西洋人がアメリカ嫌いか馬鹿扱いしてるのは西洋圏の人達によく見られる光景だけど、その客観的事実はわかっていたけど実感としてはいまいちだったのだが、先日ほぼ納得がいく事例を経験してから完全に腑に落ちた。ある北海道出身の人がかなり前、茨城新聞に上から目線で県民の声を投稿しててなんだこいつと思った事があったのだが――何せ北海道開拓どころか北海道の真の命名主すら茨城人こと徳川斉昭公だからであって、そんなの水戸圏の知識人には常識の次元だと思う。そこに北海道からきて茨城ディスとかなめている。
けどその後、この事はスルーしていた。そしたらまた事件があった。
別の北海道出身で東京移住した文筆家が、茨城県南に小庵をもってるとか言っており、へ~と思っていたら、よく例えとかで差別的言動を取るのだ。東京上げ茨城下げで茨城に別宅持ち何したいんだこの北海道人って感じで、ふと気づいた。「成程、これが西洋人が不躾で無礼なアメリカ人やアメリカ文化を嫌う理由か」
要は植民地文化なのである、北海道って。アイヌ文化は別だろうけど、移民達は凄く表面的な考え方しかなくて、今の北海道は農地・観光地型の経済だろうけど、東京人が観光先としてチヤホヤするもんだから調子に乗っている。その東京人も各国各地移民で、いわば移民地区文化である。この点では京都と同じだが、京都の方はその初期移民――秦氏、高麗氏など朝鮮系が主とされている――が794年から定着したから凄く裏返った新移民差別みたいなのをいまだにする。東京はその点で新移民だらけだからより軽薄だ。いいかえると、東京人と北海道人は、移民地区文化という点では共通点を抱えているので、軽薄さ、底の浅さ、そして植民地都市にありがちだが、ある種の高慢さ、驕りも共有しているのだ。歴史や伝統を軽視する点で、初期移民が威張り続けている京都とは若干の違いがあるが、京都もまた植民地都市である。そしてそういう事実上の植民地から出てきて、上から目線で本土に頭ごなしで差別的言動をとる。これ、要は植民地都市特有の歴史軽視の態度、「その場さえよければいい」「なんでも3日たてば忘れる」「物事の表面しか見ない」「場に固有の文化を無視し馬鹿にする」特有の態度なのだが、これに腹が立つ。今後も世界中に移民地区が特に大都市部としてできているから――例えばシンガポールとかドバイみたいな場所だ――似た様な上から目線で軽薄極まりない観点から、伝統のある国々を差別しまくってくる馬鹿が、そこから量産されるというのが僕の直観だ。その文筆家が正にその無礼極まる初期組なのである。東京人も3代以前は江戸っ子だとか空威張りしているのは殆どおらず、先祖みるとほぼ九州四国・中国地方、関西・北陸とか東北とか北海道とかから出てきているので、当の江戸っ子だって江戸時代に大坂から来た連中であって、底が浅い。その浅さを洗練と称しているのもたちが悪い点だが、北海道人は尚更だ。
これだけではない。東京人のたちの悪さが一番よくでているのが、西洋人が東京または京都に移民してきて、日本をわかった気になって全国蔑視(田舎差別)の言動をしている場面を目撃した時である。要は植民地都市の中華思想まで身につけてしまうだけでなく、それにオリエンタリズムまで上書きしてやがる。いわゆるホワイトトラッシュの類が東京化している場合、日本全国田舎差別にまつわる邪悪さの権化となるのだ。中国・朝鮮移民である自称天皇一門すら大化改新から数え1375年もそれをやってきているのに、これに同調する形で、西洋が東洋より優れているという偏見に立って、善良かつ賢明な人類を馬鹿が蔑視する。自分はこれらの事例をみて、段々と次の様な感情が生まれた。なにせこっちは善意で進んで助けてきたのに――烈公の蝦夷地開拓論や日本編入の為の命名からはじまって、のちアイヌを妻した間宮林蔵が北方警備で樺太探検、北海道独立かけて戦った新撰組最後の隊長・相馬主計まで――頭ごなしにデフォで恩知らず。(北海道最北端・宗谷岬こと日本最北地にある、間宮林蔵の立像)
