やっぱ何度聴いてもなんとなく気持ち悪い感じがする
BTSの曲
男性アイドルグループ曲でも男が聴いてもいいと思えるのもあるだろうよ
それは楽曲自体が良い場合だろう
米国音楽に寄せてエライエライって意味がわからん
それなら米国音楽きいてりゃいいだろう
普通にアイフォンパチモンのサムスンスマホ
寄せてるどころか
作詞作曲陣みてるとどうも外国人であって
米国人であって
要は米国大衆音楽の作詞作曲家に作らせて
それを韓国人が歌っているに過ぎない
振り付けは韓国でやってんのかもしれんが
そりゃあ米国音楽市場で売れるだろうよ
日本語で日本人が作詞作曲したKPOP音楽と一緒
それが神ってなに
僕が計36年間聴いてきて日本の男性アイドル音楽でいいほうかなぁとなったのは
『パラダイス銀河』『愛されるより愛したい』『アンビシャスジャパン』とかだ
ま確かに米国の最新大衆R&B作詞作曲家作ったのに比べると典型的な日本的大衆歌だろうが
だからって僕は『Make It Right』のがいいといえない
さっきBTSの『I Need U』を聴いてわかったのは
先ずもってなんか気持ち悪いのだ
なにがかはまだはっきりしないが
なんか媚びてきてるのである
しかも女に
そしてそれ以外何の中身もない曲
音自体はR&Bぽかったが
そんなの初期の宇多田ヒカルだって
ミーシャだってそうだった
だから? って話なのだ
『パラダイス銀河』は僕が小学2年だか1年だかの頃の曲
最初にテープ買って貰ったのがそれ
少年が遊んで楽しいね夢を見ようよみたいな歌詞
子供にとっては共感できたのでしょう
『愛されるより愛したい』は僕が中学くらいの曲
恋愛詩なんだろうけど
思春期の揺れ動く心に近いので意味は分かった
『アンビシャスジャパン』は僕が10代後半くらいの曲
その頃は今みたいに右派全盛期じゃなくて
普通に自由派が強がっていた
日本スゲーも全然普通じゃなかった
そこでトキオが普通に日本に誇りを持とうよ頑張ろうぜって歌っていた
成程そういう見方もあるねって感じでこれも大衆歌として意味はわかった
じゃあBTSだが
曲として質が高いほうなのは
『Make It Right』とか『I Need U』かなあと思う
今も網羅的に聴いてる最中だが
でもこれらは完全に歌詞はゴミの部類というか
女に媚び売ってるチャラ男の歌詞である
そんなの誰でも書ける
誰でも言える話である
好きだよ~こんなに好きだぜ~
は? って事
普通に成人男性が
成人どころかもう30代半ば過ぎた男がね
「好きだぜ~ほんとに好きなんだぜ~ラブほんまラブ」
みたいな曲聴いて
「さいっこう! サイコー! BTS神、うひょー!」ってなるか
天地ひっくり返っても俺がゲイかバイじゃないとならなくないですか
流石に詩がシェークスピア級ならなるが
君らが知ってるかしらんけど
シェークスピアのソネット(14行詩)は半端ないんですよ
僕が一番影響を受けた詩だ
恋愛を歌ってるぽいんだがその語彙や修辞の巧みさが凄い
ああまで言語表現が流暢だと男の恋情でも少しは心動かされる
ここまで物凄い恋愛感情を心の中で感じているのかこいつはって意味で
ちなみにシェークスピアは少年愛だか同性愛だかを歌っていたと解釈されており
その意味では男を対象にしてるのだからある意味当然といえなくもないが
要は恋愛詩ってのは相手の心に訴えかける求愛の伝達形式なわけである
鈴虫がリンリン鳴く
ウグイスがホーホケキョと鳴く
ヒトは巧みな話術で韻を踏む
でもね
36歳独身男性をね
恋愛詩を男が歌って心動かすってのは相当技術が必要だよ
同じ事を女がやってもある程度は必要だろうけどな
