「田舎は考え方が前近代的だから若者が逃げ出すんだよ」と書いているお爺さんがツイッターにいた。はい嘘ね。
僕は都知事が石原慎太郎時代に東京に住んでいたが、完全に前近代的でした。東京都民は女に人権を認めてない級の公言していたどころか障害者虐めている程でホームレス狩りとかもやっていた。なにせ都知事が「ババアがこの世で最も有害」とか「あの人達(知的障害者)って人格あるのかね」とか言っていたのが東京都という大都会である。なんでそんな場所が近代的といえるのか。僕の地元(田舎町)では唯の1度も聴いた事がない言動で、そんな知事が存続しうる東京の愚昧さが信じられなかった。更にはアップル本社だろうがマイクロソフト本社だろうが田舎にある。日本の田舎は考え方が古い? じゃあなぜ京アニが宇治市にあるのか。ノーベル賞2つだか取っている上に極東最大の国際研究拠点といってもよい筑波大はなぜ田舎の真ん中にあるのか? 英ケンブリッジやハーバードがなぜ田舎にあるか? もっというと、過去の日本史で主な思想上の斬新で前衛的な考えをもたらした思想家ら、例えば和歌山の高野山にいた空海だの、茨城の稲田で布教した親鸞だの、西行法師だの鴨長明だの、松尾芭蕉だの小林一茶だの、水戸学者だの安藤昌益だの平田篤胤だの吉田松陰だの、南方熊楠だの松本龍だの、なぜ皆田舎にいたか? 本居宣長と賀茂真淵でも、田舎遍歴したダーウィンとニュートンでもケプラーでもウィトゲンシュタインでもいいけど、アテナイ郊外にいたプラトンでもアリストテレスでもいいけど、ある思想、考え方の先鋭性と環境にもし関係があるなら、ある人が研究するのに個人的都合がいい環境か、さもないと偶然だ。
例えば僕は都会が何から何まで肌にあわなかった。水もしぬほど不味いわ空気もしぬほど悪いわ人もしぬほど悪いわ、雑踏で息もつけないし死んでしまう。都心は完全な地獄である。感受性の鋭敏もしくは心の繊細な人は絶対に住まうべきでも近づくべきでもない環境だというのが都心なる場所の実態である。
裏を返せば、都会に向いているのは
1.鈍感
2.がさつ
3.利己的で思いやりがない
4.水や食事にこだわらない
5.汚れた空気を吸っていても気がつかない
6.他人を他人とも思わないサイコパス度が高い
7.カネに汚い
8.無神経
9.俗物根性
10.浮浪者
11.あばずれ・男娼
などである。一番都会人に向いている資質は
12.不潔
だ。東京は害虫害獣の巣窟で、ゴキブリ、ネズミ、やたら攻撃的なカラスとかとの遭遇率が異常に高いし、単にしぬほど苦しい雑踏や満員電車でウィルスまきちらされても気づかないだけでなく、どの個人も飲食店とか利用してたらそういう不潔な環境を生きてるのだ。
じゃあなぜ、そこまで悪環境に、わざわざ若者だかなんだかが集まっているといえるのか? 答え。マスメディアによる洗脳である。マスメディアは総じて東京資本が金儲けの宣伝の為に都内を美化し、田舎を蔑ませる目的で流すものなので、これを真に受けた馬鹿がどんどんコロナホイホイにかかりにいく。僕は日本に於ける都会も田舎も裏表おおかた知り尽くしたに等しいので、冒頭にあげたお爺さんが、都会側から嘘ついて、マスメディア式に世間を騙しているという事がよくわかる。このお爺さんは田舎の明面を知らない。実際に長く暮らしたり子供の頃から過ごしてないから自然美や素朴民の尊さを知らない。じゃあそういう偏見に満ち溢れた老害が今後どうなるか? どうもならない。東京でおっちんで、あのセセコマシイ墓ともいえない大衆墓地におしこまれて終了である。
東京の死は恐ろしいものだ。火葬場も横一列に並んで一気に処理されていくのだ。そしてわけのわからない大量数の狭い墓にぶちこまれる。同じ死とはいえ、田舎の死の方が善美なのは、これまた間違いなさそうだ。僕はどちらもみた。田舎の火葬場なんてすいてて、別れ際も1人ずつ焼かれる、綺麗で広いし、場面も場所も大変情趣がこもっている。その後も皆でゆっくりお茶飲んで故人のお話しお骨もっておうちに帰り仏壇に捧げる。立派な過程だ。都会で死んだら意味不明な場所にある狭く綺麗ともいえない(余りに毎日使われすぎている)火葬場で横4列とかで知らない人達と焼かされ、出てきてからも次がつまってるから商業的に処理され15分でお別れみたいな感じで情趣も何もあったものではなかった。東京人が軽薄なのは状況がそうさせるのも大きい。
