全員が一様に東京を目指してくる。また東京という明らかに特殊な地域を体験すると、なぜか関東や東日本を知った気になった様で、関東全域や東日本中を見下したり、差別し始める。総じてカネに目がない俗物で、都内で恐ろしく下品かつ悪辣な振舞いをし、威張る。彼ら(西日本・中部出身者の圧倒的多数)はどういう訳か都会を好み、田舎を差別している。この点で、自分は彼らと馬が合わないし今後も合わないだろう。趣味や感覚が余りに違いすぎ、やりとりすら困難だった。西日本・中部地方の人々は田舎差別を日常的にしているらしく、ほぼ一様に東京を崇拝していた。今考えてみたのだが、確かに西日本・中部出身者でも極希には田舎を好む人がいた。自分が実際にみたのは1人だけで、神戸のある女性だった。この1人を除けば全員が、自分には実体験として、地獄の(人的・自然的)環境としか感じられなかった東京あるいは京都を一様に崇め奉っていて、狂信的だった。
僕が西日本人・中部人或いは東京人・京都人全般と殆ど全く気が合わないのは、僕の目には彼らが俗物、或いは下衆にしか見えないからである。もう少し言い方を工夫すると、僕の目には彼らは単なる馬鹿か、下品な人間達に見える。それというのも彼らは悪い場所や物を良いといいよいそれらを悪いというのだ。
例えば正直な所、僕は全日本史を見返して、西日本出身者で尊敬すべき人を1人も見出せなかった。そこからして既に気が合わない。冗談抜きで、彼らが崇めているのは乱倫ポルノ小説屋とか、大量殺人鬼とか、死の商人とか、侵略主義の無政府テロリストとかで、道徳性がない人、いや極悪人ばかりなのである。西日本出身者達、というか特に或る奈良出身の人は、東京で、初対面で面と向かって罵倒してきた事が何度もある。京都出身の人達は同じく、陰湿な嫌味を京都弁で言ってきた事が何度もある。大阪人らしき人々が、都内でも僕の地元の駅でも器物破損などの犯罪やその教唆をして、きた警察を恫喝していた場面を何度も見たりした。ある佐賀出身の人は、徳川家やその家臣団、また彼らに統治されていた民衆への裏切りとか、濡れ衣とか、暴行・盗難・強盗・殺人・名誉毀損罪とかを、驚くべき事に、なぜか当たり前の様に自慢していた! それほど野蛮な人間というのが現にありうるのだと、僕は佐賀出身者の例で産まれて初めて見たのだった。長野出身のある人は、僕の県土の地平線まで広がる日本最大の稲穂の実る大地をみて、「荒野だ」と言っていた! これも僕には一生忘れえない物凄い文化衝撃で、一体なにを言っているのか随分考えたのだが、最終的に他の長野出身者も観察しその人はどうやら農作の現場を知らないらしいと初めて分かった。また或る愛知出身者は、初対面で田舎を見下し、都会度に劣る云々と口汚く罵っていた。この人は東海道新幹線で東京まで出てきて、それより北には何もないと考えたらしく、要は商業民なので金儲けの事しか頭にないらしいのである。恐らく名古屋近辺の人なのかもしれない。そんな人と僕の気が合う筈がない。
僕は都内で10代から10年近く暮らしたが、そこで経験した全ては、総じて語るに落ちる地獄的経験で――といっても人がみればいわゆる都会的生活をしていた事になるのかもしれないが、自分には結局東京は何もかもが合わなかった。漱石がロンドンで絶望した様に僕は東京という監獄に完全に絶望しきった。だが西日本や中部の出身者達は、ほぼ全員がその東京を崇めていて、逆に僕が唯一生きていける穏やかな田園の都市、或いは海、山、川、湖などの自然環境を持つ田舎の環境を、徹底して腐してきた。単に侮辱や誹謗してくるだけではない。日常的にテレビや雑誌やインターネットで差別してくる。しかも群れて。単に名誉毀損してくるだけなら無視すればいいと考えるかもしれない――これも無駄な抵抗で、それなら最早日本でメディアを遮断し、一切の対人関係を拒絶するしかないのだが。
