2020年10月19日

なぜ東京人達は「ダサい」「田舎臭い」「地方」などと差別用語で頻繁に全国蔑視するか

東京人と表向き名乗っている全国の田舎出身者は何でも見てくれを気にする
人口過密ゆえ他人本位で生きないと皇族ばりに絶えず見下される辛い環境なので
虚栄心を満たす目的で、羨望されるため格好つける事ばかりに金を使って
その実、日常も内面生活もこっぴどく貧しい
見栄を張る差別主義者は負け組だ

東京人が「ダサい」「田舎臭い」を日常の差別用語にしているのは
彼らが他人本位な差別主義者である証拠
東京人は他人から羨望される事だけに生きがいをみいだしており
他人に見下されるのを最大の汚辱と感じ発狂しだす
ところが性格は尋常でなく悪いので
他人を差別し見下す事には全力を費やしている

自分が「ダサい」「田舎臭い」人間である、という客観的には真実でしかない自己同一化に、全国の田舎から集まっている東京人はなぜか耐えられない
全員がその逆、即ち「格好の良い」「都会かぶれ」の人間である、という共同幻想の内部で目立って羨望される目的に向け、互いを卑しい偏見から差別しあう

そして東京人のこの虚しいラットレースの中心にいて
最も羨望を集めているのが、奈良のドイナカから出てきた殺人カルト教祖こと皇族だ
東京人達は、皇族に見下されるのはなんとか耐えているものの
現実にはその鬱憤晴らしのため、自らの出身地を含む全国を田舎だといい差別しまくる
気が狂っているのだ

そもそも「ダサい」の対義を「格好良い」だと言い出したのは基本的に東京人発だろうと思う
ダサいの語源は他に類比できない限りおよそはっきり「田舎い」であり、全国から集まってきた東京都民らによる地方出身者への差別用語だった
つまり自己正当化の為に、故郷と異なる共同幻想を作るつもりだったのだ

今も東京人らは「地方」という政治的不正になっていないと彼らには認容された言い方にきりかえてはいるが、
要するに京都人ばりの中華思想を、日常的に吐き連ねている
自分達東京が世界の中心で、そこから性質が遠い場所は卑しい、という明らかな偏見に基づいた、自文化中心主義的な自己愛妄想である

そして東京人が「田舎い」という時、この華夷秩序が無意識に踏襲されている
東京人の間では、根本から非東京的なものであればあるほど「田舎い」「田舎臭い」と否定的な偏見で蔑視される
逆に東京的なものなら、いかに卑しい対象でも決して「田舎い」「田舎臭い」とは言われない

この激しい自己愛に由来した極度の虚栄心が、東京人全般の脳内のしくみだ
要は歪んだ地域ナショナリズム
その最たる言動が「田舎い」「田舎臭い」とか「地方」といった無意識を含め、甚だ悪意を込めた言葉による、東京都外の出来事への差別表現なのである
東京人はこれらの差別で無理に、共同体を作る

「格好」とは、元々、「恰好」とも書き、要するにみてくれだ
外観主義といいかえられる
いづれも近年の東京俗語で、この文脈では決して伝統的語彙ではない
「格好良さ」とは東京人にとって高い価値を持つみてくれを意味する
要は見栄えがいいものなら何でも彼らは、他人を差別する目的で採用したがる

この東京人の考え方は、根本で価値基準が他人本位な通り、自分自身がどう感じるかは基本無視される
他人に差別されるみてくれのものは、彼らの中では「田舎い」分類に落ちてしまう
なるだけ多くの都民達から羨望されるものが「格好いい」とされるのである
これが東京人の美意識がひたすら卑俗な理由だ

私は0歳で茨城県で生まれ、成長中に福島県や東京都で育った
結果いえる事は、これらの自治体の中で、何につけ総じて東京の趣味が一番悪い
理由はこの「格好いい」「田舎い」という彼らの美学の根本にある
都民の最大公約数を集めると、当然ながら最も卑俗な代物が、美人投票で合格してしまうのである

しかし福島県は、私が経験したのはいわきの文化だが、
決して「格好いい」とか「田舎い」といった東京の通俗的価値観を、おもなものとは思っていなかった
寧ろ好き好きに生きている人が多く、要するに美意識面では極めて寛容な世界だった
他人から笑われようが、福島の人達は大抵なんとも思っていない

福島・いわき人にとって重要なのは、単に自分の心の声に素直に従って、自分の好きな価値観を身にまとえているかという事だった
自然で、寛大な、とてもいい文化だといっていいと実体験として感じた
確かに全く奇矯な事をすれば冗談まじりに笑われる事もあるかもしれないが、
それ自体がうけいれられる