要は茨城人いなかったら北海道はロシア領になってた可能性だって十分過ぎる程ある。本州側で五畿七道に蝦夷地を連ね新たに命名しようと考えたのは端から烈公だけだ。国産み神話に含まれず天皇は蝦夷差別していた。それで江戸期に間宮を派遣し、隠密行動で蝦夷地最北端が樺太、いわゆる間宮海峡であり、それから先は大陸に繋がっていると日本で初めて発見したのが茨城人(常陸国人)である。北海道独立(蝦夷共和国)は明治政府に阻害され果たせなかったものの、もし独立できてたらアメリカやカナダみたいな話である。相馬が新撰組最後の隊長(明治2年(1869年)5月15日)となって北海道人守ろうと――といってもいいだろう、何せ明治政府はそれ以後、事実上のアイヌ弾圧の挙に出るんだから――転戦してから、今で151年目にあたるけど、その北海道出の東京人文筆家といったら差別的言動してきやがる。もうこれで北海道を好きになれ、といってもかなり難しいのではないか? 感情論でいったら「お前らふざけんなよ」となるのが人間としては自然な事だろうと思う。僕は人間といってもかなり神性が高いほうだろうから、そうすぐには怒らなかったが、結構長い間事態を眺めていて、これはちょっとねとなった。全く謙遜せずにいえば僕より神性が高い人ってのは歴史上でも1人も見た事がないので(一番似てる傾向のがアリストテレスかなと思ったが)僕が一番、過去人類の中では神に近い生命体かもしれんが、その目が北海道人の末裔を色々眺めていて、こいつら本当に常陸国だの日本史をなめてるねってのが真実だ。まぁ北海道人の歴史教育がどうなってるか、本州人は現地で教育受けたり教育行政してない限りろくに知らないだろうし、恐らく典型的な明治政府的偏見を植えつけてんだろうが、それで東京を覇権だと思い込んで東京人に偽装さえすれば全国蔑視できると薩長流儀で頭ごなしの蛮族ぶりなんだろうが、酷い話だ。僕が知り合った西洋人でも、ノルウェー人、イギリス人、フランス人は総じてアメリカをいわば西洋圏より一段劣る存在または例外的な植民地とみなしていただけでなく、アメリカ人に上から目線でなんか言われると腹が立つ事がありますと囀ってるイギリス人とかツイッターでも頻繁にみた。そりゃそうだ。だって僕も北海道人に、何の道理もなくいきなり差別的言動されると、いや~なんて馬鹿な奴なんだこの偏見に満ちた植民地出身者はって思わざるをえない。こっちはその開拓地を構想し実際に探検までして現地人の公益と誇りを命懸けで保護してた国の末裔である。北海道人はその国史なんてなんにも知らない。烈公はほかの植民地開拓者とは大分違って、当時として善良な考え方だったと思う。イギリスだの薩長藩閥は先住民を事実上差別し、同士討ちさせたり実際に殺して駆逐してしまった。ところが烈公(江戸住まいだけどお国は常陸人)は現地を発展させ混血しましょうねと言っていた。なんと善意の考えだろうか。
実際に、間宮はこの烈公による現地の為の北海道開拓の考えを受け継いでいたから、アイヌを奥さんにした。本州人のうち茨城人が端からアイヌを差別していなかった実例だ。