「若者には魅力的なんだよ」
僕は10代後半から20代終わりまでほぼ東京に住んでいたけれども、人生で一番後悔したのがそこで留学先に東京都心を選んでしまった事である。本気でやめた方が善かったし、100%負の影響しかなかった。何から何まで合わなかったといったが完全に地獄めぐりをした日々であった。先ず東京の若者ってのは10代後半でおおかたデフォで性的堕落しきっており、江戸っ子系とか常識みたいに性風俗の話してきやがる。不潔極まりない。そんなのと親しく交際できる紳士なんている筈がないのだ。だから僕は東京の若者、誰とも仲良くならなかった。精神が堕落した連中と親しむとか信じられない。僕が都内にいて結構仲良くなったのは凡そ例外なく地方出身者で、青森人とか、京都人(当人らは暗に冗談めかしつつも、心底で、自分が真の首都からきてやってるんだと思ってるんでしょうが笑)、福井人あたりであった。要は東京人みたく性的に堕落してない傾向があったし、どっちかといえば素朴な人らだ。確かに大人だとましなのも希にいたので、建築構造学の先生んちにお呼ばれして泥鰌鍋とか連れてってもらったり工学の勉強面でお世話になったとかもあったが、僕が接した東京人の若者は全員ダメでした。一人の例外もなく性の面で下品すぎて、生理的に気持ち悪くて仲良くなれない。交尾厨がデフォ常態で、不倫厨すらいる。
東京都という都市は、ソドムである。そこに定着している若者は、かなり早く脱出したノアでなければ、確実に頽廃風紀に汚染されてしまうのだ。そして僕がどう対処したかといえば誰ともつきあわなかった。下宿に篭もって一人で勉強していたのである。それなら東京を観察できるが堕落するべくもないからだ。世界中に東京ほど汚い場所があるというなら、そこもまた僕には地獄であろう。でも恐らくないと思う。僕がみた東京都なる大都市は、確実に世界で最も悪い部類の風紀をしており、実際に何度も犯罪被害に遭った。僕の学校があったのは池袋と新宿圏だったけど日本で一番犯罪率が高い方だし最悪の治安である。そんな風紀も治安も環境も人心も最悪の場所に、若者を集めている都内マスメディアの罪業がどれ程か。僕があの最悪の新宿を美化するんじゃねえよといって長野からでてきた新海誠を大嫌悪しているのも然るべき話だ。それは純粋無垢な子供をいきなり性売買罪で汚染するみたいな最悪の東京的悪意に等しい。でも、そういう悪業を永遠に繰り返せるだろうか? 僕は全然そう思わない。悪因悪果というよう、実際に超少子化で、堕落したスラム都内であばずれになった娼婦が何十万人もあふれ、それに飛びつくけがれた東京下衆男がわんさか姦淫・痴漢・不倫厨していようが、当然だが絶滅しかしていかないのである。都市論には江戸墓場説ってのがある。東京地獄説、東京墓場説もやっぱり同じ文脈である。口減らしの為の若害ホイホイが東京というけがれた大都市なのだ。娼婦男娼の類が長寿だとは聴いた事がない。かなり若くして心身ボロボロになって自死同然に死んだとか心中したとかはよく聞くけれど、過酷な消耗戦だ。
なぜ都民なるものがそこまで堕落した性生活をしてしまうのか? 江戸時代から参勤交代で集まった全国の荒くれ者だの、農家を継げない次男坊以下のどこの馬の骨ともしれない町人を相手にする遊郭がはびこった。患者の7~8割が性病だったと江戸の町医・杉田玄白が『形影夜話』に書き残している。今も状況は変わらない。全国から見た目がいいと自認する若い女が身売りに集まってきて、遊ぶ金ほしさに娼婦に志願している。昔は貧しい家の子供が売り飛ばされていた時代もあったのだろうが、生活保護だのアルバイトだのがある昨今、僕がみてきた限り日本女は自分からカネほしさと性的好奇心で売春する。そんな連中を集めてやれ「田舎は考え方が前近代的」とか東京中華思想の驕りも大概にしろという話だ。「都会は考え方が前近代的」というなら100%正しいだけに、その悪意に満ちた欺瞞の程といったらないであろう。
