緊急避妊薬を薬局だのネットで誰でも買える様にすべきだと言っている女って、いわばあばずれ主義であって、現時点で既におよそ先進国一貞操観念がないと調査で分かってる日本女(日本青少年研究所「高校生の生活と意識に関する調査」2004。画像URL)が、決定的に淫乱になりまくる最後のきっかけになるだろう。
武家の女は貞操を重視していた。この事は新渡戸稲造が『武士道』などに理想化して書いているが、一般論として、儒教の『女大学』の影響下で「貞婦は二夫にまみえず」を地でいく考え方、朝鮮側で貞操の模範とされている論介と似た様な感じだった。一方、東京、大阪、京都の旧都市圏(三都)では中世の段階で娼婦(遊女・芸妓ら)による売春が生業化し、武家の封建道徳と全く別の考え方、社会風紀があった。九鬼周造『いきの構造』はこれを分析したものだ。要は今でいえばチャラチャラ軽薄な軟派師が性風俗通いで女遊びするのを美化していたのだ。また京都・東京で、一応、政治階級として最上流とされていた皇族やその次位の公卿(のち公爵)らもほぼ大正期くらいまで一夫多妻生活をしていたので、特に男性側に純潔が求められていなかった。今も京都人・東京人には「童貞!」などと男性の純潔をさも悪徳かのよう嘲笑する人々が多いのはこの為だ。
京都人・東京人だけではなく大阪人も、例えばお笑い芸人・岡村隆史氏が都内にやってきて、コロナ禍で仕事に行き詰まり売春せざるをえなくなる女が楽しみだと発言するなど、明らかに中世の大坂商人と全く同等の「通人」的悪意をラジオで公言してしまった事などから分かる通り、売買春肯定の世界観である。東海道で中間地帯にあってこれら旧三都に直接避けようがない影響を受けているので、愛知人も、やはりこの点では似たり寄ったりで、名古屋駅から一歩裏通りを抜けようとしたら性売買の店ばかりで僕は本当に文化衝撃を受けた。愛知人は名古屋嬢などと娼婦を美化しているし、不潔さは東京や京阪の同等以下。
結局、現時点の三大都市圏、東京・関西・愛知ではどこも性売買罪が常態化しており、国法では違法状態の筈なのに風営法を抜け道に営業させているだけでなく、東京人に至っては娼婦(違法業者)を公然とネットのアベマTVに出演させたり、落合陽一氏は自分の属した筑波大で娼婦に講義させたりしている。そういった東京・関西・愛知の大都市風土の中では、男女その他の貞操・純潔が軽視、又は進んで汚辱されていても、内部に暮らす人々の文化的なスキーマ(先験的な図式、思い込み)で、それになんら疑問を持てないのである。
しかし同じ日本でも三大都市圏外で、武家が儒学を講じた地域には純潔がある。北海道については、そもそも松前藩の領域を除いて、本州の儒学が伝わっていなかったと考えられ、『女大学』式の貞操教育が昔も今も一般的ではない。離婚率が高いのも通常、北海道人一般の性観念は、クラークらに米国から持ち込まれたプロテスタント世俗派に近いもので、恋が冷めたら離婚可能だからだ。自分は北海道・旭川の或る女が「貞操ってなんですか?」と、貞操観念どころかその言葉すら知らなかったのに、かなり大きな文化衝撃を受けた事がある。その人はまるで動物の様になんのためらいもなく複数の相手と罪悪感なく性行為していた様だったが、それが親も旭川社会でも当たり前だといっていた。元々アイヌの社会に、確かに儒学的・キリスト教と類似した貞操観念はなかったのかもしれない。この意味では縄文期の本州人同然の文化的状態で孤立したままだった文化圏に、明治期で直接、本州・米国などの文物が札幌圏など一部に流れ込んだが、それ以外の大部分では以前のままの自然な状態なのだろう。
ではこの純潔貞操とは何かだが、一夫一妻・一夫多妻制の婚姻形態の元で、社会的混乱なく繁殖活動する為の社会契約の前提だといえる。それで不貞行為(度重なる婚外性交渉)が民法でも離婚事由とされている。つまり婚姻契約の中には信義則が含まれ、特に子育ての上で資源を配偶者間に注ぐべき意図だろう。一夫多妻制を公認するイスラム教徒の間でも、婚外交渉は禁忌であり、純潔貞操が重視される。つまり純潔貞操の基礎とは、社会契約を通じた単独または複数の配偶者間の信義則であり、これなしには浮気、不倫などと呼ばれる不貞行為により資源が分散しがちなので、特に子育てに諸々の不都合が生じた筈だ。東京人・京都人・愛知人らが、純潔貞操を進んで汚辱する傾向にあり、逆に娼婦男娼の間での客寄せ、又は婚外性交渉と重なる淫行といった通常、乱倫と呼ばれる言動を「粋(いき)」とか「雅」「もののあはれ」などと美化していたのは、結局、集団的に信義則を破る反社会的な人々が多数派を占めたせいだ。
