大抵の感覚論は共有できない。ある事柄を等しく良い感覚とみなした他人と一見同じ感覚論をもっていると思われても、別の感覚値に違う評価を下している偶然の一致な場合が多い。
趣味(審美評価の道徳性)については尚更、他人と共通の道徳律を持っていなければ極めて一致し難い。
大衆と同じ感覚論、同じ趣味をもっていると信じている人は、それぞれ異なる結論を同一視と誤認している事が殆どであり、感覚論や趣味の偶然の一致は、生育中で同じ文化的スキーマ(企て、企図)を共有している同じ偏見の持ち主、というだけの事なのだろう。