要は売春婦の需要を自ら作り出しながら、若害ホイホイ状態にして性搾取しているだけ。日本民族なる単位がもしあるなら、成程、絶滅に向かってまっしぐらである。だって自分から東京に出てきて売春してる女が、まっとうな国でまっとうな家庭もってまっとうに子育てしてるまっとうな民族と同じ末路の筈がないんだもん。先進国だってかなり共通の堕落がみられる。産めよ殖やせよより拝金優先。先進国ではその種の拝金都会化(その裏にはびこる売春での自堕落)の負の面を多かれ少なかれ引き受けているから、どこも少子化が進んでいる。なんとかそれを改善しようとし実際に成功したフランスの例とか、事実婚という形でやり逃げ交尾厨が片親繁殖でもいい事にしちゃおうという下方修正発想で進んだ。しかし日本ではこの向きに進まなかった。日本女は結婚厨で、配偶者が金持ち高学歴背の高くかつ大企業勤めさもなければ医者か弁護士でなければならない、という謎の中世的東京女子力煽りごみファッション雑誌規範を集団狂信し、どんどん生態数を減らしていく。自業自得というべきだが同情の余地もない。論理的に考えればわかる話、その分類にあてはまるオスの数に対し、メス数が多すぎるので不倫厨になる奴が多発し、事実上の一夫多妻状態になるものの、典型的3高オスの方には不倫が職業上・私生活上のリスクなので、結末としては出生数が激減していく。それが東京(笑)なる頽廃都市の内情なのである。一時、東京ごみファッション雑誌も無い知恵絞り、3低なる笑える新偏見流行らせようと試みたが悉く失敗に終わった。なにせ3高もだがどっちも唯の無根拠な偏見で(幸福論に照らせばある個人との相性なんざ一般化できよう筈がない)、馬鹿女しか騙せないが、結局東京は孤独死ニュータウンになったのだ。高齢化で住み手がなく荒廃していく多摩丘陵ぶっ潰してたてまくってきた住宅群。タヌキさんたちの住処が奪われただけではない。それが東京の未来を暗示していると言って間違いない。何も多摩格差だけの話でなく23区でも、その廃れ感があちこちに目立ちだしているのは気のせいではない。構造が同じなのだ。全国民をテレビで騙し、東京を美化して映し洗脳し、頽廃地獄に若害をひきずる。性売買罪ホイホイに何にも知らない田舎娘を放り込んで集団姦淫で回し、はした金つかませてポイ。これを延々とくり返しているのが東京都民という信じ難いヤクザ衆愚。成程そんな詐欺師が公然と嘘ついていても自然な話。そしてポイされたあばずれは、買春罪人下衆サラリーマン(略してリーマン。都民の殆どを構成している)同様、高齢化荒廃ニュータウン式住居のどこかに逃げ込んで孤独死を遂げるであろう。この生殖行為を生殖以外の目的で用い、表面的快楽を伴う商売道具にした交尾厨による悲劇連鎖の間に、謎の何でもある自慢する愚かさ。
ごみごみしてて買い物にも不便だわ売り場狭くてろくに品物ないわ東京ほど一般に買い物し辛い場所は見た事がない。そこで何でもあるとかほざいてるのは正真正銘の嘘つきであり、現実に郊外のショッピングモール行った事がない人間が、ネット通販の利便性の差なんてないのに、虚栄に耽っているだけの事。確かに商業地なのでレア商品があるかもしれない、という観点を取る事もできよう。だがこれだって僕が知る限り東京にないレア商品だって無数にあるのだから、一般化して東京に何でもあるとかいえよう筈がない。つまりはいつもの都民特有の嘘つきの癖、常習的な無知と驕りの類で、中華思想でしかない。例えば僕が都内で10年くらい暮らして、唯の1度もスーパーでほしいも、という物を見た事がなく食べていなかった。でも地元には当たり前みたいにあったので冬とかストーブやオーブンで焼いて食べていたのだ。ある時、生協で見つけて久しぶりに食べたら余りの懐かしさに、都内の下宿で一人涙流して食べた。生協だと全国の品物を扱ってるから、偶然、僕の地元の特産が混じっていたのである。という事は東京に何でもあるとは完全に嘘で、僕の地元に当たり前にあるものが都内には無かったのである。だから僕が懐かしさの余り、調布の京王多摩川のRCマンション3階のワンルームで泣きながらそれを食べていたのだ。これ一つとっても、いやいや、ほしいもすら取り扱ってない都内スーパーに何でもあるとか。調子に乗ったいかにも悪い意味で東京人らしい糞上から目線で中身空っぽの空威張り系馬鹿でしかない冗談も大概にしてくれよ。としかいえないではないか。完全に詐欺。無知な人を騙して見栄ばかり張る。虚言癖連中。若害集めて性売買罪だか無限金儲け徴税だかさせ、石原のヨット代だの、猪瀬と桝添の賄賂だの、小池の笠だのにして、口減らし。いいっすね、そういう都市が「近代的」だと考えられていれば。僕はつくば市とか水戸市とか日立市とかある県だけれど、近代東京より色んな面でずっと進んでいるのが事実と思う。
