今から千年くらい前だろうか。
河野太郎というろくでもない大臣がおり、そいつが俺が一言も言及してないのにブロックしてきてるもんだから、トランプ大統領がツイッターで自国民ブロックしてたのが違憲判決出た(トランプツイートへの公見を述べる表現自由の侵害)という事実もあり、河野太郎の関連ツイートみたいなのでブロックしてんじゃねー系の反論者を集団弾圧してたやつ(当然のごとく匿名卑怯者モブ)がいたので、僕が一計を講じてからアメリカの上記ニュースを返信ツリーの末端に貼った。
そしたら案の定釣れまくり、通知欄が止まらなくなった。いうまでもなく荒らしの。僕の計略とは、どうせそうなるんだろうな、と予想しつつも、いわば匿名卑怯者衆愚をはめればこいつらの悪行を晒せるだろうな、というものであり、2chやピグで数多の荒らし相手に大戦争を生き抜いてきた僕からすると割と初歩的な戦術の一つである。もっと無数にあるけどね。ほんと。海千山千だ。そこで通知きるなり無視すればそれ以上、匿名卑怯者モブがワル目立ちすることもないが、どれどれ、と思って一個ずつ、釣れたやつら全員に反論していった。
日本人一般なり全般ってのは、およそ一人の例外もなく感情で動く幼稚な集団で、ここでも当然その様なので、反論にはなんの意味もない。当然。正確には感情というより感情論で、しかも感情で動くってより「群れ」に群れる。「群れ」に群れる目的で、感情論に終始するのが日本人全般の特徴である。これはRPGで群れて襲ってくる雑魚敵みたいなものだろうし、次々仲間を呼ぶ、というか単独では戦えないほど気が弱い特性もあるので炎上させ易い。したがってドラクエでいえばマドハンドみたいな種族特性をもっている。基本として全員雑魚キャラなんだが、馬鹿と鋏は使いようともいえ、この場合は炎上させれば世界の反面教師になってくれるだろうな、というのが明らかだった。全員が誤った方に群れようとしているのだから、天皇の手先みたいなもんだ。
それで僕は感情論を敢えて完全に排除して、一個ずつの、中学生以下の精神年齢だろうなっていう、愚にもつかない返信(例えば「アメリカでは違憲だが、日本ではそうではない! ゆえに河野太郎は正当だ」とか)に、全部論理的批判をなるだけ最短の手間で加えていった。ソクラテス式に。結果どうなったか。
ワラワラと荒らしマドハンド湧いてくるのは当然であり、ますます頭の悪さが激しいいきり立ったモブ仲間を呼びながら、匿名卑怯者衆愚はいつものよう大発狂はじめた。そして一定時間が経ったところで僕は完全無視に切り替えマドハンドらを徒労に終わらせた。が途中でモブの一匹がDMで自殺教唆もしてきた。けれども総じて百戦錬磨の僕からすると「大体こうなるだろうな」という戦術的要素の枠内の出来事だったので、さほど驚かず普通に通報してハイ終了だったのであるが(なにせこっちは米国と日本の比較法律論しかしていない)、ここで書きたいのは、その匿名卑怯者衆愚の一人が言ったせりふについてだ。
今と変わらず僕が思想家とプロフィールに書いていたら、匿名卑怯者の1人が「よく自分で思想家とか名乗れるよな」と、いわば相手を傷つけようとしてなのだろう、誹謗中傷の類をしてきた。人格毀損のつもりだろう。それで「じゃあ僕は何者なんですか?」と尋ねたら、匿名卑怯者は答えられず発狂していた。一体、適当に誹謗の文句をひねり出したとはいえ、この匿名卑怯者による無理筋、人格毀損目的での揚げ足取り攻撃についてだが、ある科学哲学アカ(アカウント)が、しばしば「素人哲学」などという言葉で一般人が自力で考える事を小馬鹿にしている節があるのと相似の様でもあり、何か共通認識がそこにあるかもしれない。それで自分は思想家とか哲学者という明らかに職業名としては称号の類を、自分が名乗るか他人に称されるかは別に(どちらでも同じ様なものだ。ある人が自分含む誰かを哲学者と思っていようが別の他人にはつまらない思想家以前の存在かもしれない)、その匿名卑怯者がどの様に認識しているか全く知らなかったのであるが、思うに、何か高級めいた代物で、獲得困難な資格の類が必要な前提を置いている、という風に思うのである。さもなければ僕がそうであったよう意味不明な誹謗にしか聴こえない。自力で考える知能をもつ全ての生物は思想家であり、またタレスだのソクラテスだのが呼ばれたよう知恵の友愛者でもありうる。一般論として思想家ってthinkerの訳語だろうし、哲学者はphilosopherのそれだろう。