俺はAKBの歌は一つの例外もなくごみだと感じて
どれもへえ~とすら思わなかったけど幼稚で
曲も本当に通俗的で陳腐
語るにおちる楽曲でしょ全部が
秋元康はなめてるよ
僕が最近聴いた中でかなり心動かされた恋愛詩は
『真夏のマーメイド』だった
Secret(シークレット)とかいうKPOP女性アイドルに歌わせていた楽曲の歌詞
とってもよくできている構成も
なんというのか総じて明るく素直で娘らしい魅力を表せており
比喩含む落とし方が大変うまい
後からわかったが、『真夏のマーメイド』の作詞家はジュンジだった
僕が音楽家では思春期から1番評価しているといっても過言ではないスーパーカーの作詞家でギタリストだった筈
スーパーカーの歌詞は全体として前衛性が凄まじいが
解散後、ジュンジは作詞家として身を立てて今に至るのだった
偶然邂逅
じゃあBTSがどうかなんだけど
先ず作詞が中途半端というか工夫が見られないんですよ
僕の目には
単に書いてあるだけ
好きだ~君がいないとダメなんだ~とか
それって作詞技術としてはゴミ程度のもんですよ
誰でもできちゃうに近いよ
実際書いてみたらいいよ自分で歌詞を
君がいないとダメとか書けるよ
一言でいうとBTSの歌詞は総じて幼稚
標的が10代の女なんでしょうねきっと
10代半ばくらいの女かな?
中高生じゃない?
その頃の知能だったらこんな稚拙なもんでも感動してんのかもね
僕が中学当時もシャ乱Q『シングルベット』級のもんが流行ってたねヤンキー女層に
大の大人からは下品にしかみえない
大の大人がだよ
しかも大人の男性
しかも文学の知識も相当以上にある
相当以上どころかマニアックにある
詩の知識も当然相当よりある
その人がだよ?
BTSの歌詞でこれは凄いってなる工夫あるいは魂がみられないから
ダメだこれってなっても仕方なくないですか
学校社会批判してます
で? っていう話よ
結局な
教養人に賞賛されるレベルの詩はある
詩ってのは教養ジャンルの中でも
文芸の最高峰といえる分野です
古典的文学の最高の形式といっていいでしょ
戯曲から独立してからの純粋詩は
その分野に片足つっこんでる大衆歌の歌詞分野で
すげーなめたティーン発情系中二向け
それは大人の趣味に合わない
わが国の国歌なんざ
言うまでもありませんが『古今和歌集』から取ってあるわけよね
57577の和歌の韻律で
君は天皇の事と解されますが
おおきみの御世が末永く続きますよう寿がせていただきますえ
っていう忖度的なお世辞を言ってる詩語で
そういうくだらねーともいえる和歌ですが
まぁ形式美はわかる
君が代は千代に八千代に
と、ヨ、チヨ、ヤチヨと韻を踏む
細石(さざれいし)の
ここはコマイシのと読んだほうがいいと僕は思ってるが
ま、字余りだけど、細かい石が
いわおとなりて
石みたいに固まって大きくなり
苔の蒸すまで
と後半部は自然現象としての長い時代を象徴化させる描写で埋まっている
君が代は韻律内で更に韻を踏み
その後は時間ワープ自然描写の比喩によって御世に望む永続性を形容する
全体として忖度和歌である
だから僕はどうも古今全体でも好きじゃないほうの歌だが
ただ形式的完成度は認められるわけですよね
それが歌論のやり方の一つで
形式的技巧とか内容の質とかを議論する
じゃあBTSの歌詞がどうかっていうと
『Make It Right』は総じてJPOPのリフレイン形式
(サビ挟んで2つメロ節続く+ラップ部挿入され、間奏挟んでサビ連打で終わるとてもよくあるもの)
に、要は君が必要なのさ、って語ってるが
砂漠をさ迷ったんだとか、