つくばに関しては今更言うまでもないだろうが先ず広い公園に囲まれた研究所の集まりで、道端におちてる紙ひろいあげてみたら、参考書このページ読む事とか子供の字で書いてあった。普通に偉い。つくば市の子供は本当に偉いと感心した。これは嘘でない。東京新宿だったら性風俗の宣伝とかで180度違う。
水戸市だったらそば屋さんでお食事していたら子供がまあまあ大きな声で「いただきます」「ご馳走様でした」と自分から言ってお店の人だか農民だか自然だかに感謝している。これも偉い。都内で10年くらしてて1度も見た事がない光景で、逆に文化衝撃うけた。道徳的に優れた自治体なのだ水戸って。昔から。僕がはじめ東京で暮らしだした頃、ある飲食店(フレンチみたいなの)入ったら親子3人連れが入ってきて、高そうなもんを沢山頼んだ。ほうほう、と思って隣で別なの食べてたら、料理が運ばれてきた頃に彼ら家族連れは席を立って出て行った。高いの作らせ食べず偉そうに出て行く。謝りもしない。最悪だ、東京の食事道徳。東京人は金で何でも買えると思い込んでおり、そこに人の心とか介在してるとは寸分も想像する能力を欠いている。それは商業道徳とみても完全におわってる世界だと私は夙に感じた。だから農民、料理人の労苦を恕し、大変申し訳ないがやむを得ない事情が入ってしまいまして、包んで頂ければとかすらない。もっと言うと東京人は生き物を尊んでいない。だから料理にされた豚さんとか牛さんとか魚さんとか草さんとかお米さんとかがただただ殺され捨てられ可哀想とか、想像だにしていないのだった。でも僕の地元こと北茨城だと子供の頃から家でも学校でも生き物を大切にねって風にしつけられているので全然違う。お食事の前に、作ってくれた方とか天の恵みとか自然の生き物さんたちに感謝して、ありがたく頂きましょう、と僕も習った。これは本当の話、東京では永遠にない事なのだろうけれども、小学校2年とかで女の先生が、給食前とか毎回くらい僕らにそういっていた。それで頂きますと班長が掛け声するのだ。つまり東京社会は僕の目には正真正銘の野蛮人の世界であって、よくこんな所住めるなというのが実感であり、その後も、吉野家みたいな所で食べかけで店員さんに感謝の挨拶もせず出て行く、心のけがれた東京人リーマンだか学生だかはよくみたのだった。けがれたっていうか最初から食事道徳がないのだ。
じゃあ日立市はどうかというと、先ずせじまさん(地元出身の偉い建築家)が駅を新しくしたから余計先進的に見えるが、僕が諸々みてきた感じ総じて賢い自治体である。これは嘘ではない。こないだ知事がコロナ禍下で、茨城県は当時感染数0の小康状態だったから、勉強も大事だしまあだいじょぶでしょって学校再開しようとしたら高校生がストライキして知事が折れたとか。多分大井川知事も実家は日立だった筈なのでそこから水戸まで通ってんだろうが、日立は一般論として日立製作所とその関連会社の人達が集まっていて、なんというのか単に視野が国際的で広いだけでなく、常道的に志が高い傾向にある。かといって良い意味で素朴でないわけでもない。せじまさんだとか、坂口博信みたいに実際に世界に通じまくる人財(はい日製用語)排出してるのも偶然ではなく、環境からして先進的というか近代都市のある種の模範みたいになっており、僕が知る限り駅周辺は首都圏で最も洗練された街並みの一つといってもいいだろうと思われる。これもまた嘘ではない。僕は建築を学んできたので本当に行けるだけ方々行ったが、日立みたいにすっきりとした近代化をされてる駅前ってそうなく、というか日立以外で見た事がない。少し似た傾向の品川も、ソニービルある側は結構いいかもしれないけどそれでも、なんか日立に比べると展望がない都市計画で海を活かせていない。