また茨城人にとって重要なのは、それが道徳的なものか、という事だった
これは絶対的な意味で、高貴な文化といっていい
茨城の文化的な美意識は、恐らく徳川家はじめ旧華族の最高位の者が幾つも住んでいたり、
国司や、歴代武家が高位をあてがわれていた経緯から、もあるかもしれないが、
明らかに貴族的な価値観を尊ぶ傾向だ

一々語るまでもないが水戸の徳川家は公爵(英語圏でいうプリンス)なので旧華族として最高位だったといえるだろうし、
同じく公爵だった慶喜家はこの間、水戸で養子を取らずなくなってしまったが、
これ以外の茨城にいる徳川家も侯爵位だったり、高位の貴族が住んでいる点では他の関東と大分違う

そして遡れば関東で一番伝統がある国、県といえば衆目が一致して常陸こと茨城で、
東国最古の文献記録が『常陸国風土記』なのは現時点までの日本史・世界史の真実、
その中でも、連歌の起源になっている

考えてみると古代の段階で、『万葉集』に残されている常陸国の人々の和歌も
心和む悠久の風景や真情を詠んだのもあれば、
国の為に自己犠牲を省みない崇高な徳性の印まである立派な体系だし、
単に筑波の古老だけが詩人だったのではないのは、当風土記が流麗な四六駢儷体を駆使しているのでも明らかだ

僕が東京にうんざりして帰ってきた時、
茨城新聞の『茨城文芸』で毎週掲載されている、
それまでは当たり前だと思っていた和歌を読んで、
あまりの尊さに涙を流したのは決して偶然ではなかったのだ。
茨城県は明治政府という西日本果てから出てきた、暴力しか能がないヤクザ集団に無理に貶められてきた

しかし冷静に見返せば、延喜式の令制国の段階から、
常陸は既に東国で最重要の一大国として、
主要皇族を国事に任じる親王の赴任地にされていた。
この伝統があればこそ、今上上皇が最初の皇族に常陸宮との名義を伝統に習ってあてたといえるのだし、
御三家を置かれたのも同じ最大の生産拠点だからだ

常陸こと茨城が貴くなかった時期は唯の一度もない
首都圏どころか東日本で一番ノーベル賞受賞者を輩出しているのは茨城県の現筑波大学でもある
なぜ古代から変わらずこういう現象が起きるかといえば、茨城は風土記に書かれている通り、恐ろしく豊かな土地だからである

生産性が潜在的に高いので、
この土地にくらす民衆で、貧困は一人も見られないと奈良時代初期の風土記に書いてあるが、
これはどうも本当の事で、僕は0歳から20代を除き今までくらしてきたけど、まだそういう家を知らない
よく探せばいるのかもしれないが、本当の話、東京みたく貧者が溢れてはない

それだけ生活資源に余力があると、
当然だけどありふれた自然をただ尊んだりする心の余裕、
学術の方面に力を伸ばす経済的余裕ができる
これが茨城勢が日展常連だったり、
近代日本画を興す前衛芸術運動の母体になったり、
あるいは古代から、四季折々の花鳥風月を尊ぶ質の高い歌を量産してる真因だ

茨城県のみが世界で唯一
日本全体の歴史を研究者が自主的に総覧し、
遂にはわが国独自の哲学として皇国史観なる物を生み出す事になった。
現代日本人の基本国家観だ
いわゆる水戸黄門が彰考館で行った、県(国)としての学問事業だが、
これがなくば日本が殖民地になってばらばらになったかもしれない

他のどの県でもそんな大事業をやろうとした所はない
精々、寺子屋とか藩校どまりだった
その藩校も日本で一番立派で、というか全世界で最も素晴らしいのがちゃんと水戸に残っている
何度も書いてるが建築家として自立をめざし全力で建築の勉強してきた僕が方々巡って、最高の建物だと認める傑作だ

要は明治維新も、理論の基礎づけから実行まで
はっきりいって全部、茨城県人がやったといっていいだろう
通俗史観だと、大阪の嘘ばかりつく小説屋とかに騙され、
薩長が江戸だの京都だの東北で暴れた事をやたら好評している。
これは全く謎の仕草である
実質は弘道館の尊王志士が全部自ら革命したのだ

