2020年10月22日

わが茨城県人は他国・他都道府県を侮らず飽くまで謙虚たるべし

関西地方とか九州四国地方の人達て
今から7000年前くらいから西日本に入ってきて
そこから物凄い威張りようだけど
一体君らになにがあるというの
僕は正真正銘の文化人という部類の人間だと思うけど
0歳から芸術と学問しかやってないし
そこからみても君らろくな事してないよ
朝鮮と中国からきて

僕が客観的に評価するけどね
西日本で過去うみだされた全ての学術なり文化の中で
最高度の達成って、多分だけど『万葉集』だと思う
古代奈良の時点で完成され、以後は堕落の日々じゃん
万葉集にはいい和歌が確かにあります


石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

東歌もいいが

奈良時代の奈良人は確かにある程度は優雅なところがあったと思いますね
大体、各地の人達の真情を和歌に詠み込んで記録すると言う発想とか、それ自体立派な詩的国家政策でしょう
今でいやあ、歌会始の応募作中、各都道府県産で、一番現地の美事の秀作佳作を選り抜いて勅撰和歌集にしたみたいなもんです

しかし現代の奈良人とか本当に酷いからね
笑っちゃうよ
ものすげえゲス女いて驚いたもん
言動からして面食らうくらい凄い
キモイやんとか
聴いた事ないよ、この世で
関西弁ってこんな下品な言葉なのって驚いたんだから
語る側の心が荒んでるから言葉遣いもすごく汚く響く
1300年も経てば見る影もない

なぜそこまで堕落してしまったのか
これは考える余地があると思う、自分達がそうならない為に
奈良って大仏商法で全く努力しなくなった様に言われている
観光集客に頼ってるからひとりあたりGDPが一番低い
偏差値にして32.6と、暑くてだらける沖縄を抜き圧倒的最下位

要は、奈良人は怠け者になったという事だ
もともとのどかさを超えて、山奥でまさに「山戸」だし、外界から隔絶され奈良時代のままみたいな悠久の風土と思う
そこに生きている人達は、外界では次々進歩が起きているとしらずに生きてきた
その方が有利だった
奈良時代の観光にくるんだから修学旅行で

しかし勿論そこにはいいところもある
僕が全国方々の人達と接した限り、外国では当たり前の田舎好きといえる人は、
全日本人では、奈良の或る川べりに住んでいる男性1人だけだった!
この逆で一番酷い都会オタクなのは京都人で、一部が京都から東京に出てきた上で、物凄く陰険に田舎差別していた

こうともいえる
関西人なんて括る言葉もあるが、奈良人と京都人なんて、天と地というくらい違う
それは奈良人はある種の超時代的な古代渡来人シーラカンス系なのに比べ、京都人はある種の中華思想的な偽長安人という事だ。
どっちも純日本人ではない
但し彼らは自分達こそ真の日本人と嘯いているが

今でも西日本の人達をネットで観察してると
これは間違いなくいえる事実だが、驕りが物凄い
特に茨城とか西日本と、結構、縁もゆかりもない
個々人では西日本と関係ある人もいるかもしれないが
徳川家だってもとは群馬出身者が愛知に出ていたのだし
広義の関東・中部人だろう
殿様の正妻が皇族だった位

地誌の範囲だと、京都から排斥された尊王思想家の北畠親房がこっちの武士を頼って来た、
親鸞も布教に来たとかである
近年だと、日立鉱山は鮎川義介の資本だったのと、
今パナソニック、元ナショナルこと松下電器の松下幸之助が、水戸人のエンジェル投資にドラマシアター水戸黄門で恩返しとかだ

細かい部分では接点があったかもしれないが
総じて、茨城は西日本から独立で発展してきた
5億1100万年前の日本最古の地層があって
縄文人がやってきて巨大貝塚の周りで何万年もくらしていた
立派な古墳文明が作られた
やがて古代奈良人がきて筑波山登り風土記作り
将門現われ最初の武士として独立宣言

佐竹が覇者になって一帯を統一
僕が見た中で最善最美の寺、こと一切唐様に染まっていない、
純和風様式で世界最高の品位といえる、威風堂々たる建築的完成度の佐竹寺を残した
これと比べたら法隆寺なんて、まじで中国のパチモンで、奈良人は誇ってんだろうけど、本当にチンケな発想の代物である