我々常陸(茨城)人と全然違う薩長人が明治政府を主導してしまったばかりに、アイヌはその後法的に土人扱いで弾圧され続けた。1899(明治32)年・北海道旧土人保護法で明治政府はアイヌを「土人」と呼ぶ事を正式決定した。これから戦後ずっと経って1997(平成9)年アイヌ旧法まで、日本政府の公式態度は端から民族差別的な状況だったのである。アイヌを先住民と定義した国連勧告を受け、2019(平成31)年アイヌ新法がやっと成立。つまりは、明治維新(東京遷都)から151年、この間、北海道の先住人は天皇を冠する日本政府によって「和人(古くは日本列島の人々が倭人と中国側に命名された事から、漢字を大和国からとって置き換え自称したもの)」ではない少数民族として長い間「土人」と称され、民族差別されてきたのが事実だった。その状況を変える可能性があったのが茨城人であって、既に烈公と間宮の例を出したが、同化政策の形ではあったが、アイヌを本州人と本質的に変わらない人らしさをもつ存在として扱い、共生どころか積極的混血を推奨していた。所が実際のアイヌが明治・戦後政府から差別されなくなったのは平成になってだ。つまりは、その文筆家だの、以前、茨城新聞の県民の声に上から目線で差別的言説(最早笑えてくる)をのせていた連中というのは、北海道人を尊重していた側こと茨城を差別し、北海道人を差別していた側こと東京を笠に着るといったとんでもない奸臣の態度をしており、どこまで卑屈になればいいのか謎。
僕は北海道に縁もゆかりもないので、一体、北海道出身者の一部がどんな眼差しでそんな下賎の言動を取るに至るのか無論、想像もつかない。彼らはとんでもない無知なんだろうとはいえるが、余りに酷い。推測だが、東京の下衆なテレビだかマスメディアだかに洗脳されている、典型的下流の人民なのだろう。そしてこのこと以来――といってもその文筆家が2連続で差別的言説を書いていたのを発見したのはつい最近ここ1年ほどの間だが――僕は北海道を決定的に嫌いになってきた。それまでも俗物みたいな連中がやたら褒めてるから、怪しいな怪しいなとは感じていたのだが、具体的に差別してくる馬鹿が出たのだ。北海道は、悪い意味で東京化してしまっているのだと思う。僕が接した北海道人は、全員が「日本=東京」と意味不明な妄想をいだいており、東京以外の日本を下に見ていた。いうまでもないが東京って西日本でいう大阪みたいなもんで、東日本で一番品性下劣で公民度が低い犯罪大都市である。知事をみろと。その東日本最悪の犯罪率の自治体が「日本」だとか「本州」だとか冗談きついわけだが、沖縄人も似た様な事を言動している場面を見た事があるので、要は、東京発のテレビやマスメディアに洗脳され、そのマスコミの大変偏った東京上げ田舎下げ情報が、そのまま、北海道人ら離島人の脳内妄想となっている。要は「アメリカ=NY」とか、「パリ=フランス」位随分と頭の悪い狂信をもっているテレビ・マスメディアかぶれの衆愚が北海道人一般らしく、それは離島だけに頻繁に本州に出入りできず、現実の頽廃都内とその他の健全自治体の内情を知らないから仕方ないとはいえ、妄信東京中華思想で差別までしてくる。大変たちが悪い。通常の田舎人と比べ、総じて悪辣な東京人――原発公害の今なお続く被害者として、一銭も補償されてない上、現実に色々な人々と都内で接してきて、商業地として総じて詐欺遭遇率が高い――も僕は基本的に関わらない様にしているが、北海道人の一部もこの下働きくらいの事を進んでしている。東京地検はホリエモン、与沢翼氏、青汁王子ら目立つ成金キャラを国策捜査したり、いまだに江戸の役人みたいな金持ち憎し正義感を発揮する事が多いが、それもわからなくはない。なにせ国家公務員は金がない。それなのに移民商人がブイブイいわせ先にいた東京人を相対貧困にしてくるのだから耐え難いはずだ。所がそれに優って耐え難いのは、この移民ブイブイ系が、あまつさえ蝦夷地を北海道と日本の古い地方区分(律令制)の延長かのよう命名し、進んで近代化し、日本と戦争なしに仲良くさせようとしていたばかりではなく、命懸けで現地人の利害かけ守り立てていた側を狙い撃ちで、差別してきやがる事である。例えば植民地化でも、奄美諸島に砂糖地獄を作り出し、琉球王を強奪し沖縄化した島津家。