愚かな人は常に何事かに悩んでいて、その不満を他人にぶつけてもいる。だがその悩みの原因は愚者自身の愚かさによっている。
愚者の生態を見聞きすべきでない理由は、彼らの愚かさが自滅的なだけでなく、公害でもあるからだ。
愚者の愚かさの研究は、彼らの行為の統計的抽出でしか行い得ないだろう。その内心の乱雑さは他人に伺い知れないものだからだし、愚かさの変異はほぼ無限である。
愚者の公害への強制力による防止と刑罰が、愚者に対する最もふさわしい扱いである。愚かさ自体は改善しないからだし、教育は愚かさに対する僅かな慰めにしかならないだろう。