で徳川がきて、いわゆる水戸学をうみだす
今に残る日本一の広さをもつ都市庭園である偕楽園や、
代表的藩校といえる弘道館など、世界史に誇る歴史遺産を残した
近代化も日本で最初に先駆けていたのが茨城と、桜田門外の変の段階で自製近代兵器を使っているのでも分かる
水戸の義士の働きで維新を経た

大政奉還や江戸無血開城も茨城人・徳川慶喜が自分で決めて自分で実行した事
尊王の家訓に従えば当然そうなる
日帝の薩長藩閥による欧化一辺倒の猿真似政策に抗って、岡倉天心や横山大観らが、北茨城で近代日本画を興す
茨城人の木村屋がアンパンを世界で最初に作り、国花の桜あしらって皇室に献上する

今では日本一従業員を雇っている日本を代表する上場企業の一員といっていいだろう日立製作所も、最初の姿は茨城人が明治時代に自力で茨城県日立市から興した、鉱山機械を修理していた町工場だった
今も日立市に主要工場や研究所があって、そもそも僕の幼馴染だって日立の社員だ
要は自力で産業を作った

明治時代に常磐線が開通し、偕楽園まで観梅列車が通ったので、
そこで水戸人が一計を講じて、仙台から習ってきた納豆を藁苞のパッケージにしてお土産に売り出した
これからだ、水戸が納豆というブランドを手にしたのは
元々マーケティングの勝利で、水戸のいなかっぽいイメージを利用した商材だった

特攻隊の訓練場は茨城にあった
そこで特攻隊員らが本土決戦に備え、来たるべき米軍との決闘を覚悟していた
今も自衛隊空軍が茨城から首都圏を守っているのは同じ文脈で、発着場になる広い滑走路が置けるからだろう
茨城空港はもともと、事実上、この首都圏唯一の防空基地を、民間利用可能にしたものだ

日帝は米軍に敗戦したので
茨城にも、神奈川や沖縄みたく米軍基地が置かれた
しかし茨城は尊皇攘夷論を自分達でうみだした愛郷心の強い風土、
自ら愛郷無限なる合言葉を某代議士が掲げていた通り、誇り高い純愛国的風土である
反対運動して米軍追い出した跡地が、ネモフィラの丘でありひたち海浜公園だ

茨城の空軍は、米軍に頼らず自分達で守るからいいから出て行ってもらえませんか、という交渉をし
平和裏に米軍を郷土から追放する事に成功した
沖縄や、3つ隣の神奈川でこういった運動がなぜ起きないか?
愛郷心、愛国心、何より自分達の国を自分達が守る気概や、その前提となる誇りが足りないだけだ

茨城は特攻隊がいたから話が別だとなるかもしれない
そこまで覚悟していた人達がいたからそうなのだと
あるいは尊攘志士が、外国に侵略されるのは我々の国の尊厳を侵すものだ、今すぐ防衛戦争すべしといって、
右往左往で不平等条約の勅許とかしていた幕府とバトって死にまくった歴史があるからだと

神奈川なんてもう最初から外人寄留地なんだから、米軍がいても、なんでそこにいるかなんて考える知能がないのかもしれない
実際、高度な協力だとかわけのわからないアホをいっているのが神奈川の某議員たちなので、もう間接統治されて骨の髄まで属国化されているという自覚がない
沖縄の方がまだ気の毒

幾ら米軍が強いからって、
同盟国として軍事協力する、又は技術協力をして色々学び取る位ならまだ理解できるものの
自国の中に、他国軍を置く、という事はそれと何の関係もない
それを間接統治というのだ
沖縄世論は基地新造はやめて位だけど
本当は完全追放をさっさとやる以外ないのだ
これが国の本義

また次の事がいえる
三浦瑠麗という人が、国民皆兵もどきを復活しろ、みたいな事を今や政権アドバイザーみたいな立場にも拘らずいっている
これも筋違いというべきだ
自国を死んでも守りたい人と、それより自分の身が大事だという人がいる
後者は良心的兵役拒否の権利がある
前者だけを軍事調練すべき

