2020年11月4日

鬼女、貞女、遊女

性的な事に対する感受性ってヒトによって大幅に違い、なんらかの生まれつきの部分を除くと、快楽に中毒性があるので経験値に依存している様に思う。
 それで女性でもセクハラ冤罪を連打する様なタイプ(鬼女系)と、性的な官能性を自分から求める様なタイプ(遊女系)がいる。前者は性的感受性が低い。自分が観察した限り、進んで遊女になっている女の動機とか過去の履歴とかの告白記でみた感じ、そもそも生まれながら性的魅力がある女が、かなり若い段階で性的に開発された事で、より刺激を求めて遊女になっているという場合ばかり語られていた。他のタイプの話も聴いた事があるが、基本はそれだろう。

 今のいわゆるフェミニストは、本来の女権拡張論者を超えて大抵が鬼女系の一種で、性的感受性が殆どないので、性嫌悪に近い言動をとる傾向にある。そして利己的なので、遊女系が寧ろ、性に寛容なばかりか積極的で貪欲な社会・社交関係を自ら望んでいる事を知らない。もしくは軽蔑して無視している。「セクハラ」は本来、性的嫌がらせの事だ。しかし今の女達の一部、特に鬼女系はこの言葉を冤罪目的で使う。即ち自分が不快だと誰にでも着せていい女権乱用の錦の御旗だと信じている。
 この逆に、遊女系の女は、誰かの同じ性的官能性を伴う言行を、大変喜んで受け取っていたりするし、自らもしている。

 三島由紀夫が『不道徳教育講座』だったかで語ってたけど、遊女系の女は女神の様なものであり、男性陣はこの人に感謝すべきで、そもそも交尾をためらうのは全て間違っている云々と。
 三島は純潔をここでは貶めているわけだが、浮気を美化するのはご都合主義だろうし、不潔な考えではないかと思う。
 一方、遊女系の女は女神の様なもの、というのは、ある種間違っていない可能性がある。
 自分が色々な女を観察した限り、鬼女は確かに男一般にとって全面で害しかなく油断すると権力闘争目的でセクハラ冤罪を着せてくるだけの存在、社会的天敵の様なものと考えていいだろうが、遊女系はそうではない。遊女系でも鬼女系でもでもない、一般的な女を「貞女系」とすると、遊女系は一般論として、鬼女系にも貞女系にも軽蔑されたり、差別されたりしている。希に裏返って尊敬してるやつがいるが、それも遊女系の一部である。つまり女の中の被差別階級といっていいだろう。
 所が遊女系は男には滅法優しい。さらには、そもそもこの遊女系というのは生まれながら美しいタイプが多い。これは事実だろうと思う。大体が、性的魅力とは生まれながらの健康度に依存しているが、最初から体の遺伝子が健康で美しい肉体になり、それ故に早く性経験を経て性的官能性に目覚めていった、というのが遊女系の出自なのだ。遊女系は人として長く付き合うのは、もしかしたら難しいのかもしれない。引く手数多で貞操がないとくれば、結婚相手とかだったら相当苦労するだろう。
 そして自分は良家の子女的な人物なので、親のしつけとかで遊女系なんて全く近づいてこなかった。
 だが冷静に全体をみて三島説も一理あると思う。恐らく遊女系が、女の中では被差別階級なのは嫉妬からくる攻撃なのではないかと思う。元々美しく性的官能性にも優れている様な女が、男一般の人気を集めるのは、例外的な純潔主義の男(つまり僕とか)を除けば通常、動物状態の男性陣の間では必然で、特に性的感受性のない鬼女から猛烈な攻撃に遭う。但し、自分が鬼女系、貞女系、遊女系いづれの女も色々観察して分かったのは、単なる性的官能性の面では、圧倒的に遊女系が優れている。
 だから通常、テストステロン値が高く性欲の故に性的快楽を得たいと思っている男性は、遊女系に悉く猛烈に惹かれて行く筈で、性経験値もますます彼女らに集中する。いいかえれば、女社会は性経験に関する限り、猛烈な格差があり、鬼女系は一生を通じほぼ全く望ましい性経験をしていないしできないが(ガールズちゃんねらーとか言動の感じ、相当部分がそういう風にみえる)、遊女系は若い頃から猛烈に女性性にまつわる諸々の快楽を独占している可能性が高い。