僕はこれでも在野史学者の一端を担っているわけで
関西人だの西日本の人々が一様に持つ類の全て自己中心的で、訳のわからない偏見を排して、
ちゃんと調べたら資料も遺構も残りまくってる近世の出来事なので誰でも分かる話でしかない
弘道館の志士が自分で幕府に喧嘩売り大政奉還、戊辰戦を締めたのだ

結局なぜそんな大業を、一つの国、一つの県が実現できてしまったかといえば、
一言でいうと、茨城(常陸)の潜在的資源に余裕があったから、というのがほぼ間違いない
他の地域の民衆は、自分の土地を耕し生活に費やすので精一杯だったし、
全国の為を考え進んで自己犠牲をするなんて想像もしていない

「貴族は庶民には理解されない」
「貴い考えは、卑しい人々には想像もつかない」
これがこの世の真理だ
だから、日本史のみならず世界史で最も貴い、
史実として行われた試しがない伝説的な政治行為といえる禅譲を、
素で150年前にやった唯一の人物が、茨城出身の徳川慶喜だったのに、誰も理解してない

貴族の風がある、これが茨城の領域に関して間違いなくいえる事実だろうと思う
勿論、茨城の庶民がそういう風を全員隙間なく帯びているかといえば必ずしもそういう話ではない
要は程度の問題で、上位者の考えがこの上なく貴いと、
ひとりでに、民衆の方にその遺徳が下ってくるみたいな感じである本当に

世界中の王族が一体どういう振舞いをしてきたか調べてみてほしい
もしかすると小国の王とかなら、どこかに禅譲した記録があるかもしれない
だが世界史で色々調べた限り、中国古代の神話上でしか最高権力者が進んで禅譲した記録がなかったと思う
『徳川慶喜公伝』で慶喜自身が自分の意志だと言っている

慶喜は水戸の殿様の一番優秀な子供だったが、
将軍家に養子に取られ、まさに名目とも副将軍(将軍後見職)でずっと外国公使の代わりをやらされていた
日本全体の為を考え、自分が征夷の位を譲れば、対外戦争で日本が潰れずに済むし、
天皇の下に統一国を作るしかないという水戸学の教えの通りにした

一体全体、西日本の無学な人々が、
明治150年記念で肝心要の水戸市長を呼ばなかった心底無教養な京都人全員も含むけど、
水戸学をかけらも学んでいないのは、正直呆れ返る
いや呆れ返ったのを通り越して、この人達本当に何も知らないのかなと不思議にしかみえなかった位だ
西日本の人達は卑しく蒙昧だ

茨城では、東京では平気でうけいれられている類の、卑俗だったり卑猥だったり下品だったりする表現をすると
ほぼ完全に無視されたり、白眼視されたりするのが間違いない
それだけ民衆の美意識の質が、東京とはまるで違っていた
この点ではいわきともかなり大幅な違いがある
茨城人達は趣味の品位が高い

自分は自分の北茨城市の美術展でも幾つもの種類の作品を提出してみたが
その結果は、やはり同じで、要するに審査員達は明らかに、道徳的に物を見ている
彼らはカントのいう意味での趣味の哲学を、本質的に理解しており
わずかなりとも品位に欠ける表現では、いかに先端技法でも低評価しか得られない

東京はといえば、自分が実体験した文化の中では、最も低俗な社会なのが絶対に疑う余地がない
そもそも日常に品性下劣な広告が溢れかえっていて、どの子供もそれを目にしているので、最初から美意識が都会ずれしてしまう
その中で赤子の素朴な善性とか、素直な心とかは蹂躙されたり、無視されてしまう

東京人達が自分達は最高の美意識の持ち主だと驕り高ぶっているのは、それ自体が完全に下品さの証明にしかなっていないが、
そうでなくとも、彼らの作り出す漫画・アニメ・ゲーム・ポルノ等の品性は、成程、
下品さを極めたくばそうなるだろう姿の典型例でしかない
当人達はそれが芸術だと信じている

しかしまた驚くべき事に、
関西や中部地方の人々は、この驚くほど下品な東京の文化を、
どういうわけか、上品な物だと思いこんでいるのである
公家が住んでいた頃の京都人は、江戸の文化を見下していたが
最近では進んで東京風のアニメやゲームを真似るなど、東京の傾向と全く変わらなくなっている

恐らく原因としては、中部の人達が、東京や京阪に挟まれ、この両極にしか目がついていない視野狭窄な事、
その上、経済的劣位を主な原因とする文化的資質として、
東京や京阪文化の既往の欠点を批評的にみる視座を、遂に持てずにいる事なども関係している
あいちトリエンナーレ2019等その一例かと思う