現実の戦場なんざ地獄以外なにものでもないので
『荒野行動』みたいなチャラけたものではない
戦争映画より遥かに悲惨なわけで
そこで嫌々ながら従軍したやつなんて使えないのである
そんなのを連れて行くから慰安婦問題とか起きる
自国の為に捨て身になるつもりのやつは、誇り高い振る舞いが当然と考える

飛虎将軍がなぜ英雄的振舞いをしたか?
或いは水戸の天狗党が、『夜明け前』の中で、島崎藤村からなぜ好感を持たれたみたいに描写されたか?
彼らは嫌々従軍していたのではない
自分から祖国を守るつもりで参加していた筈だ
要は自己犠牲である
名誉の死を覚悟した人が利己的振る舞いをわざわざしない

例えば漱石とか腰抜け系のひ弱な都会っ子だ
事実として兵役さけて逃げていた
漱石を従軍させた所でろくな働きなんてしないだろう
おしっこちびって猫にゃん~とか泣き叫ぶ様なやつだ
そんなのずっと英文学でも漢文学でもさせておけばいい
使えるやつを更に強化した方が楽だし、
何より分業は合理的だ

たのもしくよはあけそめぬ水戸の町うつつちのおともたかくきこえて

と、戦後最初の歌会始で昭和天皇が歌った
人間宣言後、全国巡遊中に、水戸空襲を生き残った茨城県庁の屋上に登って、歴々と尊王の誉れ高い水戸の町が、はやくも再建され始めている音をそこで聴いたのだろう

昭和時代になり、つくばに研究所を集めた日本最大の学園都市が、恐らく全アジアで最初につくられ、そこで万博が開かれた
これ以後もジャクサの宇宙センターはつくばにあるし、民間ロケット飛行を最初に成功させたのも最近の茨城だ
陽子加速器だの電子・陽電子衝突加速器KEKBだのも茨城
科学技術先進県

じゃあその茨城の全史に比べ
一体全体、西日本の人々が、我々に何かしてくれましたか? 何か我々の文明づくりに貢献しましたか? って話
正直ずーっと京都からくっだらねー差別を、延々としてきただけだよ、平安期頃から
少しは応援してくれてたのは奈良時代だけ
古代奈良人は風土記で褒めてるだけ

或る意味、古代奈良人ってのは
西日本人全体の中でも、一番ましだったんじゃないですか
上品だったと思います、文官はね
ただ、武官の方はダメだった
風土記でも、武官の方は、茨城の由来にもなってる逸話だけど一方的に虐殺して威張っていたからね
普通にさ死刑廃止の時代からみたら、ろくでもないよ

少しは応援と書いたが、
正確に言うと、応援じゃなくて、単に好感を持って茨城の暮らしを書いている場面が相当以上にある、という事だ
『常陸国風土記』でも『万葉集』でもこの点はほぼ同じだ
ろくでもねえなといえるのは古代奈良人・黒坂命の蛮行だけ
要は先住日本人の一部を虐め殺して威張っていた

古代奈良人が「比較的」全西日本人の中ではましな部分が、文官の一部の教養水準または共感性に満ちた心理としてあった、というだけで
天皇含め古代奈良人は総じてろくでもないけどね
そうでなかったらアテルイ虐めたりしませんし
クマソだのを騙まし討ちしてザマーとか幼稚な事もいいませんしね

常陸こと現茨城県の人々と、平安以後の京都の文化とのかかわりって
僕が色々辿った限り、『源氏物語』の中でも『枕草子』の中でも細々と出てくるんだが
総じて、いつもの中華思想、見下す偏見目線ですから
『源氏物語』では一応、浮舟なる最大のヒロインの出身地にされているが
常陸自体を褒めてはない

浮舟は茨城県に、今の知事として赴任した皇族の娘なので、
茨城はずっと親王任国だから、当時も常陸宮みたいに皇族が知事になる慣習だったのだが、
要するに素朴でけがれを知らない、最上流階級の箱入り娘として浮舟は描かれている
今でいう茨城弁だったんでしょう
それで逆に京都男の軟派対象になる

浮舟は結局、好きでもない京都男どもからの度重なる軟派を拒絶しまくるものの、
というのも、今の茨城もそうだけどいなか者なので都会人みたいにあばずれておらず、貞操観念がしっかりしていた。
大して美男子でもないとされるチャラ皇族・匂宮に強姦され、その結果、人生に絶望し、自殺を考え実行する

