできる人を尊敬のまなざしで見ていた人というのはまだひとりも見た事がない。
 西洋だけでなく、近隣の韓国人でも中国人でもそうだった。

 日本国の民衆だけ特に、異様な外国語劣等感を持っているのではないか。

 先日ツイッターで私がスマートフォンが縦書きのまま返信するのに日本語キーボードを出すのが面倒だったので、英語で返信したら、相手が
「英語できるのを自慢してるのか?」
など難癖をつけてきた。相手がチンピラ同然の人格だったというのを抜きにしても、意味がわからなかった。

 その相手が日本の学校教育を受けていれば、通常最初に学ぶ外国語は英語の筈で、しかも最低でも6年以上かけ学んだ筈である。それだけ時間をかけ、基礎的英語ができない、又は使えないのは卒業者としては問題がある。
 相手が全く語学を苦手としているだけだったとしても、小学校高学年程度で理解できる言い回しへ発狂してくるとは、相手が異様に外国語へ劣等感を持ち、要は自分の劣等感を理由に、私へ反動形成のあてつけをしてきたと考えていい事は間違いなかった。反知性主義の一種として、彼の中に英語劣等感があるのだろう。実際その場でその様に言い、そのチンピラ男にあてた学校教育費が無駄に使われた事、それへの反省のなさを前提に、実質的に国際共有語の類ならばこれからでも学習すべきだろう、とわたしは暗に疑念を表明したが、もとより相手の心魂の卑しさを思えば彼の醜い合理化――「語学が苦手だった俺ではなく、少々英語できるこいつが悪い!」を彼自身、反省などするまい。
 そういった言語圏の自己閉鎖性が、ますますそのチンピラ男の世間を狭め、知性を劣化させていく原因の一端になっているのだが。尤も、英語圏も、言語帝国主義の様相で通常、その他の言語圏に閉じている点では同じだが。