東京のコンサルタント的役割の人物に振り回される
これは愛知県に、文化的な主体性がない証拠だ
水戸芸術館を擁する茨城県とか、いわき市立美術館のキュレーターがそういった反地元・親東京の企画をする場面は一度も見た事がない
愛知には東京とも京阪とも違う、誇り高い独自文化があるとの意識が薄い

京阪は、文化の事に限らず京都人が東京だけでなく全国を中世都市のプライドで見下してきたのは最早板についたキャラクターといってもいいくらいだし、
現実に京都の人々からその様な不躾な差別を(しばしばかなりひねくれた、独特の陰湿な言い方で)された人も、関東圏に限らず数多くいる筈だ

大阪は、都構想だのはじめ東京を表面上まねてはいるが、そもそもその東京人の起源が、家康の江戸によびよせた大阪人達だし、
元々同じ種族が、東西に別れ生業たる商売をしているだけ、
要は、東京の双子みたいなものである
その事実を受け入れ難いと感じる、虚栄心が激しい点も、両者はよく似ている

つまり、東京文化を模範だ! と思い込んでいるのは、自分がみてきた限り、特に中部地方に多い、というかほぼ例外なく中部人――静岡、富山、長野、愛知などの人々――はそう考えていたのが疑いない真実なのだが、
これは、茨城や福島から見ると、完全に悪い模範をまねている、ただの不良行為でしかない

確かに茨城や福島にも、都内に出入りし、都民と関係を持ち、その文化的ミームを多かれ少なかれ持ち込んできている人もいる
大洗町出身のアニメーターとか、福島原発の関係者などがそれにあたる
だが福島側でこれがはっきり成功した例を自分はまだ知らないし、悪性の東京と甚だ相性が悪いのは確かだろう

茨城側では、大洗町の町おこしとか、筑波学園都市の建設が現にかなり成功したといっていいよう、
必ずしも東京人一般との相性が悪いわけではない
そもそも水戸の徳川家も実質的に東京人で、都内から国司的に――今でいう常陸宮的に茨城の殿様をしていた
恐らく関東の基本底流みたいなノリがあるのだろう

関東は、少なくも平安期以後、武士が統治してきた
武家の流儀が根底にあるので、平将門以来、数多の武家を輩出してきた茨城県側も、
北条氏が亡び、家康が江戸氏の居城に入ってからの東京都側も、
行政区画が風土記などで奈良人から捏造される以前から、基本は地続きの文化だった筈だ

旧武蔵国の南半分にあたる東京都や、旧相模国にあたる神奈川県が、今の様な、東日本全体と似ても似つかない関西風の文化に変容していったのは、特に参勤交代からはじまる、東海道の京阪・東京間の交通量がふえた事によっているのだろう
天皇も奈良人、薩長藩閥も東日本に縁もない西日本人に違いない

西日本は弥生期以後、渡来人の文化圏であり、要するに中国や朝鮮半島の別民族が入ってきた地域だ
対して東日本は、北海道・東北から関東まで、もともと先住の日本人が住んでいた地域だ
この両者が甚だ混在しているのが今の関東地方で、
おもに埼玉を境に、両者が文化的にも混血していっている

だが日本では、この縄文系先住人と、弥生系渡来人とは、東西に別れ千年以上に渡って、戦国をくり返してきた
総じて先住日本人はお人よしのきらいがあるほど人がよく、性善的だが
渡来人達は根っから性悪で、いいかえれば思いやりなく性格が悪いのだろうが、
濡れ衣を着せ、先住日本人側を侵略してきた

今も東京で、下品な言動を繰り返している悪徳大臣などを見れば、
大抵が北九州とか山口とか、渡来系の由来がある場所から出てきている傾向にある
そこから、東北の先住日本人の地域に、色々な負担をおしつけ、
場合によっては自らの悪政の責任をかぶせ、死刑にしたてあげたりなど悪業ばかりしている

当の天皇一門が正にこの渡来系性悪の典型例な事は、日本史を知る万人が認める所である
自らの侵略戦争が破綻するや、東北・岩手出身の軍人に全責任をおぶせ、自分は責任逃れをした
関西地方の人々が天皇を崇めているのは、関西人達が一般に、この邪悪な天皇より遥かに性格が悪い事しか意味していない

東京人が「田舎い」とか「田舎臭い」「地方」などと、
古代奈良人や中世京都人の様な、差別的華夷秩序の浅ましい言動を繰り返すのは、
正に、この天皇一門のミームがのりうつったもの、として先ず間違いがないだろう
これとそっくり同じ言動を、いまや北海道、広島、茨城より田舎な京都人もよくする