緊急避妊薬を東京・京阪・愛知圏などのあばずれ的な日本女が、安直な妊娠とか性病罹患を避けさせる生殖医療からの指導を含む産婦人科医を侮辱しながら、解禁せよ! とごねるのは、理屈は女性の避妊権を主張する国際機関から借りているものの、実際的には不貞行為の正当化の為だといっていいだろう。なぜなら、望まぬ性行為を現行法下の日本でそう頻繁にされるという事は基本的にありえない話で、強姦・準強姦罪も強制猥褻罪も違法なら、安倍悪法下では内心の自由まで侵害しいわゆるセクハラ冤罪可能にしている。希な強姦時に産婦人科医を受診するのが面倒など体のいい言い訳で、本来より安全で確実だ。
通常、コンドームによる避妊法を用いた性行為では、単に妊娠だけではなく性病の罹患率も下げる事ができるし(口を用いたり傷があれば完璧ではないだろうが)、特に男性間の肛門性交が主なエイズ罹患源な以上、コンドーム着用を拒絶しつつ不特定多数と性行為する人が、異性間でも性病の感染源なのである。したがって論理的に言って、緊急避妊薬を市販させたがっているあばずれ系日本女勢には主な目的が、婚外交渉時に避妊具・コンドームを用いず性的快楽を得たい、という淫乱性にしかありえない。通常のピルなどの避妊を面倒がる彼女らは次の様な結果を招く。副作用として性病の罹患率が上がるという事だ。
福沢諭吉は性病は不貞な人間を苦しめ、悪徳を防止する触媒だといった。確かに親から子に感染したエイズとか、強姦・準強姦・強制猥褻などを通じた罹患などを除けば、一般論としては、不特定多数と性行為する人々にとって、彼らの快楽中毒に重い歯止めになっている自然的な障壁の一つだろう。緊急避妊薬の市販にも同じ福沢理論をあてはめると、快楽目的にコンドームを拒絶するあばずれ系日本女全般が、性病罹患者と性行為する可能性が以前より高まるので、彼女らの長期的苦痛が増える(エイズ罹患後は直接的性行為で相手ごと苦しめる結果になる)し、この世の受難を人罰化し強化する業である。また同じく、性病の罹患可能性が以前より高い環境下――特に純潔貞操を常態的に汚辱する風土である東京・関西・愛知圏で、性道徳の覚えがない人々が緊急避妊薬が売っているから大丈夫だと不特定多数とコンドームなしに性行為を繰り返そうとする余り、刹那的に性産業は以前より繁盛するだろうと思われる。
もし日本女一般に、不特定多数とのコンドームなしでの性行為を好む淫乱性向より、特定少数又は単独とのしばしばコンドームでの避妊を含む性行為を好む、あるいはそもそも性行為そのものを好まない程あれ貞操性向の方が強ければ、緊急避妊薬市販は危険と認識し、性病蔓延防止であばずれ系を批判した筈だ。だが現時点までのツイッター等、ネット世論の動きを見る限り、日本女一般にはそこまで知恵が回らず、あばずれ系の東京・大阪女らに教唆されるままで、女権の当然の一部かの如き口舌で、高々不特定多数とのコンドームなしでの性行為志向とひきかえに、性病蔓延以外に何の結果もこない道を辿っている。
この緊急避妊薬市販を巡る日本の有様を見る限り、近い将来、既に主な先進国で最も不貞な女が多いと考えていいだろうこの国で、更なる性風紀の壊乱が見られるのは間違いないといえる。それが女権論者の行き過ぎによる野蛮化・退化なのか、それとも文明の進化なのかは、我々の世界史の中での宿命で分かる。
自分の個人的見解を書けば、東京・関西・愛知圏は見方によってはスラム・貧民窟の風紀であり、純潔貞操を守って家庭を維持したい人々には暮らせる環境ではなくなるだろうから、いわば大都市圏が違法な性風俗業こと乱倫の商業化による「口減らしの墓場」になるだけだろうと思う。以前からそうだったが。東京・関西・愛知圏は全国から不貞な人々を集め、その内部で善良な家庭での子育てを破壊する乱倫行為をさせ、違法業務を行うヤクザこと反社会的勢力・暴力団達が金を搾取する。このカネは更に闇市に流れ、麻薬とか人身売買罪とかより悪辣な犯罪の原因となる。結果、これら大都市圏は衰退に向かう。そうであれば、東京女らが淫乱目的に女権乱用で緊急避妊薬市販を公にわめき働きかけるのは、巨視的にみて彼女らの周囲に性病や売買春(の罪)、重大犯罪を誘因しているにほぼ等しい。
この業は自業自得で、避妊選択権を自らなくしていこうとする不貞日本女の苦難を増すばかりであり、道徳的罰の一種だ。