しかし自殺は未遂に終わった。
浮舟は恐らく命の次に大事にしていた貞操を奪われ、人生に絶望したままなので、
もう下らない京都男に軟派されたくないと若くして出家する。
しかしこれでも匂宮だの、もとの主人公の息子・夕霧だのもこの段階では既に浮気に馴れ堕落しているので尼の浮舟に軟派くり返す

浮舟の絶望の程が分かるだろうか。
遂に浮舟こと茨城育ちの素朴な皇族の娘は、尼としても京都男どもとの面会まで拒絶し、
これで源氏物語は「とぞ本にはべめる」とかいって終わりである。
これのどこが名作なのか?
いなか者の箱入り娘が、糞京都男に強姦され絶望し、自殺未遂も失敗し出家し、男性嫌悪

なぜ紫式部が、浮舟を茨城出身にしたのか?
これは僕も詩人みたいなもんでかなり分かる気がする。
実際、当時も、茨城県知事こと常陸国司が式部の身近にいたので、その観察で、
なるほど田舎育ちってこういう事なのね、と感じた筈だ。
なぜ浮舟の描写で終えたかも、かなり分かる。
浮舟だけ特別なのだ

前半から中盤の終わりまで
女性陣は、例外なく京女しか出てこない。
その京女達は全部、はっきりいってあばずれ系である。
最初はうぶな娘ぶっている場合とかも殆どないけれども、
実際に強姦とか準強姦、強制猥褻みたいに皇族に交尾されてから、
今度は手の平返して、自分こそ愛人ぶるキャラばっかだ

要は京女は、心が汚い。
というか卑怯でずるい。どこまでもけがれている。
これが紫式部の冷厳な観察であり、描写である。
一見憐れっぽく見える描写もあるが、
根本では冷たく見放している。
「お前もか、空蝉、末摘花まで」
ところが、本居宣長は、共感性が低いのかサイコなのかで、これが読めてない

紫式部は遂に、田舎育ちの娘なら救われるのではないか? という実験に出るのだ。
さすがに京都男も京女も猿未満の悪魔みたいな、虫みたいな連中だろうと、
貞操観念をしっかり仕込まれた、茨城出身の茨城弁のイモ女系の皇族の生娘なら大丈夫だろう。
それを場に投入してみたら、すぐ強姦された

それで紫式部は、物語全体で初めてといっていいだろうが、貞操に関わる良識を喚起させる。
「いやいや、浮舟を強姦して回そうとするとか、あんたら京都皇族の大グレヤンキーというかヤクザどもは屑ばっかか?」
これが式部のいいたい事だ
そう読むのが正しい展開で、遂に浮舟は救われず、悲劇で終わる

『源氏物語』の中の茨城の位置づけは、
常陸に直接的言及している部分を読む限り、
「田舎」の典型例として出されているのだ
のち本居宣長がもののあはれだといった京都の強姦GOGO、浮気やり放題の風習に染まっていない、
武家の女性の様なまともな貞操観念を仕込まれる世界
良識の生き残った異世界

まぁいかにも京都人が田舎に持ってそうな偏見
というかよく考えると、紫式部の中では大分美化された田舎の典型例が茨城県こと常陸国だった
僕が実際にその県の、昔から常陸国だった領域で生まれ育っていうが、
この式部の偏見は、実は間違っていない
都合のよい偏見とかではなく実際甚だ貞操がある

僕が見てた限り僕の姉なんて
間近で観察してたが、結婚まで脇目を1度も振っていないと思う
いわゆる純朴な田舎の生娘といえると思う
浮舟ってもしかすると、現実の茨城生育の、常陸国司の娘をモデルにした可能性もある
実際、ここの中上流とか、真面目な風土だし、東京や京都みたいに全然けがれてない

いまや奈良の娘とかよくみてた限り
茨城なんかより遥かにけがれているのは絶対に間違いない
大阪や神戸に出入りしてしまうからそうなのだ!
茨城の箱入り娘は、東京や横浜に出入りするのだけはやめた方がいい
県南部はもともと常陸ではなくて下総の一部だったけど、それで悪影響ばかり受けるに違いない