京都は完全に、中世からの朝鮮人移民地区といってよいだろう
中国の長安を模して急造成された平安京以前に大都市があったわけではなく、山城国の旧国名の通り、未開の山間の盆地だったのである
また東京も、今では京都人を含む、関西地方などからの大量移民地区である
移民が先住日本人を差別している

東京にやってきた外国人も通例、西洋や米国からの人々などが典型例だが、
京都人らと全く同じ、中華思想の横柄な態度までまねてしまう
郷に入れば郷に従え、朱に交われば赤くなるとばかり
彼らは、突然の如く、東京から全国の田舎差別をしだす
それは天皇が千年以上してきた悪意ある差別の、模倣なのだ

これらの性悪外人達も、結局は、古代から中世の中国朝鮮人と同じ態度を学んだのだ
要するに先住の日本人達があまりにお人よしなので、
彼らに対して強い差別的態度で出れば、自分達が優位かのよう誤認させられると思い込んでいるのである
実際にそういう事例もかなりあるからこそアイヌが追いやられた

今もイギリスからの或る移民が、全く同じ態度に出て、政商をしている
この人物は、自分が投資家で、大企業を主とする上場企業からしか資本収益を得られない事を裏の担保に
日本の会社の99%を潰せば、全体がよくなるなど矛盾しかない謬説を、政府にふきこんでいる
秋田出身の首相は気弱で応じてしまう

「格好いい」対「田舎い」、「都会」対「田舎」、「東京」対「地方」、「南関東」対「北関東」などの幼稚な図式は、どれも紛い物だ。これらはほぼ東京に紛れ込んだ悪性者達が、私利を最大化しつつ、その他の日本人をなるだけ自虐させ、自分の金儲けの犠牲にしたてあげようとする陰謀説でしかない。

自称象徴といって政府の公税に寄生し続けている自称天皇一門は、先祖を辿れば奈良の地場ヤクザに他ならず、
その実態は、大量殺人で暴利を貪る祈祷師で、
中世以来、官僚の地位を売り渡す事で、ひたすら贅に耽って淫行三昧していた関西の暴力団長とわかる
東京に出てもろくな成果がないのは当然だ

雑多な東京の一部に、わが物顔で紛れ込んだ極悪人達が、
政府の名で日本全体を操り、私利をほしいままにする企図を、日本人全体におしつけようとしている。
この陰謀を理論上はじめ見抜いたのは、恐らく私が最初であろう。
他の日本人達は多少あれ洗脳され、日々嘯く東京人のなすがままにされていた。

しかし同時に、自分以外の日本人達も薄々感づいていた筈だ。
少子化で滅びつつある国、その主因が、日本最低の出生率で、
何につけ卑俗で、犯罪数が多いだけでなく凶悪な犯罪率も高く、
都外に比べ到底子育てに向いた環境ではない東京一極集中にあるとはいえ、
一体、何がその邪道の原因だったか

それは天皇一門を主因とする東京人達の悪意にあった
彼らは「田舎い」「地方」など差別用語を日用する
日本中をマスメディアで洗脳する
さも自分達東京人のみ私利を貪るのが正しいのだと
全国民はその為の無力な奴隷なのだとすりこむ目的で
要は明治政府と同じ中央統治の謀略で
天皇が日本を操っていた

もしこの国が革新されるなら
間違いなく、最初に天皇一門が打倒されるべきだろう
そして明治政府の悪しき枠組みが完全に叩き潰される
全国民に身分差のない共和政が多数政治の前提なら
第一歩として、愚民を千年以上に渡り、収奪目的に洗脳してきた特権階級に過ぎない皇族の地位が唾棄されねばならない

京都や東京から全国民を蔑視する
この悪しき中華思想の宗教が神道だ
天皇を教祖とするこの邪教に洗脳された狂信者らは、
一人の例外もなく、全国民を、教祖の住む土地以下だと、あらゆる面で差別する様にしくまれてしまう
はじめは中華皇帝のまねだったが
この渡来人の教祖一味は悪業を工夫したものだ

今も天皇の信者達は
全国の、善良な人々を差別して回っている
それだけではなく、ただの一国民をひたすら人種差別する
アイヌに至っては、極右の神道の信者たちには人間扱いされていない
何しろ渡来人達の先祖を神と定義した神道の嘘の教義によっては
先に日本に住んでいた日本人を、決して容認できないのだ