 で、「キモイ」とか「イケメン」とか連発している女というのは、観察による一般論として、鬼女系が殆どだ。なぜならこれらの言動を男性へして不快がられる経験すらした事がないから、鬼女同士でまとまって、偏見に基づく差別的言動をしてしまっているからだ。鬼女系は性的不能でセクハラ冤罪も連発する。自分が見聞きした感じ、遊女系は自分から性的喜ばせの為に色々な言動をするし、それは鬼女的に判断すれば「セクハラ」だが、事実は嫌がらせではない。単純に、恋愛を含む性経験の総体そのものが、ある種の駆け引きを楽しむもので、その経過では性愛の諸相が頻繁に現われてくるだけの事なのである。

 三島が言いたかった事のうち、遊女系を女神視すべし、とは、結局、この性愛の諸相に対する感受性をそこから学べる、という意味ではないかと思う。これは事実として誤りない様に思う。
 不思議な事にというべきか、貞女には貞女らしい官能性があるが、それと大分次元の違う官能性は遊女系しか帯びない。

 結局これら女社会の全体像を把握したらどうすべきだろうか?
 先ず健全な性生活を営みたければ、鬼女系はひたすら避けるに越した事はない。
 この人達はなんらかの理由で、性的不能または無能になってしまっており、開発とかも容易ではないので、余程の理由がなければ労力をかけても被害にあう一方だ。大体、自然は巧妙にできているもので、鬼女系で且つ美女または性格が良いという事は基本的にない。そもそも性的に魅力が低いので恋愛・性愛の諸相に疎くなる、というのが自由恋愛の元で鬼女が出現する原因で、要はフェミニストの一定の部分も含むが、恋愛社会の敗北者が鬼女系だといっていいだろう。逆に、自分みたいに最初から純潔主義の方針を持っているのでなければ、仮に持っていてもだが、公的世間で言われるのと違って、遊女系というのは重要な女性らなのではないかというのが自分の分析。色々振り返ってみると、そういった女性らだけが、性的官能性を帯びた色々な快楽の要素を振りまいていた。もし遊女系の女が全く絶滅した社会があれば、そこは冷たく沈んだままで、封建時代同然みたいになるのではないだろうか? 例えばイギリスの保守派とかそういう社会を維持したいのかもしれないが、自分が遊女系の女の魅力や彼女らの人生観と比べた時、遊女系を弾圧するのは唯の不寛容じゃないかと感じた。ただ、遊女系の女には特有の欠点がある。それは必然的に貞操がないか薄いので、子育てに最適化した家庭を維持できない。なので遊女系が繁殖している場合、恐らくだが浮気または離婚を繰り返す形でそうしている傾向にあるのではないか。
 貞女系が家庭向きなのは確かで、この人達の繁殖率が一番高い。一般家庭が、自分の子女をわざわざ遊女系にしたいなんて思わないだろう。なんらかの理由(例えば家庭生活の否定)で過度に性嫌悪をおしつけた場合を除くと、貞女系にしたい筈だ。それは最も安定して繁殖するのに好都合な適性が、貞操を伴う人生観だからであり、それが賢明なのも繁殖目的なら確かである。

 では鬼女系は負け組で放置して淘汰すればそれでいいのか、だが、この人達は恋愛・性愛に縁がなかったので、ある意味では、女社会でお局お邪魔キャラみたいなのをしているのかもしれない。
 だが同時にこの人達の一部には他男性より仕事の才能がある人がいるので、仕事に最適化させれば有益なのだろう。
 逆に、鬼女系に対して、罷り間違って恋愛とか性愛とかにまつわる関わり方をしてしまっているのが、男性陣がセクハラ冤罪とか諸々の被害に遭う、最大にして最初の理由である。鬼女系にはオタク女もいる。
 資質を見抜くには女観察を繰り返す必要があるにしても、遊女系と端から違うのですぐ分かる筈。

 鬼女系と貞女系の見分け方は、鬼女系は「イケメン」/「キモオタ」の二分法での極端で非現実的な差別とか、「キモイ」「セクハラ」など性的不快感の口癖とか、独特の男嫌悪の特徴がある。貞女系はもし処女の状態でもそこまで性嫌悪っぽくも差別的でもないし、それゆえ自由恋愛に程々に適応している。