君が朝をくれたとか、総じて子供っぽい内容
10代半ばの人がね
色んな詩をまだ読んだ事がなかったら気づかない
君(多分恋人めかしたファン=客の一員と解釈される)が飢えの象徴で
君を探してたんだよ~ファンの君~っていう
だからお金ちょーだい! っていう構図なんだが
ホストがウソつくみたいなもんですよね
本当は金づるなんだけど客は唯の
端的に言うと
凄く軽薄なウソをついて
客に擬似恋愛感情を抱かせるつもりなんだけども
それが透けてみえる歌詞となっています
そういう風な読み方しかできない
チャラ男の与太話
本当の恋愛感情の時はこういう風に歌わない
シェークスピアのソネットとか
万葉和歌とか読んだらいいです
心が篭もってる
例えば僕の県域にまつわる和歌(国歌)をとりあげるが
筑波嶺の裾廻の田井に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
(つくばねの すそみの たいに あきたかる いもがりやらむ もみじ たおらな)
現代語訳
つくば山のすそ野あたりにある田んぼで、秋の稲穂を刈っているだろうあの子のもとへ、私もこの手で折った美しい紅葉を刈って、贈らなければな
これはいわば思いを寄せる人に、何かプレゼントをあげたいのだけれども、相手は今仕事中である。それでもし彼女のもとに今私がいる山に鮮やかに咲いているこの紅葉を持っていったら、どう喜んでくれるだろう? と、恋人を思いやる歌と解釈される。
ここには軽薄なウソとか一切感じられないし、ない。
『万葉集』に収められている和歌(通称・万葉和歌)のこの種の詠み方は、歌論・歌学では色んな呼称があるけど、総じて「ますらおぶり」といわれている。現代の目からは性差論に抵触する政治的不正用語にみえなくもないが、歌論上の定義はそうではなく、「心が込められている歌」という意味をもっている。
対して君が代もそうだが、『古今和歌集』以後の歌は「たおやめぶり」といわれる事もある(過去の代表論者・賀茂真淵)。それはさっきいったような形式美に凝り始め、肝心要の心が抜け落ちて来たのではないか、という批評用語だ。
マスラオとは雄々しい男性を、タオヤメとはお淑やかな女性を指す和語だが、歌論用語としては主として「ますらおぶり」が内容重視、「たおやめぶり」が形式重視という意味を帯びる。
そこでBTSだが、完全にたおやめぶりでしょう。形式美もまぁJPOPのSPEED的ラップ挿入R&B劣化コピーと先に書いた通り。
僕は、たおやめぶりの歌が嫌いと言っているわけでもない
それはそれでいいのもあるんじゃないかなとは思う
内容が余りに下卑てなかったらね
特に『新古今和歌集』でその傾向は完全にはっきりし
もはや『万葉集』の時代の和歌とは全然違う部類である
でもそこにもある種の洗練はあるよなと思う
例えば、桜井和寿作詞の『名もなき詩』
これはいわばJPOPのたおやめぶりの極みといえる作品で
リフレイン形式の完成度からいったら最も規範的といえるくらいなんの淀みも歪みも見られない
物凄くわかり易く誰でも歌える形式になってて
カラオケで歌われまくったのも然るべき
けれども、BTS楽曲は、特に作詞の面で
勿論、曲のメロディの一部を構成するから、
歌曲は完全に詩だけ論じられるでもないが、
ここでは歌詞の形式という意味で、
そこまでの規範を達しているとはちょっと思えない
試しにカラオケで歌わせてみたらいい
君が代みたいに誰でも歌えるでしょうか
違うと思う
『名もなき詩』だの『君が代』は
万葉和歌と違って、中身で評価されてんじゃない
形式美で評価されてんである