ある京都出身者は都内で反原発は馬鹿だと公言していた。福島原発事故後も、東京から田舎を搾取し続ければいいという悪意でだ。
薩長土肥こと今から150年前に、西日本の各地にあった財政破綻状態だった幾つかの自治体が、無政府テロリストの巣窟になり、彼らの数多の内乱罪・外患誘致罪を抑えきれなくなったので、当の自治体政府ごと一部の暴力団(教科書では元勲)に乗っ取られた、いわゆる明治維新と呼ぶ恐怖政治期があった。鹿児島、山口、高知、佐賀が、いわゆる薩長土肥だが、これらの自治体では、当時の無政府テロリスト達を郷土の偉人扱いしている! これだけでも歴史を客観的な目で見て、大変驚くべき蛮行で理解し難いのだが、当然ながら、現地の行政人達はその恐怖政治を正当化してしまっており、被害者を想像しない。福島をはじめ、秋田を含む東北諸県(青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島)、また新潟、北海道や沖縄はいうまでもなく、関東諸県(茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川)も、それら薩長土肥の被害者側にあたる。西日本でも和歌山、福井、香川、愛媛など、中部なら愛知、三重などが殊更その範囲に入る。つまり鹿児島、山口、高知、佐賀の人達は、最低でも今挙げた複数の自治体を、横暴を極めた侵略虐殺者として、今も日常的に挑発しているのだ。
僕はこの事を知った時点で、日本人なる分類はなりたたないのだと悟った。これは徳川斉昭による新たな国の命名で、それ以前は、この列島は根が異なる連邦国だったのだ。それで山口出身者の一部は、東京まで出てくると物凄い驕りぶりで、東日本中を上から目線で見下し始める。僕が読んだある山口出身者の書いた本は、著者が適当に捏造した県民性を主観的に論じたものなのだが、要するに山口県では侵略内乱罪を是と教える為、被害者を辱めるのが正義と信じ込んでいるらしい。
僕の県はこの150年前の、薩長土肥による徳川家への裏切りを最もまともに受けた地域で、最後の将軍の排出母体なだけではなく、そもそも植民地化防止の為の連邦統一・近代化理論(尊皇攘夷論)をわざわざ遊説したり、留学してきた人々に伝えたのも、天皇への禅譲も、地域の人々の善意からのものだった。しかし、驚くべき事に、西日本、特に薩長土肥の人達は、総じて、我々とはまるで違う生まれつきの性質を有する人らしく、根本が悪性なのである。こちらが善意から行う事を全て裏切ってきて、逆に名誉毀損してきたり濡れ衣を着せたり辱めてきたりする。これで相性が好い訳がない。今後とも同じ事だろう。僕は鹿児島、山口、高知、佐賀の人々と、一切の前提や先入観を廃して接触した。そして彼らについて色々調べた結果分かったのは、これらの地域の人々は、そもそも共感知能が極端に低い。全て自己中心的に物を見ていて、それどころか外部の世界に対する関心がない。いわゆるドイナカという特徴だった。江戸時代を通じ、薩長土肥の4つの国々がとうに財政破綻していたのは歴史上の事実だが、それに加え、極端に視野の狭い狂信的なテロ集団を生み出したのは、環境要因が関係している。これらの地域は中央都市に比べ情報の出入りが少なく、いわば僻地であり、しかも開放性が低いので過激派を生み出したのだ。驚くべき事に、渋沢栄一の著した『徳川慶喜公伝』など、現に慶喜自身から聴き取った明確な事実の取材に基づく歴史資料が幾つも残っているのに、西日本出身者達は殆どが例外なく、これと全く違って、司馬遼太郎など大阪の小説屋が書いた嘘の方を、歴史の事実と混同していた! これも文化衝撃ばかりだ。ある京都の学生が言っていたが、京都の或る大学の歴史学教授ですら、小説内の作り話――坂本龍馬が書いたとされる実在しない「船中八策」による大政奉還の提言など――を真実と言っていたらしい。現実には、大政奉還は『徳川慶喜公伝』等でわかる通り慶喜自身の考えだ。京都すらそうなのだから学の程度が低い。つまり僕の目には、未開な野蛮人達が、侵略罪だの虐殺だのを誇っている凄まじい悪性の世界。これが出身者達の日常から透けて見える薩長土肥界だった。