じゃあ冒頭に挙げたお爺さん(東京人)が、「前近代的な考え方」と言ってるのはどこの事だろうか。いうまでもないが東京駅の事である。明治建築は建築界だと恥の歴史くらいの扱われ方をしているが、決して間違った評だとは言い難い。だって西洋中世の劣化コピーなんだもん。京都駅にすら劣る美意識だ。茂木健一郎博士用語を敢えてここで(こんなところで!)引用させていただく所存であればこそ、東京駅が日本一「ダサい」駅だと僕は思う。これもまた嘘ではない。まあダサいってのが田舎差別用語だとしたら、「格好悪い駅」。それくらい嫌い。漱石が真似すんなと子供にぶちぎれた級の嫌悪感、ムダに横長。
じゃあ日本で一番、「前近代的」な都市ってどこだろうか。象徴といえる東京駅がそうなんだから東京じゃないだろうか?(笑)これもジョークでもなんでもない。僕が全国旅行した範囲では、東京人もしくは京都人が一番、中世級の感じだったというのは嘘でいっているのではない。京都か東京が中世だと思う。最長都知事やってた石原慎太郎の言動の数々が中世でなかったらなんだというのだろう。最晩年にまで老醜晒し、サイコ医の安楽死ぶった殺害事件で切腹が~介錯が~とかいいだす。わかったからその前に法律通せよと。法治わかってるのと。小池のカタカナ外来語好きも、高輪ゲートウェイ風情も明治級の発想。何も中世的だろうと、良い意味で中世的ならまだわかるのだ。外人がやたら京都好きなのは門川が和服着てて、街角を芸妓歩いてて、コンビニまで茶色で、なにからなにまで古ぼけた中世に見えるからに違いない。夜中に辻斬りまでありかねないから僕は近づかないけど。新撰組じゃねーし。芹沢鴨じゃねーし。京都は(擬似)中世都市です。誰もが認める所である。当人らすらまだ自分らが首都だと思っており、完全に応仁の乱の時点で脳内時空が止まってしまっており、いまだ国内横浜市と比べてすら人口比も都会度でも大差つけられたと自覚がないし、タイムマシンでもなければそこから脱出する可能性も全然ない。
じゃあ東京は? ここは江戸、明治の記憶がバリバリ残っており日々しがみついているリアル中世都市である。そこで生まれ育った安倍晋三をみてほしい。毎日口をついて出てくる事といえば長州長州。松陰松陰。こればかり。明治回帰どころではなく脳内が中世なので、徳川憎し大発狂で欧米猿真似しかしない。中世都市東京では冤罪し放題。ゴーンも冤罪かもしれん。小沢一郎氏なんて完全に冤罪であった。遠山の金さんだか大岡裁きばりに裁判長が東京地検を下司めといって叱りつけた。しかもこの冤罪の原因が、これまた中世からわきでてきた天皇と称する大量殺人命じ仕方なかった祈祷師一族なんだから救いがない都市。
これだけではないぞよ。東京文化人とやらの全員、欧米の輸入学者。もうね、明治に置いてきたい。かれらを。浅田彰とまとめて。京都学派と一緒に置き去りにしたい。東京文化人界の日常は、欧米の最新動向おいかけそれを日本で上から目線で語る出羽の守オンリーである。凄まじい後進ぶり。それが東京文化。漫画アニメ自慢も、全て村上隆がアメリカで自慰像ウケたから手のひら返しただけ。BTSがウケたらブラックピンクがウケたら途端に手のひら返す、黒船以来のいつもの江戸東京特有の欧米劣等感。欧米舶来物と京都発に目がないが、その他の日本を蔑視する東京人のちんけすぎる偏見の醜さよ。笑えすらしない。
まぁ一言でいうと、中世は中世に憧れているという話で、東京人が中世京都だの欧米列強だのに憧れているのは、彼らの根深い劣等感によっている。そしてこれ指摘すると都民全般もしくは全数烈火の如く怒り、なにせ図星だからなのだが、「都会コンプレックスがw」と大分ひねくれた合理化に耽りだす始末。ガチ中世都市の東京に僕は暫く住んで、本当にこんな所に住んでいたら人間腐るわ、と判定し、地元に帰った。そりゃそうだろう。その腐りきった成れの果てが安倍晋三総理であり、石原慎太郎都知事であり、或いは人治ぶって退位法を通した上皇明仁なのだ。驕れる中世都市は救いがない。逃げ出すのが吉だ。