平成天皇の母方だから言い辛いものの、烈公のアイヌへの同化政策の眼差し、相馬らのある種の独立運動と比べて随分と苛烈残虐で、後世に事実上の奴隷制あるいは主権国家侵害の悪例を残しているのは疑う余地がない。所が、その旧植民・開拓地側の住民が、本土で恩義のある側を差別、弾圧していた側に媚び売る始末。そんな植民地に慈善とか必要だっただろうか? かけた恩は水に流せ、うけた恩は石に刻んで忘れろ。本当にそうなら北海道人の度重なる無礼も「はいはい流石開拓民でございまするな」といってりゃいいのか。裏を返せばこういう事。北海道人一般の平均学力は全国学力テストでもわかってるよう下から数えた方が早く、そんな連中にまともな歴史観、日本観なんて期待できないんだよと。底の浅い愚民が東京に出てきてまた付け上がってるんだろ、いつもの話じゃんと。その通りだが、東京移民のたちの悪さの一類型だ。
そして僕は悟った。西洋中心主義とかいって僕(ら、ある種の東洋の知識人)も反オリエンタリズムで西洋人一般に文化闘争を挑む事があるが、向こうからすると日本だの中国朝鮮だのは完全に極東の果ての異文化で黄金の国ジパングくらいに捉えているからいきなり地の果てから殴りこみかけられた感覚だろう。そうすると、西洋人一般もある意味で哀れであり、ドーキンスの視野に日本だの極東圏の複雑怪奇な宗教風土なんて全然入ってないのも、イギリス系の唯の天然だ。彼がもしアイヌのカムイの概念を一生のどこかで偶然知る事があれば、現役スピノザ汎神論に発狂してしまうであろう。西洋人の知的風土が哀れ。またこうともいえる。我々、少なくとも私にとって北海道人一般またはその一部の浅はかな歴史観、というか歴史全体への無知と、無文化感覚は反面教師だと。自分がある国、ある地域へ行って上から目線であれこれ語ってたら何にも知らない京都からきた公家と何の変わりもない。自文化中心虚栄100%である。この点では東京人(正確には南関東人)一般または全般も傲慢移民地区としての反面教師だが、要は、文化人たるもの他国他地域の文化史について無知であってはならず、何か(その何かがマスメディアなのが尚更笑える)で知ったつもりになって現地人差別したり侮辱したりも絶対にあってはならない事なのだ。自分はこれ以外にも、ある愛媛人が小説だか山川菊栄の手記読んで茨城人だの水戸史全体を知ったかぶってたのをみて暗に軽蔑の念を感じた事がある。当然だがそれらは偏った主観の産物に過ぎず、僕が彼の読んだと称していた本を読んでも、内容は大分偏見入りすぎで事実に反する部分もあるとすぐわかった。例えば漱石の『坊ちゃん』読んで当の松山人だけでなく愛媛全体へ差別的偏見を語ってるのがいたら、虚構に過ぎない小説の解釈を間違えているだけでなく、恥じて自分の頭をポカポカ殴った方がいい様な輩であろう。でも現に茨城へそれをしてきた愛媛人がいたのだ。子規が偕楽園に来て俳句残して以来の事件。
北海道人が今後どういう無礼千万な言行してくるかは想像に余りある。ホリエモンロケットでますますつけあがり、既に京都よりも茨城よりも人口が多いんだから、そして東京コロナ旅行先の代表格なんだから、全力で本州の東京以外の文化や歴史を全く学びもせず頭ごなしに小馬鹿にしまくってくるだろう。これは柄谷理論でいう「周辺」の価値観だ。北海道人が帝国(覇権)とみなす東京の文化にアメポチ山口人・安倍晋三級にへつらいまくるが、その外にある非覇権文化には今度は上から目線で差別的言動をとりまくる下司の態度に出る。東京帰化した埼玉人みたいなもんだ。ダサい多摩扱いされない為東京ぶる。安倍の有名な写真を見ただろう。トランプの隣でEU代表といってもいいメルケルらに腕組んで上から目線。まさにあれ。現北海道知事・鈴木直道氏も埼玉人で都庁出だし、小池に対する態度はこんなもんだろう。
僕は亜周辺文化圏として、こういうの一番嫌い。属国は確実に消え去る。