一番気味が悪かったのは特に関西地方の独特の風習で、先ず性悪だらけで基本的に誰とも仲良くなれない。特に京都の女は裏表使い分けてきて不正直だ。ある兵庫(姫路)出身の男は、元大名だと言っていたのだが(この時点で十分すぎるほど怪しいが)、仙台まで出てきて買春罪を毎日のよう自慢していた。これだけでも兵庫西側の公民度を失望させるに十分すぎるが、他にもこの地域から東北大にきた或る男は、完全にダークトライアドで荒らしばかりしていた。僕は旅行の中で、通りすがった程度ではあるものの、過去の色々な歴史に照らしても、関西地方では奈良と和歌山に最も好感を持っていた。『万葉集』は全古典でも、京都で生み出された俗悪な物と違い、素朴なうえ各地の人々の心情を共感を込め詠っており、一番ましな部類だろうし、今も奈良は悠久で長閑だ。しかしその奈良で自殺したいと言っていた或る人がネット上にいて、僕はその直前に千葉の或る男がした自殺ネット配信を偶然みて衝撃を受けていたので、この遠方に住む奈良人を少なくとも精神的に助けようとしてしまった。これは全くの誤りで、その人は結局、とんでもない性悪だと後から分かる事になった。その奈良人から色々聴き取った範囲でわかったのは、奈良県は教育狂いのきらいがあって、貯金額は全国一という程度にやたら多いのに(要はけちな上に総じてドイナカなので、使途がない)、通塾率とか進学率とかが大都市部でもないのにやたら高いのが特徴で、その奈良人の家庭も正にその権化みたいだった。その奈良人は生まれつきどうみても一般知能が高くない。そもそも日常的にどういう言動をしているかみていれば、どれ程賢い人かは多少推察できるが、いう事なす事どうみても馬鹿そのもので、そもそも三日もすれば過去の事を忘れてしまったり、論理的整合性のない行動ばかりしたり、発達障害に近かった。だがこの奈良人はプライドばかり異様に高い。いや正確に言うと、プライド以外なにも残っていない。他は親の操り人形にされてきたらしく、塾通いで自由がない。それで神戸の大学に入ったはいいが、今度は大阪・神戸の雑多で卑俗な環境でやたら悪影響ばかり真に受け、どんどんと堕落しあばずれていった。僕は奈良を外部から旅行者の目でみるのと、現地で暮らしている人の物凄い落差に大変驚いたのだった。外の目でみるとそこは温和で、穏やかな環境で、奈良時代から何も変わっていない古墳の間にある真の古都だ! と見えるのだが、中の現実は全く違っており、下品なイジメや差別で満ち溢れていたのだった。どう考えても、自分の子供に学業の才覚がないとすれば、その子に合った独自の道を辿らせてやればいいだけだろうと思うのだが、その奈良人(女)の家庭は前時代の考えのままで、大卒で都会の大企業のOLになり結婚し子育てする事以外は人生の目的ではありえない、他はまともではないと教えているのだった。
ネットの下衆が、よく「北関東は南東北やろ!(嘲笑)」とか、大抵は下品な関西弁でよく知りもせず書いている。これがなぜ彼らの中では差別表現のつもりなのか、僕にはちっとも分からないし、相手の悪意だけは伝わってくるので気分はかなり悪いものの、単に相手が底なしの馬鹿の様に見える。首都圏整備法の定義では関東地方は全て法的に首都圏とされており、多極分散型国土形成促進法の定義だと東京圏の括りに茨城県の筑波も入る。