中身はどっちかといえばだが薄っぺらい方だ
それら2歌の重要さは、誰でも歌えて
しかもその洗練味に触れる事ができる点だ
形式通り歌えば誰でもプロっぽくなるわけだ
たおやめぶりってそれ
最近のAPOPでもタオヤメ振りはある
例えばファレルの『ハッピー』であり、
レディガガの『Born this way』でしょう
或る形式を踏めば、誰でもある典雅なメロディに於いて或る心を歌うことができる。
その歌の心がすばらしいかとまた別の問題だ、それは
また現代大衆音楽でもますらおぶりはある
Childish Gambino『This is America』は形式美という面ではゴスペルまじりってだけ
歌詞が米国で黒人一般の置かれている抑圧的状況への反抗精神を皮肉を込め自己鑑賞しているもので、
ほぼ詩の深度だけで評価されたといっていいだろう
同じく、アマザラシ『ラブソング』
は、いわゆるBTSが連作している様な通俗恋愛詩の消費状況を社会的に批評したもので、
偽物掴まされて本当の愛を知らない現代人の内面を観照している
それは虚しい現代大衆歌の宗教で
我々は金儲けの配給会社に騙されていると告発しているのだ
これらの競合と比べ
じゃあBTSの通俗恋愛詩がすばらしいですねって
そこまでの深度をますらおぶりで獲得してるか?
僕にはちょっとそうは思われない
もし歌詞単体でみたら薄っぺらさの極み
そもそも当人達が基本作詞してないのも含め
整形男子にチャラらせたらこれで売れるか
みたいな凄い適当さがある
10代少女が世間知らずでウブで
ホスト歌舞伎の軽いウソに唆されカネと熱意を奪われる
成程それも何らかの芸能現象だろうとも
僕には立派な事だとはちっとも感じられない
もっというとかなりの侮蔑感すら覚える
そんなの東京新宿だの六本木で
おつむの足りないメスゴリラ集団がやってりゃいいのだ
大衆歌は広く聴かれるし
下手すると子供も真似るのだから
そこに素晴らしい内容か
最低でも形式美がみられなかった
殊更誉めるにも足らないといえよう
賞美以前にゴミ屑レベルのウソついて
10代馬鹿女騙して金儲けとか以ての外
そんなのどんだけ潰そうが誰も困らない
当の女らも妄想発情発狂後一文無し
寧ろそれらのホスト狂いに近い
その前座としかいえないBTS狂信者らに
本当に素晴らしい音楽とは
偉大な歌とは
詩の魂とは何かを何とか教えられないと
やがて軽薄極まりない馬鹿どもが
適当に整形させた中身空っぽのペラペラ男を連れてきて
そこらで舞わせて大金ぼる
それが高貴な文化というならどうぞ
社会的資源は有限だ
それをどこに配置するかで
ある国が勝つか負けるか決まる
少なくとも日本では偽物にかなりの配分をしている
中身からっぽの高学歴
カネに目がない炎上インフルエンサー
長州閥で違憲立法連打するアメポチ独裁者
或いは大量殺人命じて責任逃れ最悪邪教祖
本物には資源が足りない国だ
挙句の果てにKPOPの整形歌舞伎つれてきて
これぞ最高音楽だ! っていう
成程本当にそうならいいだろう
JPOPがどれもこれも糞で腐っていて
ジャニーズとAKBしかチャートに並んでおらず
たおやめぶりどころか全部ぺらっぺら歌詞
中身はドルオタ煽って金儲けオンリー
そんなならBTSのが米国風なだけ珍奇
だが本当にそうだろうか
僕が聴いてる感じJPOPは完全に腐りきってはない
髭男が本当に楽曲カスだろうか
確かに星野源は総じて安っぽいパチモンで糞かもしれん
でもBTSよりはましじゃないだろうか
それは少しは真面目に
歌で世間に訴えているからで
ホストまがいがチャラればなんでもアリではないからだ