結婚している者に人間的問題があるんだよ
釈迦がとっくの昔に看破している
性欲で行動したから愛執し輪廻しているのだよ
それは迷いの一生でしかないし苦を逃れられない
既婚者が独身を貶すのは
第一にねたみに過ぎない
既婚者は自由を大幅に制限され
子育ての苦労は幸福度を一般に下げてしまう
第二に詭弁で自己正当化しているだけ
多数派に訴える論証で
自分が性欲で行動した結果
配偶者に対する貞節だの
子育てだのの義務を負ったに過ぎないのに
自由な独身者を貶める
子供がいた方が
人生の総合満足度が高いという心理学上の統計もある
一方で子供がいると
子育ての苦労で中盤の幸福度が下がるという統計もある
子供の幸・不幸は親に操作できない
とすると繁殖した者は
芥川『河童』式の無責任で子供を強制的にこの世に産み
自殺や安楽死を阻害し
利己的に行動している
所詮サルと同じ行動をしたに過ぎないのだから
それがヒトとして褒められるとは到底いえない
つまり結婚だの生殖だの子育てだのは
全て本能のなせる業でしかない
理性的に生きていればその轍を脱し
解脱できるというのが釈迦の見解だ
総じてその方がヒトという卑しい集団の中に
再び産まれずに済むのだ
永久に繁殖し続け
生命の輪廻を繰り返すのが善美か?
もしそうならゴキブリの方が
或いは微生物や細菌の方がヒトより善美となるかもしれない
ある遺伝子の永続性に生命の本義はない
そもそも生物形態は性選択や
環境適応にまつわる淘汰で変わり続け
ヒトが永続するとは限らない
繁殖が生命の目的か?
自分の見る所
ヒトの究極目的は繁殖ではない
それは生殖能力のないヒトを見れば明らかである
宦官が殺処分されていないのは
そのヒトが何らかの役に立つからだ
人権も同様の発想に基づく
ヒトの意義は社会に対する何らかの関係だ
いいかえれば社会性がヒトの命の目的なのだ
繁殖はどうでもいい事なのだ
脳のできばえがチンパンジーから殆ど変化がないヒトは
実際ゲノム配列によってはそういう個体がいるだろうが
本能を他の社会性より優先している
だから性欲を何より重んじ
恋愛といってそれを言語上美化し
発情発狂し繁殖するのを人生の目的と無意識に信じている
一般論としてその人は奴隷にされてきた
資本主義とは新手の奴隷制だ
そこで社畜は資本家に貢ぐ目的しかない
天皇は更にこの資本経済に馬乗りしている邪教祖
奴隷信者は洗脳され皆彼に万歳三唱し納税し続ける
この種の構図の中で繁殖主義者は
半永久的に天皇や金持ちに貢ぐ労働アリにされている
だが当人達はそれに満足もしているのだ
共産主義者はマルクス以来
この資本主義奴隷制の詐欺を見抜き
自分達が搾取されない国を作ろうとした
殆どの国々でこの試みは失敗し
成功したのは中国だけになった
中国では一国二制度で資本経済と組み合わせ
共産党が税を人民へ調整する形にした
日本自民党を模範にしたといわれ
地方交付税とそっくり
極東のヒトは
頂点に世襲の邪教祖がいるかいないかの差はあれ
この半永久機関としての収奪・交付システムを使う
先ず金持ちに企業を作らせ
そこで労働者こと会社員を搾取し
更に金持ちから政府が税の形でカネを収奪する
このカネを政府が全国へばらまき
結果として人民・国民を政府に従わせている
ヒトの目的としての社会性は
いわばこの資本主義・共産主義などと呼ばれる
なんらかの世の中の作り方への関わりだ
中東ではイスラム教がより重要な役割を果たしている
日本で神道一味が政府に巣食っているのと同様
ヒトはその社会性に於いてある役割を持っている
労働アリや女王アリの様に
我々日本人は憲法上、職業選択の自由がある
その職業はいわば社会性の名義である
その職の本務に於いて
ヒトは何らかの社会参加をする
ここにしかヒトの命の目的はないといえるだろう
繁殖組は主夫・主婦とか言われている
この人達も本務が繁殖である
脳が繁殖第一にできあがった職業といえるだろう
ヒトは自分の職業を選び取る事で
いかに社会性を発揮するか覚え
その命の目的を果たす
その中には繁殖しない必要がある職業もある
非世俗的な僧侶は独身で性行為を禁じられる
ここからみても主夫・主夫類や
社畜こと労働者一般が
非繁殖性や独身性を非社会的とみなしているのは
唯の自文化中心主義だ
「結婚している者」
「子育てしている者」が我が物顔で
それ以外の職務に邁進している人々を差別するのは
要は、繁殖主義者の不寛容さ、
裏を返せば社畜国畜の自己弁護にすぎない
成程奴隷階級はいつもその様な言動をしていた
天皇や金持ちには都合がいい言説で
半永続的に労働機械が量産されればいい
社畜国畜一般にとって
その労働者としての生態が
彼らの脳のできばえには最適だったのだ
だからそれ以外の数多の職を認識できていない
主夫・主婦類も同様
彼らはさしたる教養を必要とせず
上司の命令に従うか
旦那のカネで子育てしているだけだからだ
彼らの不寛容さは広範な社会性への無知の証だ
この世で最大の教養、
最大の認知力を必要とするのは、
いわゆる哲学者と呼ばれる職の人だ
より一般的には思想家ともいうが
「知恵の友愛」を語源にもつ哲学は
一般的な考えを指す「思想」の美称の様なものだ
哲学者は正しい道徳を知る前提に最大の博学さを要する
立派な哲学者もろくでもないのもいる
哲学者の立場からみれば
数多の矛盾や対立を含む倫理観があるので
繁殖主義はその中の本の部分にすぎない
つまり労働者の「非繁殖主義者への蔑視」など
ある時代の奴隷が自分の生態を唯一の正義と述べている
陳腐な自己弁護でしかない
生涯独身の聖哲もいれば
子育て不倫厨のゲスもいる
それがこの世だ