それで自分は、首都圏(関東)の最北端も最南端も、中程もおおよそ生まれ育ちの中でおのおの経験し、更に東北圏の南部だろういわきでも生活した経験がある。自分の知る限り、これらのうち、最もたちの悪い世界は、間違いなく首都圏南部、いわゆる南関東の東京23区、さらにはその中でも新宿だ。逆に、最も温和な世界は南東北こと福島のいわきだ。関東地方の代表を東京だと思いこんでいるのは南関東人の驕った中華思想でなければ西日本人らの無知に他ならない。東京は相関係数をチェックしてみればわかる通り、東日本全体に似ていない所か、いわゆる関東地方(首都圏)より、関西地方の京阪神に似ている、極めて変わった移民地区だ。同じ事は神奈川県にもあてはまり、この2つの地域は、総じて関東にも東日本にも似ておらず、関東・東日本の代表ではありえない。
https://todo-ran.com/t/tdfk/tokyo
https://todo-ran.com/t/tdfk/kanagawa
東京は、相関係数からも、江戸期にはじまる大坂商人を招いての都市づくりの経緯からいっても、「東日本随一の関西人植民地」といって差し支えないだろう。東海道沿いに関西人が滞留してきた点では、神奈川も類似の、関西移民区になる。
つまり東横人が一般に、関東差別するのは中身が関西人だからだ。
関西地方の人々は今も昔も差別が当たり前の卑しい文化をもっており、被差別部落などという分類を無理につくりあげ、いづれかの人を生まれや門地で差別してきた。彼らは共感性が極度に低いので、他人の立場で物を見れない。
この悪しき風習は、東京や神奈川に移民してきた関西人達もやはり持ち込んだ。東京・神奈川が首都圏、関東地方とは名ばかりで、現実には、関西人達の集住殖民地に他ならず、それ故に、「近畿」「お上」「京」「大阪」など自文化中心の中華思想に耽ってきた関西地方の浅ましい地域差別の文脈を、彼ら関西人達がそのまま植えつけに来た為、東日本中を蔑視しだしたのである! 先ほど挙げたある京都出身の東京人が、東京人による福島原発事故後も、反原発を馬鹿だとか、更に青森を最終処分場にすればいいなどと不躾極まりないいかにも京都人が言いそうな華夷秩序式の言動をして恥じる気配がないのは、中身に何の違いもないからだ。卑しい文化を反省していない以上自信満々な程だ。京都が北朝鮮の巨大ミサイルなどで粉々に叩き潰され二度復活しないとか、福井の原発事故で永久汚染され出入り禁止とか、そうでなくとも全国民総意で廃京都運動が起き完全に荒廃しきるとか、もしこれらがあっても、京都人相当数は猶もその東京への移民宜しく、現地で中華思想の悪性ぶりを自慢するだろう。関西地方の人々が一般に、東京・神奈川に好んで住み着いたり、そこで通例、東日本や首都圏(関東)差別の言動を公然と繰り返すのは、元々彼らはそういった関西の卑しい風習に馴染んできたからであり、その文化が悪意と偏見に満ちたカルト教祖・天皇発の人権侵害だという意識は寸分も持っていない。また薩長土肥こと鹿児島・山口・高知・佐賀の西日本諸県、或いはそれを含む西日本出身者一般が、しばしば門地差別の悪意を込めた凄まじい都会崇拝者・田舎差別主義者なのは、この関西地方の中世の悪しき因習を、東京・神奈川などに出てきても、そのまま真似ているせいだ。
斯くまで下劣な連中を、一体誰が尊敬できるだろうか。封建制のままの意識で天皇と称する中国朝鮮移民の大量殺人鬼のカルト教祖を崇め、逆に善良に暮らす農家を辱めて恥じないなど、そんな人々が西日本全体から次々移民してきて傲慢な差別や公害をばらまくとすれば、誰でも侮蔑対象にするのではないか。