じゃあ『枕草子』の方で茨城がどう扱われてるか
これは風変わりな女法師、
要は尼が「夜は誰とか寝む。常陸介(ひたちのすけ)と寝む、寝たる肌よし」と、清少納言らの前で歌った所で出てくる
これ以後、この尼は常陸介、要は今でいう茨城県副知事というあだ名を、少納言らにつけられ、色々嘲笑される

紫式部の方が清少納言より性格が悪い、という風に一般には考えられているのは、式部に日記が残っていて、その中で少納言の陰口まきちらしているせいだ
このあたりで既に、今に至る京女の普段の有様が、何も変わっていないのに驚かされるではないか?
或る意味、県民性の類って継承されるのかもしれない

しかし現実には、清少納言の性格がいいなんて事は、当然だけど全くない
紫式部の方が、茨城に関する扱いで見る限り、今と変わらずかなり田舎扱いの偏見で色々見下している節はあるが、まだ全然、ヒロインの出身にしたりしてある意味では京都にはない純朴さの象徴としてある種の羨望を持って扱っている

清少納言がここで「常陸介」を連打するのは、尼が歌った歌から勝手につけたあだ名であり、
要は当時の常陸国に現に暮らしている人々を侮辱するものである
そのあたりの他人に対する無共感ぶりは、少納言の筆には無数に出てくる
当然だけどまだ人権感覚が全くなかったのは間違いないが、差別性が激しい

『源氏物語』も『枕草子』も読み込んだ人なら分かると思うが
はっきりいって作者はどちらも強度のサイコパスといえる
全体の描写のどこにも、我々の時代感覚でみて感動し涙できる様な点はない
寧ろ同情に足るほど可哀想といえるのは浮舟一人だが、これだって結局、自殺未遂させたり出家させ虐めて終了

ある尼が雪の日の前に、清少納言に着物1枚を施しされ、去った。
常陸介とあだ名された尼は雪解けの後で
あの時の別の尼への施しを羨ましいと思ってしまい、暫く宮内にこなかった、と歌った。
ここが清少納言節だが、中宮定子は「可哀想だったわ、こちらに教えてくれれば施しをしましたのに」的にそれで笑ったとある

この種の悪意があるといえなくもない笑い、
すなわち身分差別を前提に庶民へ向けられた「宮廷ごっこ」みたいな嘲笑まじりの場面は、
清少納言の描写では相当の頻度で出てくる
今でいうと、ブルジョワのごっこ遊びみたいなレベルで書き留められているわけだけど
恐ろしいのは、これが現実にあったのだ

今の皇族は、国民に向け身分差を前提に嘲笑なんてしようものなら、
それはそれは全国の反天勢力が大喜びもしようし、
宮内記者会で報道管制をびっちり敷いてあるのに、漏れた責任だといって宮内庁官くらいは首になりかねない
週刊誌の真偽不明な(ある宮内庁関係者)とか、推測記事で冗談扱いがデフォ

紀子様が秋篠宮家侍従を罵倒! とかゲスな週刊誌の最近の十八番だけれども、
実際の宮内で、女官がリアルを公然と書き留めていた以上、
平安期の皇族は、素で国民を差別しまくっていた事になる。
そんなの当たり前でしょ、となるだろうけど、
乞食の類をも嘲笑していたのが、清少納言伝の事実である

ここでいいたいのは、
常陸守(茨城県知事)も常陸介(茨城県副知事)も、
両平安文人の本にはちゃんと出てくるわけだが、
その扱われ方が、大分酷い
僕はこれを詳しく知ってからも、
段々と京都を疑いの目でみる様になった
どこが上品な貴族なんだと思うだろう
価値観が違うのは無論、差別的すぎる

西日本人の大いに誇っている当の京都の
最高の達成といえる学術的・文化的精華が、
いわゆる『源氏物語』と『枕草子』なのは、文芸に限っては異論がないかもしれない
だがその2つの本でつらつら調べても、
わが県の文脈とは余りに違うし、
高潔な文人階級の我々からみたら、
西日本こんなかとなる

あの『万葉集』を残した奈良ですら1300年後は今の有様
それなら今より1300年後の京都も推して知るべし
驕れる者は久しからずというが
既に、平安期にその驕りは萌芽していたのだ、はっきりと
私は京都を特にこの点で反面教師にしたい
茨城人は最下位もう一遍! とかいってて本当に恵まれている
謙虚さの極みであろう