これらって「考える人」とか「知恵を友愛する人」というほうが原義に近いが、明治語(明治期に作られた、欧米言語を輸入翻訳した和製漢語)で、思想家とか哲学者となっているのだ。つまりはその人の志の名詞句といえる。全く似た様な事は、芸術家にもあてられ、一個も作品つくってねーのに芸術家きどりのやつも大概いる。特にチェスやってた時代のデュシャンとかそのポジショニングで有名だけど、いわばごっこ遊びゲームにも使われる特殊な職名である。俺はアーティスト(みたいなもの)なんだよってね。志の表明でしょ。学者も同じだ。学者って明確な資格の類はないから、ここからここまでが学者さんでこっちは違いますという線引きはなりたたない。科学者もそうだし、なに学者でも同じだ。キムチ学者だろうがナム学者だろうが。儒学者だろうが天文学者だろうが天然痘学者だろうが仙人だろうが。後世からは老子も哲学者だ。結局ね、その匿名卑怯者の場合は、職名イコール資格または金儲け度、という風な、労働者きどりの考えを、なんらかの別の職名なり称号にあてているのが、訳のわからない誹謗が出てきた理由なのだろう。
愚かさの型の収集は、趣味でやるにしたって社会学者だって、この様に酷く手間がかかるし惨い作業。賢さの型の収集の方が、同じ手間を費やすなら、かなり有益だろうと思われるにしても、ツイッターみたいな玉石混交よりはずっと愚かさのパターンの実例の方が主観確率的に多い場であれば、認知内に入り込んでくる限りその種の「え~? こんなところで間違って前に進めてないの」失望感は避けられない。
数学教師を考えると分かり易い。できてる側からすると、数学のできない生徒って、一体なにをミスってるのか全然わからない。見通せない。それで答案に罰点つけるものの、何度もまちがえてくるから、教えたくともその生徒がなにが分かってないのかがわからない。生徒自身もわかってないのがわかってない。この場合は、職名の中には資格や金儲け度の類とは違う種類のものもあるんですよ(契約に基づく被雇用者と職名の出自が違う)、という事を知らない人がいるってのが、その匿名卑怯者の脳内で暗箱になっており、エラー信号として誤解に基づく誹謗が発せられた事になる。それは或る愚かさの型である。
そしてある科学哲学アカの場合も、よく似た誤解をしていて、素人哲学を小馬鹿にしているわけだけど、この人はどうも中身はどっかの学部生ぽいんだが、いわば実存主義的な思考(ここではなんらかの学問的権威によらない、自律的な思考の事)を無視しているのに加え、思想史学と哲学を誤認しているのだ。愚かさの型は、それを持たない人には暗箱で、外部から見通せない。したがって当人がエラーし続けてなんらかの不適応を生じ、本質的に正解とはいえない言行(愚行)になる。例えば人種差別主義者らは人種分類が可能という誤解を暗箱として持っていて生物学的認識にも博愛・人権論にも疎漏があるのだろう。賢さの型の研究は、いわゆる学問として見習う人が多いので成立しているものの、愚かさの型のそれは「社会学(心理学、文化人類学などを含む諸社会科学)」や「文学史(文芸作品の系統的研究)」などが今のところ分担している。で。僕がここで書いたのもこれらのいづれかだが、まだ分野化されていない。恐らく一番過去の分野で似ているのは「失敗学」かと思うがこれは僕がいた工学院大の先生が作ってた概念の様だったし技術取り扱い上のエラーに特にあてられている。だが僕が今指摘しているのはなるほど失敗学の一種だが、ヒューマンエラーのうち誤解や無知、或いは悪意による社会的失敗例の体系的認識だ。
これをここでは「社会失敗学」とでも名づけよう。さらに、既に上に例示もしたが数学なんか殆ど、生徒か学習者が認知エラーしがちなパターン収集さえできれば圧倒的に学習効率が上がる筈なので、これらを「科学失敗学」とする。これらでありがちなミスの体系的収集ができれば以前より愚者が分析できる。
畑村洋太郎氏の「失敗学」は特に工学上の事なので「技術失敗学」と再分類すれば、語彙の混乱も防げるかもしれない。
我々が文明界で政経思想的衝突を生むのもこれまた社会失敗学の知識が足りないからだといっても全然過言ではないだろう。未知の問題についての論争に過ぎないのに暴力を伴うエラーだ。資本共産主義(資本経済+共産政治)と資本自由主義(資本経済+自由政治)のうちいづれかが正しいか、それともどちらも並立しうるのか、結論が出ていない段階なのに、一方が他者の文明を暴力によって破壊しようとするのは、社会的失敗の最たる例。今の米中対立も、社会失敗学の無知によるものとなる。